喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言

旅情編 その 激闘、キラーヒグマ!

羊ヶ丘教会
北海道の風景(7) 羊ヶ丘教会
 エレベーターから降りて、ロビーに出る。
 すっかり遅くなっちゃったな。主人くん、待っててくれてるのかな?
 もし、いなくなっちゃってたら、どうしよう?
 一瞬そう思って、だけどその時、ソファに座ってる見慣れた背中を見つけてほっとする。
「ごめんなさい! 待たせちゃって」
 そう言いながら駆け寄ると、ロビーにあるテレビを見てた主人くんが、振り返る。
「いや、俺も今来たところだし。それにしても、体はもういいの?」
「うん、平気よ。ほらほら」
 そう言ってガッツポーズをしてみせると、主人くんは笑ってあたしの頭をくしゃっとなでたの。
「きゃん」
「ま、何にしても、元気になってくれて安心したよ。それじゃ、そろそろ行こうか」
「うんっ」

 修学旅行の5日目。今日は一日、自由行動。
 あたし、虹野沙希は、主人くんと一緒に行く約束をしてたんだけど、風邪を引いちゃって、朝になっても熱が下がらなかったの。
 このままじゃ一緒に行けなくなるのかなって、がっかりしてたんだけど、館林先生が持ってきたお薬(科学部の紐緒さんが作ったんですって)を飲んだら、すっきりと治っちゃったの。
 ……一時は体が燃えるかと思うくらい熱くなって、大変だったんだけど。
 でも、まぁよくなったんだし、紐緒さんには感謝しなくちゃね。後でお礼を言いに行かなくちゃ。
「それで、今日は何処に行くの?」
「そうだねぇ」
 あたしは、主人くんが広げてる“札幌ガイドマップ”を覗き込んだの。
「近いところは一昨日回っちゃったしねぇ」
「そうだね……」
 不意に、主人くんと顔が急接近しちゃってることに気が付いて、あたしはぱっと離れた。
 昨日の夜のことを思い出して、顔がかぁっと火照っちゃう。
「あれ? 虹野さん、顔赤くない? やっぱり熱あるの?」
「え? あ、そんなことないよ。うん、大丈夫!」
「ホント? 虹野さんってすぐ無理するからなぁ。どれどれ?」
 主人くんは、あたしの額に手を当てた。
「きゃ」
「こらこら、動かないの。……うん、熱はないみたいだね。よかった」
 そう言って、手を離すと、主人くんは少し考え込んだ。
「でも、病み上がりであまりあちこち行ったり来たりするのも良くないよねぇ……」
「あ、そんなこと気にしなくてもいいのよ」
「そういうわけにもいかないさ。それじゃ、ここはどう?」
「そうね……」
 何げなく顔をあげると、テレビの画面が急に変わったの。
 アナウンサーが原稿を読み上げてる。
「番組の途中ですが、臨時ニュースをお知らせします。札幌で公演中のサーカスから、熊が逃げだしました。この熊は体長が約2メートル半、雄でかなり獰猛ということです。現在、警察と防衛隊で付近を捜索していますが、まだ発見されていません。道警では、臨時対策本部を設置して、付近の住民に警戒を呼びかけています」
「熊が脱走? 物騒な世の中だなぁ」
 主人くんはそう言うと、パタンとガイドブックを閉じた。
「んじゃ、羊ヶ丘公園でどう? あのクラーク像があるところ」
「クラークって、あの『少年よ根性を抱け』って言った人?」
「……虹野さん、それってちょっと違う」
 地下鉄とバスを乗りついで、やって来ました羊ヶ丘公園!
 バスを降りると、とりあえずレストハウスに入って、焼きトウキビを買ったの。
 主人くんも買って、二人で座って焼きたてアツアツのトウキビを食べてると、不意に声が聞こえたの。
「あら、見晴。こんなところで何してるの?」
 見晴ちゃん? それに、今の声、館林先生?
