喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃん第二次夏合宿 その


 夏合宿の4日目の朝。
 あたしは、目の前に広がる状況に、ただ、立ち竦むことしか出来なかった。
「痛ぇよぉ〜」
「ううっ〜」
「あうぅ〜」
 毛布を敷いた床の上に寝かされて、身体をくの字に折ってうめく人たち。
 あたしのせいだ……。
 かくん
 体中から力が抜けて、あたしはその場に膝をついた。
 あたしが、ちゃんと気をつけていなかったから……。

 昨日の夕食の準備のとき。
 やっぱりあたしは、ひなちゃんと主人くんのことで、もの思いに沈んでいたの。
 ポークステーキだったんだけど、焼くのはみんなに任せちゃって。
 そして……。
「うぅ〜」
 唸り声に目が覚めた。時計をちらっと見る。
 枕元のデジタル時計は、3:32となってた。
 まだ、頭の中が寝ぼけてた。
「うぁっ……」
 みのりちゃんのベッドの方から声が聞こえてくる。あたしは、寝惚けまなこでそっちを見た。
「みのりちゃん、どうしたの?」
「お、お腹が……あうっ……」
「お腹? 痛いの?」
「は……、はい……」
「そう……。えっ?」
 あたしは、慌てて起きあがると、灯りのスイッチを入れた。
 パチッ
 部屋が明るくなる。
 みのりちゃんは、ベッドの上で、身体を押さえて呻いていた。額にはびっしょり汗をかいて、苦しそう。
「みのりちゃん、大丈夫!?」
「は、はい……」
 どう見ても大丈夫じゃない!
 あたしは、何も考えないで部屋を飛びだした。
 ドン
「きゃっ」
 廊下に出た途端、向こうから走ってきた誰かとぶつかっちゃった。はね飛ばされて尻餅をつくあたし。
「ソーリー、ごめん……、沙希!?」
「あ、彩ちゃん!?」
 廊下を走ってきた彩ちゃん、随分慌ててるみたい。
「どうしたの? こんな夜中に」
「それがね、同室の娘がお腹が痛いって」
「え? みのりちゃんもお腹が痛いって今……」
 言いかけて、あたしはハッと気付いた。
 あちこちから、呻くような声が聞こえてくるの。
「もしかして、みんな……?」
「……なんだか、あたしもさっきからちょっと、ストマックエイク、お腹が痛むのよね……」
 そう言うと、不意に彩ちゃんはあたしにしがみついた。
「彩ちゃん!?」
「オッケイ、大丈夫。それよりも、薬を……」
「薬って……宿直室へ行けば、少しはあるだろうけど、でも……」
 みんながお腹が痛いって……。もしかして、食中毒!?
 だとしたら、変に痛み止めを飲んだりしても、ううん、飲んだら、かえって悪くなることもあるって聞いたことある!
 と、とにかく、誰か呼ばなくちゃ。でも、誰?
 あたしは、ちらっと窓を見て、思わず目を丸くした。
 男子生徒の止まってる宿舎。見る間に灯りがどんどんついてる。
 こんな時間に灯りがつくってことは、やっぱり男子も……?
 そうだ!
 あたしは、彩ちゃんに訊ねた。
「どう? 歩ける?」
「サムハウ、なんとかね」
 額に汗を浮かべながら、彩ちゃんはうなずいた。
 ドンドンドン
「すいません、先生!!」
 あたしは、彩ちゃんを担ぐようにして、宿直室のドアを叩いた。
 ドンドンドン
「誰か、いないんですかぁ!?」
「何だ? こんな時間に」
 ドアを開けて出てきた先生に、あたしは叫んだ。
「大変なんです! 合宿のみんながお腹が痛いって! 食中毒かもしれないんです!」
「何だって? わかった。すぐに高橋先生を呼ぶからな」
「救急車の方がいいんじゃないんですか?」
 あたしが声をかけたときには、もう先生は宿直室の中に引き返したあとだったの。中から声が聞こえてくる。
「……、あ、夜分申しわけありません。江碕です。え? すぐ来てくださるんですか? わかりました」
 先生は引き返してくると、あたしに訊ねた。
「ええと、君」
「サッカー部のマネージャーの2年E組、虹野沙希です」
「そうか、それじゃ虹野。女子の何人が症状を起こしてるか、至急調べてくれないか? 俺は男子の方を見てくるから」
「は、はい」
 あたしはうなずいた。それから、振り返る。
「彩ちゃん、大丈夫?」
「まだ、なんとかね」
 うなずく彩ちゃん。でも、とっても辛そう。
 もう先生は男子の宿舎の方に走って行っちゃった。
 あたしは、彩ちゃんを宿直室に寝かせた。
「すぐに戻ってくるから、待ってて!」
