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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第
話
旅情編 その
沙希、倒れる


北海道の風景(5) 時計台その2
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「時計台はちょっと情けなかったね」
「うん、そうね」
あたし達はそんな事を話しながら、プリンセスホテルに戻ってきたの。
「でも、修理中なんだもの。仕方ないよ」
「ま、そうなんだけどさ」
そう言うと、主人くんは軽く手を挙げた。
「んじゃ、とりあえず部屋に荷物置いてくるよ」
「うん。あたしもそうする。あ……」
そのまま歩いて行きかけた主人くんを、あたしは呼び止めた。
振り返る主人くん。
「どうしたの?」
「えっと……。あの、もしよかったら……」
あたしは、一つ深呼吸して、言ったの。
「あさっても、一緒に……行かない?」
「うん、いいよ。それじゃ」
主人くんはにこっと笑ってうなずくと、エレベーターに乗り込んだの。
ドアがゆっくり閉まる。
あたしは、それを見送ってから、小さくガッツポーズ。
「よし!」
だって、嬉しかったんだもの。
修学旅行3日目は、札幌での自由行動。というわけで、あたしは主人くんを誘って、一緒に市内観光したの。
まずは時計台に行ってみたら、これがなんと修理中。すっぽりと壁に囲まれちゃって、かろうじて時計の部分だけが見えてるって状況で、ちょっとがっかりしちゃった。
それから、大通公園に行って、屋台の燒とうもろこし屋……じゃなかった。燒とうきび屋で燒とうきびを買って、一緒に食べながらのんびり歩いたの。
いろんなおしゃべりをしてただけで時間が過ぎちゃって、でも主人くんも楽しかったって言ってくれたし。よかったよね、うん。
「沙希ぃ、何をにやけていらっしゃるのかな、キミはぁ〜」
「ひゃぁん!」
いきなり後ろから耳元に息を吹きかけられて、あたし思わず飛び上がっちゃった。
慌てて振り返ったら、ひなちゃんが腰に手を当てて立ってた。
「ひ、ひなちゃん?」
「ったく。ロビーでにまぁーっと笑いながら立ち尽くすのはやめいって。超気味悪って感じだぞ」
「あ、それはその、ね」
あたしはあたふた。それを見て、ひなちゃんは肩をすくめた。
「まぁ、いっか。んで、そっちはどうだったん?」
「どうって……?」
「まぁた、このお・と・ぼ・け・さん」
あたしの脇腹を肘でつんつんとつつきながら、ひなちゃんは小声で言ったの。
「公くんと一緒に行ったんしょ? どこまで行ったの?」
「どこまでって、時計台見て、それから大通公園で……」
「じゃなくて! 何か進展あった?」
「進展って……や、やだ。そんなのないよ」
ひなちゃんの言ってる意味が判って、あたしは慌ててほっぺたを押さえて首を振った。
ひなちゃんはくすっと笑った。
「ま、沙希のことだから、あまり心配はしてなかったけどね。うんうん」
「どういう意味よぉ」
と、いきなりひなちゃんはポケットから小さなカメラを出した。
「沙希、1枚撮るよぉ」
「え? きゃ!」
パシャ
「んもう! いきなり撮らないでよぉ。目をつぶっちゃったじゃない」
文句を言ってから、そのカメラをのぞき込む。
「でも、ひなちゃんそんなカメラ持ってたの?」
「あたしのじゃないよ。あたし、今超貧乏だし。これはかっちゃんに借りてきたの」
「マスターに?」
ひなちゃんの言う“かっちゃん”っていうのは、あたしもよく行く喫茶店『Mute』のマスターのことなの。ひなちゃんの従兄なんだって。
こくりとうなずくひなちゃん。
「そ。デジタルカメラっていうんだってさ。フィルムがいらないの」
「へぇー。すごいね」
「すごいっしょ? んじゃ、もう1枚」
パシャ
「だから、急に撮らないでってば。それに、何枚撮ったのよ?」