 あたしが振り向くと、土産物売場の影に、緑の髪がひょこっと引っ込むのが一瞬見えたの。
「?」
「あ、先生」
「ハァイ、主人くんに虹野さん。元気ぃ?」
 片手に熊の置物を持って、にこやかに手を振る先生。
「なんだ、先生も来てたんですか?」
 主人くんは立ち上がった。食べ終わったトウキビの芯をゴミ箱にポイッと捨てる。あ〜ん、あたしまだ食べ終わってないのに。
 あたふたしてるあたしをしり目に、主人くんは先生に近寄ろうとした。
 と、そのとき、いつの間にか後ろに回っていた見晴ちゃんが、いきなり主人くんに体当たりした。
「えいっ!」
「うわぁっ」
 不意を突かれてその場に転ぶ主人くん。
「ご、ごめんなさぁい」
「あ、君は……」
 振り返って、主人くんが声をかけると、見晴ちゃんはぽっと赤くなった。
「覚えててくれたんだ……。ごめんね、それじゃ!」
 そのまますたたっと土産物売場の向こうに走っていく見晴ちゃん。
 それをあ然と見送る主人くんとあたし。
 館林先生は、額を押さえた。
「やれやれ……」
 我に返って、あたしはトウキビ片手に主人くんに駆け寄った。
「大丈夫?」
「ああ。でも、まいったなぁ。ここでまでぶつかってくるとは思わなかった」
 苦笑して、立ち上がる主人くん。
 でも、ここでまでって?
 あたしの表情に気が付いたのか、主人くんは説明してくれたの。
「ああ、彼女、名前も知らないんだけど、時々廊下でぶつかって来るんだよ」
「名前も知らないの?」
「うん。まぁ、あんな髪型してるのは、あの娘かガオピンクくらいしか知らないから覚えてるんだけどね」
 ……ガオピンク?
 ま、まぁいいや。追求はしないことにしようっと。
「そうだ、虹野さんは、さっきの娘、知らない?」
「え? あ、うん……」
 ちらっと館林先生を見ると、……いない。
 あーん、どうしよう?
 結局、あたしは首を振った。
「ごめんなさい。知らないの」
「いや、虹野さんが謝る事じゃないって。それにしても、好雄も知らないって言うし、いったい誰なんだろう?」
 首をひねる主人くん。
 でも、早乙女くんが知らないはず無いよね。何度か逢ってるし……。早乙女くんも黙ってるだけなのかな?
「ま、いいか。それより、もういいの?」
「え? 何が?」
 聞き返したあたしに、主人くんはあたしの持ってるトウキビを指した。
「あ、うん。ちょっと待って」
 そう言って、かぷっと最後の一口。うーん、香ばしくて、それでいて甘い。いい味出してるなぁ。
「ごちそうさまっと。お待たせ」
 残った芯を捨てる。この美味しさ、やっぱり北海道まで来て良かったなぁって思うな。近所の八百屋さんで買ってきたとうもろこしじゃ、こうはいかないもんね。
「それで、どうするの?」
「クラーク像見に行く?」
「そうね、そうしましょうか」
 あたしはうなずいた。
 カラ〜ン、カラ〜ン
 レストハウスを出ると同時に、鐘の音が聞こえてきた。
 その音の方を見ると、わぁ、教会があるんだぁ。
 その出口のところに、人が一杯いる。
 あ、もしかして!
「なんだろう?」
「きっと、結婚式よ」
 さっきのは、ウェディングベルね、きっと。
 あ! 出てきた!
 白いウェディングドレスに身を包んだ女の人と、タキシード姿の男の人。
 いいなぁ。幸せそうな花嫁さん。
「へぇ、結婚式もやってるんだ」
「……うん」
「広子さん、おめでとう!」
「おめでとぉ〜!」
「わぁー、ぱちぱちぱち」
 うわぁ、ライスシャワーっていうんだよね。みんながお米を投げてる。
 その中を、腕を組んで歩く二人。
 と、ひときわ大きな歓声が上がる。あ、花嫁さんがブーケを投げたんだ。
 ブーケを受けとめた女の子、いいなぁ……。
 そのまま、オープンカーに乗り込む二人。オープンカーは、空きかんを引っ張りながらゆっくり動きだす。
 カラカラカラカラ
「わぁ……、いいね、主人くん」
「ふわぁ。え? 何?」
 ……欠伸してる主人くん。
 あたしは、無言でその腕をぎゅっとつねってあげた。
「いてて、ごめんごめん」
「ふんだ。もう」
 口をとがらせるあたし。主人くんって、こういうところ本当に鈍いんだからぁ。
 ……でも、戎谷くんみたいに、こういうところに聡いのもちょっといやだしなぁ。うーん。
 そんなこんなで、クラーク像の前に来たの。
「少年よ大志を抱け、か」
「うん。根性のある言葉よね」
「……そ、そう?」
 あたし達は、クラーク像を見上げた。
 大きいなぁ。
 と。
「わあぁー、逃げろぉ!!」
「きゃぁ〜!」
「た、助けてくれぇ!」
 向こうの方から悲鳴が聞こえてきたの。
「何?」
 そっちを見て、あたし達はしばし呆然。
 く、熊が出た、の?
