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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言

 鉄人と助手 後編


 文化祭まで残りちょうど一週間。今日は日曜日。
 ピンポーン
 チャイムの音に、あたしは玄関に駆け出した。
 ドアを開けると、古式さんとみのりちゃんがにこにこして立っていたの。
「こんにちわ。本日はわざわざお招きいただきまして、ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げる古式さん。みのりちゃんは満面の笑み。
「虹野先輩からお招き頂けるなんて、感激です!!」
「げ、秋穂みのり! あんた性懲りもなくお姉さまにまだつきまとってたの?」
 あたしの後ろから葉澄ちゃんがひょこっと顔を出して、顔を蹙めた。あ〜あ。
「あんたこそ、まだ虹野先輩の家にいたの!? なんてずうずうしい」
「うるさいわね。私とお姉さまの愛はあんたなんかにわかってたまるもんですか。べぇ〜っだ」
「ぬわんですってぇ! このぉ、食べちゃうぞぉ!」
 ……みのりちゃん、新しい芸風身に着けたのかな?
 っと、いけないいけない。
「葉澄ちゃん、今日はみのりちゃんも古式さんも大事なお客さまなの。だから……」
「ひっ、ひどいですお姉さま、そんな女の肩を持つなんて! あの優しいお姉さまはどこにいってしまったの? よよよ〜」
 玄関先で泣き崩れる葉澄ちゃん。
「あの、葉澄ちゃん?」
「虹野先輩っ!」
「はいっ」
 みのりちゃんにいきなり怒鳴られて、思わず“気をつけ”の姿勢をとってしまうあたし。
 そのあたしの鼻先にぴっと指をつきつけて、みのりちゃんは言ったの。
「そんな風に先輩が甘やかすからつけあがるんです! もっと……」
「あら、こんな所にバナナの皮が」
「え? きゃぁっ!」
 ズベシィン
 どこからともなく現れたバナナの皮を踏みつけて、ものの見事にすっ転ぶみのりちゃん。
「いったぁ……。こ、このっ、あんたの仕業ねっ!」
 座りこんだまま、葉澄ちゃんを見上げて怒鳴ってる。
 あーん、どうしよう?
 やっぱり、あたしじゃこの2人を仲裁なんて出来ないよぉ。
 と。
「まぁまぁ、お二人とも。虹野さんが困っていらっしゃいますよ。ここはひとまず、わたくしに免じて、矛をお収め下さいませんか?」
 古式さんが2人の間に割って入ったの。
 2人は同時に古式さんを見た。それも、「じろっ」なんてもんじゃなくて、「ぎろっ」っていう感じ。
 でも、古式さんはいつも通りににこにこしてる。
「よろしいですね?」
「はぁい」
「わかりました」
 ……え? う、うそぉ。
「それじゃ、はい2人とも手を出して下さいな。はい、握手」
 あ然としてるあたしをおいて、古式さんは葉澄ちゃんとみのりちゃんを握手させちゃった。
 そういえば、よくひなちゃんが言ってるなぁ。「あたしゃゆかりには勝てないんだよねぇ」って。その訳がわかったような気がする。

