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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第

話
アレ・キュイジーヌ 後編
※今回は、いつもと型式を変えてお送りしています。
イタリアのデザイナー、ルノ・マッティーニの豪奢な洋服。非日常性の極みであり、一つ間違えるとピエロとなりかねないデザインである。
だが、その青年は、その洋服を華麗に着こなしていた。
彼が校庭に出現した現代のコロセアム、“キッチンスタジアム”の壇上に上がると、拍手と歓声と女性のため息がわき上がる。
その青年、伊集院レイは、そのざわめきを、黒い革手袋をはめた片手を上げて押さえると、静かに口を開いた。
「私の記憶が確かならば、古来、食は文化なり、という。ならば文化の祭典たるこの日に、食を競うもまた一興というもの」
一旦言葉を切り、レイは静かにステージから階段を降りて、キッチンに立った。そして、さっとバックステージの方に手を挙げる。
「それでは、まずは我がきらめき美食アカデミーの誇る鉄人を紹介します。甦るがいい、アイアンシェフ!」
ゆっくりと、青いコックコートに身を包んだ沙希が、自分の肖像画の前に姿を現した。
夕子がマイクに向かって叫んだ。
「さぁ、きらめき高校の誇る料理の鉄人、言わずと知れた根性娘の虹野沙希。その料理と根性で、今日はいかなる勝負を見せてくれるのでしょうか!? おおっと、あの右手にあるのはお弁当箱だ! そう、かの有名な「虹弁」だぁっ!!」
沙希は、夕子の言うとおり右手にお弁当箱を持っていた。いつも、公に食べさせているお弁当を入れているお弁当箱を。
(公くん……)
不思議と、冷たいはずのお弁当箱が暖かい。さっきまで手を握っていてくれた、その公の手のように。
それだけで、沙希は不思議と落ちついていた。
一方、レイは落ち着き払った沙希の様子に満足げに笑みを浮かべると、さっと振り返って入場口の方に手を振った。
「それでは、挑戦者をここにお招きしましょう。きらめき高校をして、虹野鉄人に挑戦出来るのは、彼女しかいない。そう私は判断しました」
そこで一呼吸置いて、レイは叫んだ。
「それでは皆さん、拍手でお迎え下さい。挑戦者、藤崎詩織!」
オオーーッ!!
キッチンスタジアム全体がどよめいた。そして、壇上の沙希も一瞬、顔色を変えた。
夕子が興奮した口調でマイクに叫ぶ。
「鉄人虹野に対する挑戦者が、とうとうその秘密のヴェールを脱いだ! なんと、あの、藤崎詩織だぁ!! アイドルデビューの為のレッスンに忙しく、最近はあまり学校にも来ていなかった藤崎詩織が久しぶりに帰ってきた場所は、この“キッチンスタジアム”だったぁ!」
もはや、きらめき高校に彼女の事を知らない者はいない。芸能界デビューが決まり、「きらめき高校のアイドル」から、本物のアイドルに羽ばたこうとしている、その緋色の髪の少女のことを。
その詩織は、ゆっくりとキッチンロードを踏みしめて、入ってきた。その後ろに、その助手を務める二人を従えて。
3on3大会の予選を順調に突破し、見物に来ていた芹澤勝馬は、その助手の一人を見て、思わず立ち上がった。
「奈津江!? あいつ、何やってるんだ?」
詩織の後ろについているエプロンを締めた少女は、間違いなく勝馬の幼なじみの鞠川奈津江だった。
そしてもう一人は、言わずと知れた詩織の親友、美樹原愛に違いなかった。
愛は、周りの歓声に、おどおどしながら詩織に声を掛けた。
「し、詩織ちゃん……」
「大丈夫よ、メグ」
前を見たまま小声で言う詩織に、愛はおどおどとうなずいた。
「う、うん……」
「それに、森くんにもいいとこ見せなくちゃ、ね?」
「し、詩織ちゃん!」
真っ赤になると、愛はますます俯くのだった。
詩織達がキッチンスタジアムの中央で待つレイの所につくと、まずレイが握手を求めて右手を差しだした。
「ようこそ、キッチンスタジアムへ」
「お招きいただきまして、ありがとうございます」
まさに完璧な礼をする詩織。その優雅な仕草に、思わず観客の間からも声が挙がる。
「藤崎くんは文武両道と聞いているが、料理のほうもやはり?」
「それなりには、という程度です。本当は虹野さんにはとても叶わないと思うんですが、みなさんに勧められたこともあって……。でも」
言葉を切って、詩織は沙希を見上げ、言った。
「やるからには、勝ちます」
「……」
沙希も詩織を見返した。