 そこに立ってるのは、間違いなく大きな熊だったの。手と口は血塗れ……きゃぁ! 熊の足許に、羊さんが血だらけになって倒れてるぅ!
「虹野さん、逃げろ!」
 ぼう然としてたあたしを現実に引き戻したのは、主人くんの怒鳴り声だったの。
「え?」
 でも、熊はその声に、あたし達の方に向いたの。
 わぁっ! こっちに向かってくるよぉ!!
「虹野さん!」
 主人くんの声。
 だ、だめ。足が、動かないよぉ。
 熊は、公園の柵を押しつぶして、あたしに近づいてくる。
 うなり声が、すくんでたあたしにもだんだん大きく聞こえてくる。
「危ない!」
 ザッ
 はっとしたときには、あたしは主人くんに横抱きにされてた。
 見上げる主人くんの額を、赤いものが流れ落ちる。……血?
「主人くん!!」
「早く逃げて! 俺があいつを引き付けてるから!」
 そう言いながら立ち上がる主人くん。
「で、でも……」
「早く!」
「う、うん」
 あたしは、振り返りながらも駆け出した。
 教会の前まで来て、あたしは振り返った。
 遠くに見えるクラーク像の前で、熊と主人くんがにらみ合ってる。
 ……あ、熊の後ろに……。
「ええいぃっ! 鉄山靠!!
 ドカァッ
 熊の後ろから、見晴ちゃんが体当たりした。でも、熊はびくともしない。
「え? あ、あの、ごめんなさぁ〜い!」
 そのまますたたたっと逃げる見晴ちゃん。熊は一瞬そちらを見たけど、すぐに主人くんに視線を戻す。
 グルルルル
 ど、どうしよう、ほんとに主人くん、食べられちゃうよぉ。
 あたしは、ぐっと拳を握った。
 あたしがあの熊の注意を引いて、主人くんにはその間に逃げてもらって……。
 と、
「妙なことに巻き込まれちゃったなぁ」
 不意に、横で声がした。あたしはそっちを見て、目を疑った。
「さ、沢渡くん?」
 ジャケットを羽織ったその横顔、今年サッカー部に入ってきた1年の沢渡くんにそっくりだったの。
 でも、沢渡くんがここにいるはず、無いよね?
「? 俺の名前を知ってるの?」
 その人は、あたしを見た。それから、熊に視線を向けなおす。
「ま、それは後回し、と」
 そう言いながら、振り返る。
「姉さん、俺のバッグにボールが入ってるから、取って」
「もう、人使いの荒い!」
 後ろにいたのは、あたしと同じくらいの歳の、可愛い女の子。膨れながら、抱えてたスポーツバッグを下に置いて、ジッパーを引くと、なかからサッカーボールを出してその人に渡した。
「はい」
「サンキュ。んじゃ、行って来るよ」
 その人は、ボールをポンと蹴り上げると、そのままドリブルしながら駐車場を横切って、熊に駆け寄っていく。……って、ちょっとぉ!
 でも、早い。
 下はもちろん、アスファルトや石畳になってる。ボールの跳ね方なんて、グラウンドとは全然違うのに、それでもグラウンドでプレイしてるみたいに易々と。
 それにあのスピード。うちで一番早い江藤くんが快速ドリブラーなら、特急ドリブラーってくらい早い。
 あっという間に熊の前まで着いちゃった。
「手助けするぜ」
「え?」
 振り返る主人くん。あ、今振り返ったら危ない!
