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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第

話
どきどき沙希ちゃん

「さぁ、料理の鉄人勝負、いよいよ残りはあと1分を切りました!」
ひなちゃんのアナウンスの声が聞こえてくる。
どうしよう! まだ、何にも出来てないのに……。
「おや、沙希はまだなんにも出来てないみたいですねぇ」
「そうだな。この程度だったとは、期待はずれだったよ、虹野くん」
伊集院くんが相づちを打つ。
「料理が得意、なんて公言しておいて、このざまとはなぁ」
「まったくだぜ」
観客席からも、そんな声が聞こえてくる。
あたしは、キッチンを前にして、もう動けなかった。
「虹野先輩、見損ないました」
「え?」
その声に顔を上げると、みのりちゃんが、あたしを見おろしてた。
「みのり……ちゃん」
「もう、口も聞きたくありません」
ドン
みのりちゃんは、包丁をまな板に突き立てると、くるっとそのまま背中を向けた。肩ごしに一言だけ言って。
「さよなら、虹野先輩」
「みのりちゃん!」
「それでは、わたくしも失礼いたします」
「古式さん!?」
慌てて振り返ると、和服姿の古式さんが、すたすたと歩き去っていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
「声も聞きたくありませんわ」
「そんな……」
あたしが思わず立ち止まった間に、黒い服の男の人たちが古式さんを取り囲んだ。古式不動産の人たち。
「お嬢さまに近寄るんじゃねえ」
「どけっ」
「きゃっ」
その黒い服の人達に突き飛ばされて、あたしはその場に尻餅をついた。
「虹野さん……」
「えっ!?」
後ろを見ると、主人くんが立ってた。片手にあたしの作ったお弁当を持ってる。
「主人くん……」
「こんなものが喰えるかぁっ!」
主人くんはそう叫ぶと、お弁当を床に叩きつけた。
ガシャァン
お弁当箱が壊れる音。
それと、あたしの悲鳴。
「いやぁぁ〜〜〜っ!!」
ガバッ
あたしは飛び起きた。慌てて辺りを見回す。
薄暗いあたしの部屋。
「……夢、だったの?」
胸に手を当てる。もの凄い早さで心臓がドキドキいってる。
「むにゃ……。お姉さまぁ……」
あたしの隣で、葉澄ちゃんがそう呟くと、ころんと寝返りを打った。
やっぱり、夢だったんだよね?
はふぅ……。
おおきくため息ついて、壁のカレンダーを見上げる。
窓から入ってくる月の光に薄ぼんやりと照らされて、赤い大きな丸が見える。
あたしはブンと頭を振った。
やれるだけのことはやってるつもりなんだけど……。でもやっぱり……。
時計をちらっと見る。午前4時。
今から寝なおすには中途半端だし、また悪い夢をみそうだし。
隣で眠ってる葉澄ちゃんを起こさないように、そっとベッドから出ると、あたしはカーディガンを羽織って部屋から出た。
あっという間に、あれから1週間が過ぎて、いよいよ今日から文化祭。
あたしの出る「きらめき高校料理の鉄人」は2日目、つまり明日なの。
覚悟は決めてたつもりだったんだけど、流石に日が迫ってくると、だんだんと不安になって来ちゃって。
ここ何日かは、悪い夢ばっかりみて、あんまりよく眠れないの。
こんなんじゃいけないって、わかってはいるんだけど……。
はふぅ。
廊下の壁に寄りかかって、あたしはため息をついた。
小声で、呟いた。
「主人くん……。どうしよう?」
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ
アラームの音が鳴ってる……。
あれから、またベッドに戻って、うとうとしてたはずなんだけど……。
と、ドアがガチャッと開いて、葉澄ちゃんが入ってきた。
「お姉さま、はいこれ」
「え?」
葉澄ちゃんは、あたしに受話器を渡したの。突然、どうしたの?
取りあえず、耳にあててみる。
「もしもし……?」
「あ、虹野さん? まだ家にいたんだ」
「え? 主人くん? ……ああーーーーーっ!!!」
あたし、思わず叫んでた。慌てて時計を見る。
午前10時!?
「なななな!?」
あたし、思いっ切りうろたえ状態。受話器にぺこぺこ頭下げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 今すぐ行くからっ!」
「あ、もしもし? 虹野さん?」
あたしってば、もうバカバカバカ。今日は主人くんと見てまわろうって約束してたのに!
よりによって、寝坊するなんて!
「虹野さんってば!」
電話の向こうで主人くんの叫ぶ声がして、あたしは慌てて聞き返した。
「え? なになに?」
「あのさ、やっぱり迷惑だったかな? 今日強引に誘ったりして……」
「ううん、そんなことないよ。嬉しかったな。……あ」
