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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言

旅情編 その 沙希と公と深夜のデート

函館朝市
北海道の風景(3)
函館朝市
「風邪ね。自覚症状はなかったみたいだけど、サウナで無理するから、一気に体力を消耗して悪化した、ってところかしら」
 館林先生は、体温計の表示を見ながら言ったの。それから、あたしの顔をのぞき込む。
「とりあえず、明日は一日寝てなさい。残念だけど、小樽で倒れられちゃ大変だしね」
「……はい」
 がっかりしながら、あたしはうなずいた。
 先生は苦笑した。
「まぁ、ホテルの人にもちゃんと言っておくから、心配しなさんなって。それから、食事はルームサービスを頼んでおくわね」
「すみません……」
「いいのいいの。後で元気になってから、身体で払ってもらいますから。それじゃ、お大事に」
 そう言って、先生は部屋を出ていった。
 ドアのカチャリと閉まる音がして、部屋が静かになる。
 あたしは、天井を見上げた。
 北海道まで来て、風邪かぁ……。あたし……、バカみたい。
 とにかく、寝よう。休んで、回復させなくちゃ。

 翌朝。修学旅行4日目。
 みんなは、小樽に向かう。
 あたしは、部屋でじっと寝てる。

 あたし、何やってるんだろ……。

 ちょっとだけ泣いて、それから眠る。
 トントン
「沙希、寝てる?」
 ノックの音で、目が覚めた。時計を見ると、午後4時。
 そろそろ、みんなが帰ってくる時間、よね。
 トントン
 ノックの音で、我に返る。
 あたしは、パジャマ姿のまま、スリッパをつっかけて、ドアのところに歩いていった。
「はぁい」  カチャ
 ドアを開けると、ひなちゃんと彩ちゃんがいたの。
「ひなちゃん、彩ちゃん」
「たっだいまぁ〜。おみやげ買ってきてやったぞ」
 そう言いながら、ひなちゃんがあたしに紙袋を渡した。
「あ、ありがとう」
「それで、ハウドゥーユードゥー、調子はどう?」
 彩ちゃんが訊ねる。
「うん、もう大丈夫」
 一日寝てたから、大分楽にはなってるんだ。
「ま、今日の所はゆっくりと休んで養生したまえ。うんうん」
 あたしの肩をポンと叩くと、ひなちゃんは廊下の方を見て苦笑した。
「と、言いたいとこだけど、そうもいかないかぁ?」
「?」
 あたしが首を傾げると同時に、ドアの向うが騒がしくなる。
「あ、朝日奈に片桐! マネージャーは?」
「みんなじゃない、どうしたの?」
 あたしがドアから顔を出すと、サッカー部のみんなが来てたの。あたしの質問に、顔を見合わせてる。
 代表して、江藤くんが紙の手提げ袋を差しだしたの。
「どうしたのって、その、まぁお見舞いってやつ。はい、おみやげ」
「ありがとう」
 あたしは手提げ袋を受け取った。
 ひなちゃんは廊下の向こうの方をみて、ため息をついた。
「やれやれ。彩子、ちょろっと手伝ってくんない?」
「オッケイ。病み上がりの沙希に負担をかけるわけにはいかないしね」
 肩をすくめる彩ちゃん。なに、何なの? 
 あたしは、二人の肩ごしに廊下の向こうを見た。
 ぞろぞろと人がこっちに向かってくる。……って、まさか、ねぇ。
 ひなちゃんがそっちに駆け寄っていく。彩ちゃんはあたしにウィンクすると、その後を追いかけた。
 声が聞こえてくる。
「ちょっと待ちなさいってば。沙希は病み上がりなんだからね!」
「ソーリー、ごめんなさい。あ、きゃあ、押さないでってば!」
「こりゃ、俺達も行った方がいいな」
「ああ。二人じゃ押さえ切れそうにないぞ」
 そう言いながら、サッカー部のみんなもそっちに向かったの。あっという間に廊下は押し合いへし合いの大騒ぎ。
 な、何がどうなっちゃってるの?
 あたしは、部屋から出た。
「あ、沙希! 出ちゃ……わきゃぁ!!」
「うぉぉぉ!」
 ひなちゃん達が人波に飲み込まれちゃった。……って、その人波がこっちに向かってくるぅぅ!
「虹野さん、これ受け取って下さい!」
「お前、抜け駆けはなしだぞ!」
「こら、その手を放せ!」
「いやぁぁぁぁ!!」
 あっという間に人波に飲み込まれたあたし。
 ぎゅうぎゅうの押し合いへし合いの中で、気を失っちゃった……。
「それだけ、虹野さんには人気があるって事よ。いい加減に自分でも認めなさいな」
 結局いつものように、「奥義」とかで騒ぎを鎮めた館林先生は、あたしの熱を計りながら言ったの。
 でも、人気があるなんて、そんなことないと思うんだけどな。
 そう思いながら、布団にもぐり込んだあたしをみて、館林先生は肩をすくめたの。
「今、男子の間で三大レアアイテムって呼ばれてるもの、知ってる?」
 首を振るあたし。
 先生は指を折った。
「藤崎さんのヘアバンド、鏡さんのイヤリング、虹野さんのお弁当」
「あたしの、お弁当?」
「そうよ。それをほぼ毎日食べさせてもらってる主人くんは、今や男子生徒の羨望の的なんだから」
「そ、そんなぁ……」
 かぁっと赤くなって、あたしは布団の中にもぐり込んだ。
 ……そういえば、主人くん、来てくれなかったな。
 な、何を考えてるの? あたしってば……。
「何を考えてるか、当ててあげましょうか? 主人くん、来てくれないかな? でしょ?」
「せ、先生!」
「あはは。まぁ、そのうち放っておいても来ると思うわよ。もっとも……」
 先生は腕時計をちらっと見た。午後9時過ぎ。
「もうすぐ消灯時間だし、外はあの警備だから、今日はもう来ないかもね」
 警備って、なんのことなのかな?
 あ! それよりも……。
 あたしは、先生に尋ねたの。
「先生……。明日は……?」
「え? ああ、明日は動いてもいいかって?」
 こくんとうなずくあたし。だって、明日は主人くんと自由行動。約束、してるんだもん……。
 先生は、真面目な顔であたしをじっと見た。
「医者として言わせてもらうなら、ダメよ」
「……そう、ですか……」
 あたし、がっくりして、枕に頭を沈めちゃった。
 そんなあたしを見て、先生はくすっと笑ったの。
「でも、まぁ手は打っておくわ。それじゃ、お大事に」
 それだけ言って立ち上がると、先生は部屋から出ていったの。
 チッチッチッチッ
 時計の音だけが、部屋の中に響いてた。
 今頃、みんなどうしてるのかな……?
 なんだか、そんなことばっかり考えてる。
 ……ううん、違う。
 みんなじゃないの。
 主人くんはどうしてるのかな? って、それだけ。
 コロン
 寝返りを打って、壁をじっと見る。
 逢いたい……な。
 と。