「おおっと、はやくも睨み合い、火花を散らす両者だぁ!」
マイクに向かって夕子が叫んだ。
詩織の言葉に、レイはひとつうなずくと、さっと右手を挙げた。
「我がきらめき美食アカデミーの誇る鉄人と、闘うと言うのですね?」
「はい」
詩織は、すっと右手を挙げ、「白魚のような」という形容詞の似合う指を沙希に向けた。
「虹野沙希さん、お願いします!」
「……」
壇上から詩織を見おろし、沙希は静かにうなずいた。
正面から見て、詩織達が右手、沙希達が左手のキッチンについたのをみて、壇上のレイは声をあげた。
「さて、今日のテーマを何にするか。やはり、初めての闘いですから、それなりの基本的な食材がいいのではないでしょうか? 基本的な、そう、あまりに基本的なこの食材をどう料理するか? それこそ料理人の力量が最も問われるのではないでしょうか?」
そこまで一気に言うと、レイは目の前の大きなテーブルに掛けられた布を手にとって、一気に引いた。
「今日のテーマはこれです!」
バァッ
布が一気にはがされ、そして芳ばしい香りと湯気とともに、大小さまざまな塊が乗った台がせり上がってくる。
それをさっと指して、レイは叫んだ。
「今日のテーマは、パン!!」
「パン?」
詩織は小さく、沙希はそれよりは大きな声で同時に呟いた。
(パン……かぁ)
沙希は、壇上に飾りつけられた様々なパンを見て、心の中でもう一度呟いた。
「虹野先輩……?」
心配そうに、後ろからみのりが声をかける。沙希は振り返って笑顔を見せた。
「大丈夫よ、みのりちゃん」
「でも、パン料理って……」
「うん……」
壇上に向き直り、沙希は胸の中で考えていた。
(確かにみのりちゃんの心配もわかるなぁ。パンを料理に使うって、どうしても料理方法が限定されちゃうし、第一パンって焼きたてをそのまま食べるのが一番美味しいんだもん……。焼きたて、かぁ……)
一方の詩織は、奈津江に尋ねていた。
「奈津江ちゃん、パンだって。どうしようか?」
この二人、部活は違うものの、なぜか仲はよい。姉御肌の奈津江は、詩織にとって数少ない“甘えられる”存在なのである。
「パン、ねぇ。普通は主食だものねぇ」
奈津江は小首を傾げて呟いた。
詩織は振り返った。
「メグは、どう思う?」
「あの……、パンって言っても、そんなに変わった食べ方はしないから……」
「そうなのよねぇ」
詩織はそう呟くと、一つうなずいた。
「でも、やるしかないよね」
レイは叫んだ。
「アレ・キュイジーヌ!!」
ドォン
太鼓の鳴らされるような大きな音と共に、1時間の闘いが始まった。
「さぁ、いよいよ始まりました、第1回料理の鉄人、パン対決。実況は私、朝日奈夕子でぇす。で、ゲスト審査員として、男子生徒に絶大な人気を誇り、実は料理にもちょっとうるさい、鏡魅羅さんに来て頂きました」
「おっほっほ。よろしくね、みなさん」
『はい、鏡さん!!』
観客席に陣どった鏡魅羅親衛隊が魅羅の声に直立不動になって叫ぶ。夕子はこめかみを押さえた。
「あ〜、親衛隊の皆さんは、今日はちょっと静かにしててよね〜。そして、解説は、元・保健室のアイドル、館林晴海先生です」
「ども〜。あ、ちなみに今は職員室のアイドルだからね〜」
にこっと笑って観客席に手を振る晴海。
夕子がマイクを握って叫ぶ。
「さて……、おっと鉄人と挑戦者が、同時に階段を駆け上がってパンを取りに行きます。しっかし、いろんなパンが置いてありますねぇ」
「でも、少なくとも虹野さんは、食パンとバケットくらいしか使わないと思うわ」
腕をテーブルの上で組んで、そのうえに顎を乗せながら、魅羅は静かに言った。
「おや、鏡さんはどうしてそう思うんですか?」
「料理に慣れた人ほど、使い慣れない食材は使わないものだから、よ」
「なるほど……、おっと、二人とも食パンをまるごと一本持っていきます!」
「一斤よ」
「はぁ、そう数えるんですか?」
鋭いツッコミをいれる魅羅に、夕子は頭を掻いた。そしてマイクを握る。
「おや! その間にも、さ……虹野鉄人、助手を集めて何か指示している!」
沙希は、パンをまな板の上に乗せると、振り返った。
「古式さん、サンマを焼いてほぐしてくれる?」
「秋刀魚、ですか?」
「うん。それから、みのりちゃん、今から言うものを取ってきて。トマト、人参、赤ピーマン、キャベツ、さぁ!」
「はいっ!」
みのりはうなずくと駆け出した。その後をおっとりと歩いてサンマを取りに行くゆかり。
それを一瞬だけ見送ると、沙希はパン切り包丁を出して食パンをスライスし始めた。
詩織は、クロワッサンを籠から取りだすと、奈津江に言った。