「オッケイ」
 うなずく彩ちゃんを置いて、あたしは駆け出した。
 そのころになると、騒ぎでみんな起きだしてた。
 あたしは、女子宿舎の入り口で、出てこようとしてた藤崎さんにバッタリ会ったの。
「ふ、藤崎さん!」
「虹野さん、何かあったの?」
 藤崎さんは大丈夫みたい。あたしは早口で説明したの。
「食中毒?」
「かもしれないの。とにかく、女子がどうなってるか調べなくちゃ」
「調べるって言っても、女子だけでも100人近くいるわ。虹野さんだけじゃ無理よ。それより、どこかに患者を集めた方がいいんじゃない?」
「そ、そうかな?」
「とにかく、落ちついて。放送を使って呼びかけた方がいいわ。そっちはあたしがやるから……虹野さんは体育館の用意をお願い」
「体育館?」
「うん。体育館って、きらめき市の緊急避難場所にも指定されてるから、避難のときのために毛布とかがあるはず。毛布を床に敷いて、そこに寝かせたほうがいいと思う」
「判ったわ!」
 そういえば、そんな話も聞いたことがある。あたしは大きくうなずいた。
 まず宿直室に駆け戻る。
「彩ちゃん、大丈夫? 動ける?」
「イエス、なんとか」
 畳の上に寝ていた彩ちゃんは、起きあがる。
 あたしは、壁にかかっている鍵の中から体育館の鍵を取ると、彩ちゃんを助け起こして体育館に向かったの。
 途中で放送が聞こえる。
「緊急放送、緊急放送。全員体育館に集合してください。くり返します。現在、校内にいる全員は、速やかに体育館に集合してください。なお、各部の責任者は、合宿に参加しているメンバーの名簿を持って集まってください。動けない者は、無理に動こうとせずに、そのまま部屋で休んでいても構いませが、出来るだけ、誰かにその旨を伝えてもらってください」
 藤崎さんの声が、静かな校舎の中に響いた。彩ちゃんが顔を上げる。
「体育館に?」
「そう、だから、急がないと」
 あたしは、彩ちゃんを引っ張るようにして、体育館に急いだの。
「彩ちゃん、ちょっと待っててね!」
「アイムライト、あたしは大丈夫だから」
 彩ちゃんはそう言うと、壁を背にして体育館の床に座りこんだ。
 あたしは、広い体育館を走って、ステージの横にある配電室に飛び込んだ。配電盤の蓋をあけて、中のスイッチを全部ONの方に倒していく。
 蛍光灯ならすぐに付くんだけど、体育館のライトって水銀灯だから、明るくなるまで何分かかかるのよね。
 とにかく、これでよし、と。彩ちゃんは!?
 あたしは、彩ちゃんのところに駆け寄った。
「彩ちゃん!」
「大丈夫だってば。ノットエキサイト、そんなに興奮しないでってば」
 苦笑すると、彩ちゃんはお腹をさすった。
「あ、あたしがさすってあげる」
 そう言って、あたしは彩ちゃんのお腹をさすってあげたの。
「どう? ちょっとは楽になった?」
「サンクス、沙希。ちょっとはね」
 そんなことをしてるうちに、段々水銀灯が光を放つようになってくる。
「沙希、あたしのことより、体育館の準備をしないといけないんじゃないの?」
 彩ちゃんに言われて、あたしはハッと気が付いた。
「そうだった。藤崎さんにそう言われてたんだ! あ、でも……」
「ハリアップ、急いで準備しないと!」
「う、うん。彩ちゃん、ごめんね!」
 あたしは、今度はステージ裏の倉庫に向かって走ったの。毛布みたいな緊急用の物資は、全部そこに入ってるはず。
 体育館が明るくなる頃になって、他の人がどんどんやってきた。
 あーん、あたし一人じゃ準備しきれないよぉ!
 毛布を抱えて走りながらそう思ったとき、声が聞こえたの。
「あ、虹野さん! 何か手伝うこと無い!?」
「え? あ、鞠川さん!」
「女子バスケ部は、みんな動けるわよ。何でも言ってちょうだい!」
 にこっと笑って言う鞠川さんの後ろで、半分眠ったような目をしてる十一夜さんがこくこくとうなずいてる。
「それじゃ、毛布を出すの手伝ってくれる?」
「いいわよ。ステージ裏の倉庫よね?」
 それだけ言って走っていく鞠川さん達。女子バスケ部は体育館がホームグラウンドだもんね。さすが頼もしいわ。
 ホッと一息ついて、持っていた毛布を床に敷くと、あたしは辺りを見回す。
 数人に抱えられるようにして入ってくる女子生徒を見て、はっと気が付いた。
 みのりちゃん! サッカー部の女子はあたしとみのりちゃんだけだから、誰も気付いてないかもしれない!