なんだかとんでも無いこと言っちゃった気がする。
かぁっと赤くなりながら、あたしは慌てて言葉を継いだ。
「えっとね、変な意味じゃなくて、その、あ、急いで行くね!」
ピッ
電話を切って、あたしは慌ててパジャマを脱いだ。
えっと、ブラジャーはどれを……。
「お姉さま、ステキ」
「きゃぁぁぁ!! は、葉澄ちゃん!?」
慌てて胸を押さえてとびすさると、あたしは壁にぴたっと背中をつけて、ドアの方を見たの。
葉澄ちゃんが両手を組んでうるうるしてる。
「いつ見てもステキですぅ、お姉さまぁ」
「……あのね。葉澄ちゃん、学校は?」
「今日はお休みですぅ」
そういえば、葉澄ちゃんの中学校って、半分週休二日なんだっけ。たしか、一月に2回、土曜が休みなのよね。
「だから、今日はお姉さまと一緒だって思ってたのに、あの男と約束してるなんて、ガッカリですぅ。でも、いいもの見られたからいいかぁ」
「いいものって、葉澄ちゃん……」
「さ、今日も頑張るぞっと! るんるんる〜ん」
鼻歌を歌いながら、葉澄ちゃんは行っちゃった。と、ひょいっと顔を出す。
「あ、お姉さま。ブラジャーなら、あのピンクのやつが可愛いと思いますよぉ」
「そ、そう?」
「はい」
にこっと笑って、今度こそ葉澄ちゃんは廊下をとたたっと走って行っちゃった。
あたしは胸を押さえてた腕をおろして、深くため息。っと、そんな場合じゃなかったぁ!!
タタタタタッ
「ご、ごめんなさ、はぁはぁはぁ」
家から学校まで全速で走ってきたから、息が切れちゃって。
“きらめき祭にようこそ”って書かれた大きな看板の前で待っててくれた主人くんの前で、あたしはぜいぜいと息をついていた。
やっと息を整えて、顔をあげると、主人くんなんだか妙な顔してる。
「主人くん?」
「えっと、その、あのさぁ……」
主人くんは、ほっぺたをぽりぽり掻いて、明後日の方を見ながら言ったの。
「制服、ずれてるよ」
言われて自分の格好を見てみると、制服がずれてて、ブラジャーの肩ひもが見えて……る。
「わきゃあ!」
慌ててその場で制服を直すと、あたしは他のところもチェック……。あ、スカートのジッパー上げてない。
ジッパーも上げて、ついでに髪もちょっと直してから、そっぽ向いてる主人くんに声をかける。
「あ、もういいよ」
「いいの?」
そう聞き返してから、あたしの方に向き直る主人くん。
あたしと顔を見合わせて、2人で何となく笑っちゃった。
「あっはっはっは」
「えへへっ」
「虹野さん、疲れてる?」
廊下を歩きながら、主人くんが心配そうにあたしの顔を覗き込んだ。
「ううん、そんなことないよ」
「ならいいけど」
そう言うと、主人くんはプログラムを開けて一つうなずく。
「あ、ちょうどそこが喫茶店やってるみたいだ。休んでいこうよ」
「うん……」
あたしはうなずいて、主人くんの後を着いていった。
「いらっしゃいませぇ!」
「わ! び、びっくりしたな」
「あ、虹野先輩!」
たたたっと駆け寄ってきたのは、みのりちゃんだったの。あ、ここって、みのりちゃんのクラスだったのよね。
「みのりちゃん?」
「えへ、主人先輩も、来てくれるなんて嬉しいです」
ウェイトレスの服、なのかな? 青い服が似合ってるんだ。
「なかなか似合ってるじゃないか」
「もう、主人先輩ったら、上手いんだから!」
ドン
「おうわぁ!」
主人くん、みのりちゃんに突き飛ばされて、テーブルに突っ込んじゃった。
「きゃぁ、ごめんなさぁい。でも、主人先輩は丈夫だから大丈夫ですよね?」
「あのなぁ」
苦笑しながら立ち上がる主人くん。あたしは駆け寄った。
「大丈夫?」
「ああ、なんてことないけど。でも、お客に狼藉するのは良くないぞ、秋穂さん」
「えへへ」
頭を掻くみのりちゃんに、主人くんはにやっと笑った。
「割引だね」
「あーん、主人先輩、それだけは許して下さいぃぃ」
慌てておたおたするみのりちゃん。主人くんとあたしは、顔を見合わせて笑っちゃった。
「はい、ブレンド2つです」
あたし達の前にコーヒーを置くと、みのりちゃんはお盆を胸に抱いて、あたしに言った。
「虹野先輩、明日は頑張りましょうね!」
「そうね」
あたしは、コーヒーにお砂糖を入れてかき回しながら、答えたの。
「それにしても……」
みのりちゃんは、窓から校庭を見たの。そこには、大きな野外ステージが出来てる。
今夜から突貫作業で、あそこをキッチンスタジアムに改造するんだって話よね。
「本格的だなぁ、伊集院のやつ」
主人くんも、みのりちゃんの隣で校庭を眺めてる。と、不意に振り返った。
「勝負は時の運っていうし、気楽にいこうぜ」
「……うん。ありがとう」
あたしは、うなずいた。
だけど、やっぱり……。
結局、今日一日は上の空で終わっちゃった。
そして……。
《続く》

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