「はい、こっちが台所です」
「それでは、お邪魔いたします」
 丁寧に頭を下げてから、古式さんが入ってくる。
「わぁ、ここが虹野先輩のルーツなんですねぇ」
 きょろきょろ見回すみのりちゃん。
「どうってことない普通の台所なんだってば。ま、座って座って。今、冷たいもの出すから」
 あたしは、2人に食卓に座ってもらってから、冷蔵庫から冷やしておいた杏仁豆腐を出して2人の前に置いたの。
 それから、改めて頭を下げた。
「来週の鉄人では、よろしくお願いします」
「はい。改めて、お引き受けしますね」
「任せて下さい! 先輩のためにがんばります!」
「ありがとう」
 もう一度頭を下げてから、あたしも食卓についた。
「それで、今日集まってもらったのは、作戦会議ってほどでもないけど、取りあえず打ち合わせした方がいいかなって思ったからなんだけど」
 そう言ってから、あたしは頭を掻いた。
「でも、何の打ち合わせをすればいいんだろ?」
「そうですね。まずは、わたくしと秋穂さんがどれくらいの作業をこなせるのかを、虹野さんに把握して頂くのがよろしいのではないでしょうか?」
 古式さんが小首を傾げながら言った。
「そうね」
 あたしはうなずいた。
「古式さんがお料理してる所は夏合宿で見ただけだし、みのりちゃんには練習試合のときのお弁当作るときなんかに手伝ってもらってるけど、本当はどれくらい出来るのか、なんて知らないから……」
 そこまで言って口ごもった。それにしても、どうやって計ればいいんだろ?
「それで、私が呼ばれたんですか?」
「ごめん、未緒ちゃん」
 急に呼び出したんだけど、未緒ちゃんは笑って食卓に着いた。
「そうですね。お二人にお料理を作っていただけばいいんじゃないですか?」
「あ、そうか」
 料理の腕を見るんだから、料理を作ってもらえばいいのか。考えてみれば簡単なことよね。
「どのようなお料理を、作ればよろしいのでしょうか?」
 古式さんが訊ねると、未緒ちゃんは少し考えてから微笑した。
「今、冷蔵庫にあるもので、お昼ご飯になりそうなものを」
「買い物に行かないで、ですか?」
 みのりちゃんが訊ねると、未緒ちゃんはうなずいた。
「確かに沙希さんが料理を考える人で、お二人はその指示に従う人ですけど、でも在り合わせの食材を使って料理する、という感覚に慣れた方がよろしいのでは?」
「そうですね。わかりました、不肖秋穂みのり、がんばります!」
 みのりちゃんは袖をぐいっとまくった。
 トントントン
 ジュージュー
 あたしと未緒ちゃんは、台所を歩き回る古式さんとみのりちゃんを後ろから注意深く見てた。
「包丁捌きには、古式さんに一日の長があるようですね」
「うん。魚のおろし方なんてすごいんだよ、古式さんは」
「なるほど。ただ、洋食系にはうといようですね。沙希さん、古式さんには外国の野菜などを取りに行かせないことです。きっと解らなくなって立ち往生してしまいますよ」
「そうね。それじゃ、和食系の指示をするときには古式さんで、そのほかはみのりちゃんってことかな?」
「そうですね。ただ、包丁の冴えは沙希さんをもしのぐ、と言うことですから、その辺りを生かせるようにした方がいいと思います。思い切って、包丁を使う仕事は、すべて古式さんにお任せする、くらいのつもりでいた方が……」
 未緒ちゃんはそう言うと、少し考え込んだ。
「これで、大体ポジションは出来ましたね。沙希さんがメインで料理を行う。包丁を使う仕事は古式さん。秋穂さんは沙希さんの仕事のバックアップ」
「バックアップって、どうすればいいのかな?」
「何人分作ればいいのですか?」
 聞き返されて、あたしは考え込んだ。
「えっとね、伊集院くんと、あと審査員が3人と、予備にもう一人分だから、5人分かぁ」
「ですよね。ですから、下ごしらえとかお皿への盛り付けとかは、ある程度の技術があればできるじゃないですか。そういう部分は、まず1人分沙希さんがやってみせれば、あと4人分はみのりさんに任せてしまってもいいと思いますよ」
「あ、なるほど。さすが未緒ちゃん」
 あたしがポンと手を打ってうなずくと、未緒ちゃんは苦笑した。
「いえ、そんなことは……」
「わぁ、すごい!」
「御粗末様です」