「んーと。もう300枚くらい撮ったかな?」
「さ……」
あたしは絶句。
ひなちゃんはちっちっと指を振った。
「まだまだよぉ。目標1000枚なんだから。というわけで、今夜のオプショナルツアーは、公くん貸してね」
「うん……。って、ちょっと待てい!」
あたしはそのまま駆け出していきかけたひなちゃんの制服の襟を掴んだ。
「ぐはっ。い、いきなり掴まないでよ! 息が詰まったじゃないのぉ」
「ご、ごめんなさい。……それはともかく、どうして公くんなのよぉ!」
「今日の自由行動は譲ってあげたっしょ?」
そう言ってにまっと笑うひなちゃん。た、確かにそうだけど……。
「それにさ、オプショナルツアーその1とその2も譲ってあげたじゃないの」
「ま、まぁ、そうだけど……」
「んじゃ、いいじゃん。それじゃ、あたし急いで公くん誘わなくっちゃ!」
「待ていってば!」
もう一度襟を掴むあたし。
「あによぉ、もう!」
「今日のオプショナルツアーって何なの?」
「もえもえやま観光ツアーだって」
「……もえもえやま? なにそれ?」
「あたしもよく知んないけど、山っしょ?」
……もえもえ山って、何? そんなのあったっけ?
「詳しいことは宴会場に貼ってあったよ。んじゃ今度こそ!」
言い残して、ひなちゃんは、ちょうど来ていたエレベーターに飛びのったの。
とりあえず、宴会場に見に行ってみようっと。
宴会場に入ってみると、なるほど、正面のステージの上に大きな上が貼ってあったの。
きらめき高校修学旅行in北海道
オプショナルツアー第4弾
藻岩山展望台から札幌の夜景を眺めよう ラブラブフィーリンツアー
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……らぶらぶふぃーりんつあー?
ま、まぁいいかぁ。
今日一日、ゆっくりと主人くんとお話ししながら過ごしたせいか、今夜はひなちゃんに譲ってあげてもいいかな、と思いながら、あたしは自分の部屋に戻ったの。
夕食が終わってから、あたしは洗面具を持って、廊下をパタパタと歩いていたの。
プリンセスホテルの誇る、大浴場。なんでも登別カルルス温泉のお湯をそのまま持ってきてるとかで、すごく気持ちいいらしいの。
昨日は疲れちゃってたから、お部屋についてるユニットバスでシャワー浴びてそのまま寝ちゃったんだけど、今日はオプショナルツアーも行かないことにして、ゆっくりとお風呂を楽しもうというわけ。
エレベーター前まで来て、表示を確かめる。
うん。25階が大浴場。間違いないよね。
そのまま、来たエレベーターに乗って、25階のボタンを押して……、あ、もう押してある。
「まぁ、虹野さんではありませんか」
「え?」
言われて、あたしはエレベータに先に乗ってた人に気がついたの。
浴衣がすっかり馴染んでて、普通のお客さんだと思ってた。
「古式さん?」
「はい。御無沙汰しておりました」
そう言って、古式さんは頭を下げた。あたしも慌てて頭を下げる。
「こちらこそ」
チーン
「あ、着きましたねぇ」
ドアが開くと同時に、古式さんがのんびりと言ったの。
「虹野さんも、お風呂、ですか?」
「うん……」
あたしは自分の格好を見おろした。プリンセスホテルの浴衣を来て、足はこれまた備えつけのサンダル履き。手には洗面用具を入れた洗面器。
どう見ても、完全なお風呂スタイル、よね?
同じ格好の古式さんはくすっと笑った。
「それでは、参りましょうか?」
「あ、うん」
閉まりかけたエレベーターのドアを、ちょっとはしたないけど足で押さえて、あたしは廊下に出た。その後から、古式さんがしずしずと……。
「あら〜」
「あ、危ない!」
あたしがもう一度、今度は洗面器で、閉まりかけたドアを押さえた。
「あら、申しわけありません。ありがとうございます」
古式さんはゆっくりとエレベーターを降りたの。
……まさか、いままでずっと降りられなかったとか。……まさか、ねぇ?