 熊が大きく腕を振り上げた。
「主人くん!!」
 その瞬間、その人はポンとボールを蹴り上げ、そのままそのボールを空中で蹴った、……んだと思う。
 ドガァァッ
 その矢のようなシュートが、熊のみけんに突き刺さった。そのまま、どうと倒れる熊。
 い、今の……。
 ファンファンファン
 その時になって、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。あたしがそっちを見ると同時に、何台もの車が止まって、お巡りさんや猟銃を持った人達が駆け下りてくる。
「こちらは、北海道警察です! みなさんはこちらに避難して下さい!」
 グアァァァァ
 熊の声が聞こえて、あたしはそっちを見た。
 熊が起き上がってきた。なんだか、前よりも興奮してるみたい。
「主人くん、逃げて!!」
 あたしは叫んだ。
 と、
「おらに任せとけ」
 そう言って、一人の猟師さんが、立ったまま猟銃を構えた。
 お巡りさんが慌てて止めようとする。
「ま、待って下さい! 近くに子供が!」
「なに、この名銃“次郎丸”があれば、こんな距離など関係ねぇよ」
 その猟師さんの言葉を聞いて、お巡りさんはあっと声を上げたの。
「そ、それが名銃“次郎丸”!? では、あなたが、伝説の“正義のマタギ”なんですか!?」
「?」
 正義のマタギ?
 猟師さんは、にっと笑うと、カチャッと撃鉄(っていうんだって後で教えてもらったの)を上げた。そのまま狙いを付ける。
 そのままの姿勢で、小声でブツブツ言いはじめた。
「エネルギー充填率120%。対衝撃、対閃光防御。ターゲットスコープ、オープン。発射!」
 クワァァッ
 その瞬間、何が起こったのか、よくわかんなかった。なんだかすごい光が辺りを満たして、何も見えなくなって。
 ドタァン
 何かが倒れる音がして、あたしはそっちを見た。
 次第に光が薄れて、辺りが見えるようになってくる。
 あっ! 熊が倒れてる。
 死んじゃったのかな?
 楯を持った機動隊のお巡りさん達が遠巻きに見てるけど、熊はピクリとも動かない。
 さっきのお巡りさんが猟師さんに尋ねる。
「あ、あの、殺したんですか?」
「いや、寝てるだけだから、今のうちにひっ括って檻に入れておけばよかろう。あっはっはっは」
 猟銃を担いで笑う猟師さん。
 あ、お礼言わなくちゃ。
「あの、ありがとうございました」
 あたしが声をかけると、猟師さんは笑顔であたしに言ったの。
「なぁに。これが仕事だでな。それより、彼氏のところに早く行ってやりなって」
「え? か、彼氏なんて、そ、そんなぁ」
 かぁっと赤くなってあたしが言うと、猟師さんはまた笑った。
「あの子、根性あるぞ。その気があれば、いいマタギになれるぞ。んじゃな」
「あ、はい。ありがとうございました」
 あたしはもう一度頭を下げると、主人くんに駆け寄っていった。
「主人くん、大丈夫!?」
 その声に、主人くんは顔をあげてあたしの方を見た。
「虹野さん」
「あ、怪我してるじゃないの!」
 主人くんの額を、血が流れてる。あたしは慌ててハンカチを出すと、その血を拭ったの。
「大丈夫、大した怪我じゃないよ」
「いいから、見せて!」
 あたしは、主人くんの頭をかかえて、髪の毛をかき分けた。
 よかった。ちょっと切り傷になってるだけみたい。
「に、虹野さん……」
「いいから、じっとしてて!」
 そう言って、ポーチから消毒薬を出す。マネージャーしてると、いつも応急手当ができるくらいの薬を持ち歩く癖が出来ちゃってたんだけど、やっぱり「備えあれば嬉しいな」っていうのはホントね。
「ちょっと滲みるから、我慢してね」
 断って、消毒薬を吹きかけると、それから考える。ここじゃ、バンドエイド貼れないよね。
 そうだ。
 ガーゼを傷に当てると、あたしは制服のスカーフを外した。それを包帯がわりに巻いて、ガーゼを止める。
「これで、よし、と」
「お、終わった? 虹野さん」
「うん。お待たせ」
 って言ってから、はっと気付いた。あたし、地面に座りこんで、主人くんを膝枕してたの。
「きゃ! ご、ごめんなさい!」
「い、いや、こちらこそありがと」
 そう言って、立ち上がる主人くん。
 と。
「いやぁ、目の毒だったなぁ」
「よしなさいよ」
 あ、さっきの沢渡くんに似た人と、もう一人の女の子。
 主人くんも目を丸くしてる。
「沢渡?」
「さっきのそっちの娘もそうだけど、俺のこと知ってるの? 俺、君達とは初対面だと思ってたんだけど」
 その人は目をぱちくりとさせた。そして、振り返ると、後ろにいた女の子に尋ねる。
「姉さんの知り合い?」
 その娘は黙って首を振った。
 あたし達は、しばらく顔を見合わせてた……。

《続く》

 メニューに戻る  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く