 迎えに行かなくちゃ!
 で、でも、ここを放り出して行くわけにもいかないし……。ど、どうしよう?
「虹野さん! 虹野さんは大丈夫だったんだ」
「え? あ、清川さん!」
 清川さんが駆け込んできた。走って来るくらいだから、大丈夫みたい。
「一体何がどうなったんだい?」
「あたしもまだよくわかんないんだけど……」
 あたしは、早口で説明した。
「とにかく、緊急用の毛布があるから、それを出さないといけないんだけど、あたし、みのりちゃんのことも気になるし」
「わかった。あたしが秋穂さんを運んでくるから、虹野さんは安心してよ。じゃ!」
 言うが早いか、清川さんは女子宿舎に駆け戻っていったの。
 あたしより清川さんの方が力持ちさんだし、安心よね。
 ほっと一息ついて、毛布を出しに戻ろうとしたところで、清川さんが駆け戻ってきた。
「ごめん! 虹野さんの部屋って何号室だっけ?」
 清川さんに、みのりちゃんを迎えに行ってもらっている間に、あたしは元気な人に手伝ってもらって、緊急用の毛布を体育館の床に敷いていったの。
 大体敷き終わった頃、白衣を羽織りながら、高橋先生が入ってきた。
「食中毒ですって?」
「あ、先生!」
 その姿を見た途端、なんだかほっとして、泣きそうになっちゃう。
 でも、そんな場合じゃないもん。
 放送を終わらせて、体育館に来てた藤崎さんが、先生に駆け寄る。
「すみません、先生。現在の状況は……」
「さっき江碕先生に聞いたわ。正確な患者数は?」
 聞かれて、藤崎さんは脇に抱えていたクリップボードを出したの。
「メモ書きですけど、各部の責任者に聞いた数です。まだ、みんな混乱してるので、漏れがあるかもしれませんけれど。
「ありがとう。で、宿舎に残っている患者は?」
「元気な男子生徒に手伝ってもらって、担架で運んでもらっています。全室を見回るようにお願いしてますから、漏れはないと思います。今、患者一人一人のリストを……」
「お待たせしました」
 そこに未緒ちゃんがやって来た。ちょっと顔色悪そうだけど、食中毒じゃなくて疲れてるだけ、っていう感じ。
「あ、先生もいらっしゃったんですか? ごくろうさまです。藤崎さん、宿舎の見回り終わりました。もう誰も残っていないと思います」
「ありがとう、如月さん。……顔色悪いけど、大丈夫?」
「は、はい……。ああっ、めまいが」
 ふらっと倒れかかる未緒ちゃん。あたしが慌ててそれを支える。
「未緒ちゃん、大丈夫?」
「あ、虹野さん……。だ、大丈夫です」
「ちょっと休んだ方がいいわ、如月さん」
 高橋先生はそう言うと、藤崎さんに向き直った。
「藤崎さん、ありがとう。助かったわ」
「いえ、そんな。それより、先生、救急車を呼んだ方がいいですか?」
「そうね。……でも、とりあえず診察してみるわ」
 ちらっと腕時計を見て、毛布の上で呻いてる男子生徒の診察を始めながら、藤崎さんに言ったの。
「藤崎さん、ちょっとこれ持って、私の言うことをメモしてくれる?」
「え? あ、はい」
 うなずいてクリップボードを受け取る藤崎さん。先生はその男子生徒にいくつか質問しながら、藤崎さんに何か難しい言葉を言ってる。
 その顔がだんだん険しくなる。
「……これは、まさか……。血液検査の必要もあるわね。ここにあるだけじゃ……」
「どうしたんですか、先生?」
「江碕先生はどこ?」
「なんですか?」
 ちょうど、体育館に入ってきた江碕先生が、その声を聞きつけて駆け寄ってきたの。
 高橋先生は、藤崎さんからクリップボードを受け取ると、江碕先生と何か話しはじめたの。
 それを見るともなしに見てたあたしの耳に、後ろの男子生徒の会話が聞こえてきた。
「食中毒ってことは、やっぱ昨日の夕食が原因かねぇ?」
「多分な」
 昨日の夕食!?
 あたし、おそるおそる振り返った。
 男子生徒達は、あたしに背を向けて、ヒソヒソ声で話をしてる。
「あのポークステーキ、生焼けだっただろ?」
「俺、聞いたことあるぜ。豚肉は生じゃ食べちゃいけないんだってよ」
「誰だよ、あんな料理したのは?」
「まったくだぜ」
 そう言いながら、歩き去っていく男子生徒たち。
 あたしは、体育館を見回した。
 苦しんでいる大勢の人たち。
 あたしの……せいで……。

《続く》

 メニューに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く