カラカラッ
脱衣場で服を脱いで、タオルと洗面用具を持って、浴室のドアを開けて、あたしは絶句。
「ひ、広い〜!」ひろい〜ひろい〜ひろい〜
声がこだましちゃうくらい広い浴室。もわぁっと湯気が立ちこめてる。
あたしの隣にやってきた古式さん。くるっと一瞥して。
「まぁ、50人くらいしか入れないようですねぇ」
……しか?
「古式さん?」
「それでは、お先に失礼いたします」
そう言って、古式さんはしずしずと入っていったの。
「あ、ちょっと待って!」
あたしはその後に着いて、すごく広い浴室に入っていったの。
それにしても、広いよぉ。雨天練習場くらいあるんじゃないかな?
あたしと古式さんは、並んで洗い場に座った。まずお湯を浴びて……。
何げなく見た古式さん。わぁ、真っ白な肌。綺麗だなぁ。
それに較べて……。
あたしは自分の腕を見て、がっくり。黒く日焼けしちゃってるんだもの。
「どうか、なさいましたか?」
あたしの様子に気付いたのか、古式さんが訊ねた。
「あ、ううん。古式さんって肌白いなぁって思って」
「そうでしょうか?」
そう言って、古式さんは自分の肌をあたしと見比べる。
「あまり変わらないと思いますが……」
「そんなことないと思うんだけどなぁ……」
「わたくしは、虹野さんの方が健康的だと思いますよ」
そう言って、にこっと笑うと、古式さんは、頭からお湯をかぶった。それから、シャンプーで髪を洗いはじめる。
そういえば、古式さんが髪を解いたところって、あまり見たこと無いなぁ。
いつも三つ編みにしてるから、解くとソバージュかかって、すごく可愛く見えるのよね。
うーん。考えてもしょうがないよねっ!
あたしは、自分もシャンプーを取って、髪を洗いはじめたの。
「古式さん、まだ出ないの?」
「はい。もう少々、あたたまってから、出ようと思っております」
にこっと笑う古式さん。
「そ、そう? で、でも……」
あたしは、額の汗を手で払った。
ここは、浴場の隅にあるサウナ風呂。
古式さんとあたしは、広いお風呂にしばらく浸かったあと、ここを見つけて入ることにしたんだけど……。
あたしは時計をちらっと見た。もう入ってから5分はたってる、はず。
ちなみに、温度は90度を指してる。
「古式さん、らいりょうぶぅ?」
わぁ、舌がもつれてるぅ。
「はい、わたくしは大丈夫ですよ」
にこっと笑う古式さん。体にきちんとタオルを巻いて、腰掛けるところに正座してる。おまけに、顔に汗一つかいてない。
どういう体をしてるんだろ?
あたしは、もう一度だらだら垂れてくる額の汗を払った。
修学旅行に来てから、美味しいものをいっぱい食べちゃってるから、体重増えちゃっただろうなぁ。ちょっとはここで痩せとかないと。
そう思って、もうちょっと我慢。
「そういえば、虹野さん」
「はい〜?」
だめ〜。死ぬ、死んでしまう。
「明日は……」
「ご、ごめんなさい! もうダメ!」
あたしは、サウナ室から飛びだした。そのすぐ前にあるシャワーのコックを全開にして、水を浴びる。
冷たい水が気持ちいい。
はぁ〜、死ぬかと思ったぁ。
あ、あれ?
めまいがして、あたしはシャワーを浴びながら、壁に手をついた。
ちょっとの間そうしてたけど、めまいが止まらない。
「あのぉ、虹野さん」
古式さんの声が、随分遠くから聞こえた。
「顔色が、悪いようですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫……」
ずっ
壁についていた手が、滑った。
あたしは、そのまま、その場に倒れていった。
「虹野さん!」
初めて聞く、古式さんの大声。
そして……闇。
《続く》

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