 コン

 窓の方で音がした。
 あたしは振り返った。
 ……気のせいかな?
 そう思ったとき、もう一度、今度は連続で音が聞こえたの。

 コンコン

 窓を叩く音? でも、ここって7階、よね? それにベランダだってないし……。
 でも、確かに、音がしたよ。うん、間違いない。
 あたしは、起きあがって、窓のカーテンを開けたの。
 そこにいたのは……。
「主人くん?」
 あたし、思わず目が点。だって、窓の上にある小さな出っぱりに、主人くんがぶら下がっていたんだもの。
 その主人くんの口が動いた。あ……け……て?
 あ、そうか。
 あたしは、慌てて窓を開けた。ひやっとした空気と一緒に、主人くんの声が聞こえてきた。
「ふぅ、助かったぁ。開けてくれなかったらどうしようかと思った」
「ぬ、主人くん、どうして……ごほごほごほ」
「あ、いいから、虹野さんは早くベッドに入って」
 そう言いながら、主人くんは部屋の中に入ってくると、窓を閉めたの。
「う、うん」
 あたしは、言われたとおり、ベッドに横になった。主人くんは布団をかけてくれると、訊ねたの。
「どう? 具合は?」
「う、うん……」
 どうしよう。明日はダメだって、言った方がいいよね?
 そう思いながらも、言い出せないあたし。
 だって、そう言っちゃうと、主人くんは他の誰かと一緒に自由行動しちゃう。そんな気がして……。
 あたしは、話を逸らした。
「それにしても、どうして窓から?」
「いやぁ、廊下が通れなかったもんでさ」
 頭を掻く主人くん。
「?」
「さっき、廊下で大騒ぎがあっただろ? あのせいで、虹野さん面会謝絶になってるんだ」
「面会謝絶?」
「そ。今も虹野さんの部屋の前には、高野先生やら本渡先生やらが常駐してて、通れないんでね。それで窓からってわけ。にしても、死ぬかと思った」
 そう言って、肩を回す主人くん。
 高野先生はA組の、本渡先生はC組の担任の先生よね。ちなみに、どっちも若い男の先生。
「でも、そんな危ないことしなくても……」
「好雄のやつがさ、「簡単に行けるぜ」なんて言うからさぁ。そうそう、知ってる? 好雄のやつ、女子の部屋割りマップを男子生徒にばらまいてるって」
「そんなことしてるの?」
「正確には「してた」。そこを朝日奈に見つかって、大騒ぎになってさぁ」
 そう言っておかしそうに笑う主人くん。あたしもその場を想像すると、おかしくなっちゃった。
「あはははは」
「うふふふふ」
 と。
 トントン
 不意にノックの音がしたの。
「!?」
 あたし達は顔を見合わせた。
「虹野くん、人の声がするが、誰かいるのか? ちょっと入ってもいいか?」
 本渡先生の声!
 どうしよう。主人くんが見つかっちゃう!
 あたしは、とっさに布団をめくった。
「主人くん、ここに入って!」
「え? で、でも」
「早く!」
「……わかった」
 うなずいて、主人くんがベットにもぐり込んでくる。あたしはそれに布団をかぶせると、テレビを付けた。それから返事をする。
「ど、どうぞ」
 カチャ
 ドアが開いて、本渡先生が入ってきた。くるっと部屋を見回す。
「誰もいないな。しかし、さっきの声は……」
「テレビの声じゃないんですか?」
 と、その後ろから高野先生。
 ちょうど、つけたテレビではバラエティ番組をやってて、笑い声が聞こえてくる。
「そうか。ならいい。虹野、病気なんだから、早く寝た方がいいぞ」
「はぁい」
 あたしが返事すると、本渡先生はそのまま出ていったの。
 パタン
 ドアが閉まると同時に、あたしは大きくため息ついた。……よかった。
「に、虹野さん……」
 不意にお腹のところで声が聞こえて、あたしははっと我に返った。