 30分で、あたしと未緒ちゃんの前には、いろんなお料理が並んでたの。
 冷蔵庫の中って、そんなに材料は残ってなかったと思うんだけど。
「さ、虹野先輩、それに如月先輩も、召し上がれ」
「いただきまぁす。あ、これは?」
「きのこのリゾットですぅ」
「へぇ、すごい。……うん、美味しいな」
「わぁ、ありがとうございますぅ」
 手を合わせて喜ぶみのりちゃん。あたしは、ほかほか湯気を立ててる炒飯をお皿に取りながら訊ねたの。
「こっちの炒飯は、古式さんが作ってたやつよね?」
「はい。わたくしが作らせていただきました」
 にこっと笑う古式さん。
 作るところを見てたんだけど、ちょっと意外だったのよね。だって、炒飯って和食じゃないよね? ま、確かに手軽に作れるけど……。
「でも、手軽とは言え実は繊細にして奥が深い、中華料理の真の実力がそれで計れると言っても過言ではない料理、それが炒飯!」
「ちょっと、ちょっと、沙希さん。座って食べましょう」
 くいくいとトレーナーの裾を引っ張られて、ハッと我に返るあたし。
「あ、ごめん。ちょっと盛り上がっちゃった。えへへ」
「それでは、どうぞ」
 うながされて、あたしは改めて炒飯をジッと見た。
 具には卵のみ。いわゆる“黄金炒飯”って呼ばれてるやつかぁ。
 シンプル故に、その腕が非常に問われるやつよね。
 ぱくっ
「うーまーいーぞーーーっ!!」
「沙希さん、だから立たなくてもいいんですってば」
「え? あ、うん」
 あたしは座りなおすと、蓮華でもう一度、炒飯をすくって口に運んだ。
「うん。美味しい。ちゃんとご飯もほぐれてるし、油もベタベタになってないし、それになんていってもこの卵。ふっくらしてて、つやつやしてて……」
「まぁ、ありがとうございます」
 頭を下げる古式さん。
「これは、どなたに習われたのですか?」
 未緒ちゃんも炒飯を口に運びながら訊ねた。
「はい。わたくしの家に出入りしております、周さんという方から、以前教えていただきました」
「へぇ〜。やっぱり中国の人なのかな?」
「さぁ、詳しくは知りませんが」
 小首を傾げる古式さん。
「あ、虹野先輩! その唐揚げ、私が作ったんですよ。どうですか?」
「え? あ、うん」
 ぱくり
「あ、美味しい」
「わぁぃ♪」
 手を打って喜ぶみのりちゃん。でも、これって鶏じゃないよね?
「何の唐揚げなんですか?」
 未緒ちゃんが訊ねると、みのりちゃんは笑って答えた。
「お豆腐です。豆腐を焼いてから揚げたんですよ」
「あ、やっぱりお豆腐だったんですね」
 うなずく未緒ちゃん。
 あたしはぎゅっとみのりちゃんの手を握った。
「すっごぉい! みのりちゃん、よく思いついたね!」
「そんな、虹野先輩に較べたら大したことないですよ。それに、豆腐の唐揚げだって、前に虹野先輩がやった豆腐のステーキから思いついたんですもの」
 みのりちゃん、照れて真っ赤になってる。うふ、可愛いなぁ。
「今日はお邪魔いたしました」
「それじゃ、また来ますね!」
「また明日」
 3人が帰っていくのを見送ってから、あたしは踵を返して家に入ろうとして、ぎょっとして立ち止まったの。
「お姉さま」
「は、葉澄ちゃん。どうしたの?」
 三和土の上がり口のところに、葉澄ちゃんが腕を組んでプッと膨れて立っていたの。
「なんでもないです」
 ぷいっと横を向く葉澄ちゃん。
 しょうがないなぁ、もう。
「はいはい。今日は葉澄ちゃんの好きなメニューを作ってあげるから、それで機嫌直して。ね?」
 そう言うと、葉澄ちゃんはにこっと笑ってうなずいた。
「わぁい、ありがとうございますぅ」
 ま、練習にもなるから一石二鳥ってやつよね。
「私、今日は沙希お姉さまの手作りのビーフシチューが食べたいですぅ。ほら、何とかカニってやつ」
「……もしかして、ブーケガルニのこと?」
「そうそう、それですぅ。さすがお姉さま!」
「えっと、ブーケガルニあったかなぁ?」
 あたしは首を傾げながら、台所に戻っていったの。
 それから、あっという間に一週間がたって、とうとう文化祭が始まったの……。

《続く》

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