 さっきは夢中だったけど……、今の姿勢って……。
 主人くんとベッドで……抱き合ってる……。
「きっ……」
 悲鳴を上げかけて、慌てて自分の口に蓋をするあたし。ここで悲鳴なんて上げたら元の木阿弥だもん。
 主人くんがごそごそとベッドから出てくる。
 あたし、どうしよう。やだ、主人くんの顔が、まともに見られないよぉ。
「そ、それじゃ俺、帰るよ」
 主人くんも慌ててるみたい。そのまま窓の方に向かった。
 その時、あたしの口から、声が出た。
「……もうちょっと、いて欲しいな」
「……え?」
 窓に手をかけたところで振り返る主人くん。
 あたし自身も、びっくりしてた。でも……。
「……わかった。もうちょっと、一緒にいるよ」
 そう言って、主人くんはベッドの脇に腰を下ろしたの。
 あたしは、その主人くんの顔を見上げた。
 優しいんだ。
「……ずっと、風邪、ひいてたいな……」
「え?」
「……なんでもない。なんでも」
 あたしは、毛布で顔を隠した。だって、やっぱり恥ずかしくて、顔が見られなかったんだもの……。
「……でもさ」
 主人くんの声。
「俺は、やっぱりいつもの元気な虹野さんの方が好きだな」
 えっ!? い、今、好きって言ったの?
 思わず顔を出したあたしに、主人くんは優しく微笑んでくれたの。
 どうしちゃったんだろ、あたし。なんだかほわほわして、頼りなくって、それでいて、ずっとこのままでいたい、そんな感じ。
 結局、主人くんは夜中の3時までいてくれたの。
 翌朝。修学旅行の5日目。
「38度7分。熱が下がってないわねぇ。虹野さん、夕べ何してたの?」
 体温計を見ながら、館林先生はじろりとあたしを見た。
「な、何にもして……ないです
 小声になりながら、布団に隠れるあたし。やっぱり、3時まで起きてたのはまずかったかなぁ……。
 先生は、肩をすくめた。
「そういえば、昨日の夜に、高野先生が言ってたわ。虹野さんの部屋にはネズミがいるみたいだったって」
 ぎくぅ!
 も、もしかして、高野先生、気付いてたのぉ?
 あたしは冷や汗たらたら……。
「ま、いいわ。ともかく、あなたは今日も外出禁止」  先生は、あたしの額をぴっと指してキッパリと言ったの。そして、不意に表情を和らげた。 「と言いたい所なんだけど、せっかくの修学旅行だしね。仕方ないわね。使わないにこしたことはないと思ってたんだけど」
 肩をすくめると、先生はポーチから一本の薬瓶を出したの。
「先生、それは?」
「スッキリナオールα。これを飲めば、どんな悪質の風邪もあっという間にスッキリ治るっていう薬よ」
「え?」
「ただし、人体実験はまだだって彼女は言っていたわ。だから、勧めたくないのよ。本当は見晴に飲ませてみようかと思ってたんだけど……」
 見晴ちゃんって、一体……。
 それはともかく。
 あたしは、手を伸ばした。
「ください。飲んでみます」
「よく言った。それじゃはい」
 先生は、薬瓶をあたしに渡したの。そしてポツリと一言。
「ちなみに、紐緒さんが作った薬なのよね」
 紐緒さんって、科学部の紐緒さん?
 一瞬迷ったけど、でも主人くんと自由行動したいもん。
 あたしはぎゅっと目を閉じて、薬瓶に口を付けた。その中身を一気にぐいっとあおる。
 ゴクゴクゴク
 全部飲み干して、あたしは薬瓶を置いた。
 ドクン
 不意に、心臓が大きく鳴った。
「な、なに?」
 心臓が激しく鳴りつづけて、全身がかぁっと熱くなる。まるで、身体が燃えてるみたい。
 あたし、どうなっちゃうの?
 熱い……。助けて、主人くん……。

《続く》

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