「これを油で揚げるっていうのは?」
「いいかもね。それじゃそれはあたしがやっておくけど、他には?」
「メグ、このパンをすりおろしてパン粉を作って」
「う、うん。詩織ちゃん、私頑張る」
うなずいて、食パンを下ろし金ですりおろし始める愛。詩織は訊ねた。
「それから奈津江ちゃん、サラダ系を一品入れようと思うんだけど、セロリあったかな?」
「オッケイ。見てくるわ!」
奈津江は食材の方に駆け出した。
「序盤は双方ともまずまずの滑り出しのようですね、先生」
「そうね。あら、鉄人の方。トマトをゆでてるわ」
「ゆでてるんですか?」
「ええ。イタリア料理ではよくやるわよ。トマトソースなんかに使うでしょ?」
「あ、なるほど」
晴海はにっと微笑んだ。
「これは、ピザ系に持っていくかもしれないわね」
「そうね。ピザ生地を使う代わりにパンを、っていうのはよくあるパターンだし」
魅羅もうなずいた。
(でも、そんな単純なものを作るかしら? この先、楽しみだわ)
晴海は心の中で呟いた。
「朝日奈! レポーターの早乙女だっぜっ!」
「よ……、早乙女さん、なんですか?」
夕子が思わずいつものように怒鳴りかけて、慌てて言いなおす。
キッチンを走り回りながら、好雄はマイクに向かって言った。
「挑戦者藤崎についての鉄人虹野のコメントが入りました。『立派な人で、尊敬してます。でも、台所で負けるわけにはいきませんから』という、虹野さんにしては挑戦的なコメントです」
「なるほど、鉄人、台所だけは譲れないという心意気が感じられますねぇ」
「それから、こちらは逆に挑戦者藤崎の鉄人虹野へのコメントです。『お友だちとしてはとっても好きです。でも、敵に回した以上、容赦するつもりはありません』と、こちらも至って挑戦的です。こちらからは以上です!」
「ほぉ。それはすごいですねぇ。早くも二人の間に火花が散っているようです」
「この二人は、きらめき高校のアイドルと運動部のアイドル、つまりアイドル頂上対決ってわけだからねぇ。そりゃ因縁浅からぬ間柄ってところよ」
晴海が口を挟んだ。
「なるほど。おっと、挑戦者のフライパンが炎を上げたぁ!」
夕子が叫ぶ。
ゴウッ
詩織のフライパンから大きな赤い炎が上がった。
フライパンにワインを回し入れ、炎を入れてアルコール分を飛ばして香りだけを残す。フランベと呼ばれる技である。
「もう、びっくりしたぁ」
一瞬放り出しかけたが、炎がすぐに消えたので床にばらまかずに済んだフライパンをコンロに置くと、詩織はほうっと力を抜いた。
「詩織、大丈夫!?」
「奈津江ちゃん。うん、大丈夫。でも、びっくりしちゃった」
ぺろっと舌を出す詩織に、奈津江は肩をすくめた。
「今はフランベしたかったわけじゃないのね?」
「え? 何、それ?」
無邪気に聞き返す詩織に、奈津江はこめかみを押さえた。
(やっぱ、引き受けるんじゃなかったかなぁ?)
「それから、どうするんだっけ?」
「こげ目が付いたら、そこのパットの上にあげて」
「うん」
詩織は神妙な顔で、焼けた肉をパットの上に並べ始めた。
ジュージュー
「沙希さん、サンマが焼けましたよ」
サラマンダーの前からゆかりが呼んだ。沙希はボールを片手に駆け寄った。
「それじゃ、そのサンマをここに入れて、ほぐしてくれる? 骨とワタは取ってね」
「身の部分だけ、残せばよろしいのですね?」
「そう。それじゃよろしくね!」
そう言い残すと、元の場所に駆け戻る沙希。
「えっと、これとこれはやったから、あとは……」
「30分経過」
合成音声が時間を告げた。沙希は額の汗を拭うと、大きく深呼吸した。
「よしっ!」
大声で言うと、みのりに駆け寄った。
「みのりちゃん、そっちは切れた!?」
「はい、準備してそのボールに一緒に入れておきました」
答えると、みのりは包丁をぐいっとタオルで拭った。
「それじゃ、そっちの用意はできた、と。時間は、あるね」
沙希は時計をちらっと見て、ひとつうなずいた。
「やっちゃおう」
「虹野先輩?」
「みのりちゃん、あそこにあるカニ見える? あれ取ってきて!」
そう言いながら、沙希は大きな鍋に水を入れ始めた。
「カニ? あ、はい!」
みのりはうなずいて、駆け出した。
「おおっと、ここで鉄人虹野、カニをゲットしたぞ!」
みのりが大きなカニを抱えて駆け戻るのを見て、夕子はマイクを握りしめた。
「鱈場蟹ね」
「そのようだけど……」
晴海と魅羅は顔を見合わせた。
「どうする気なのかしら?」
「朝日奈さん!」
好雄の声が入ってきた。
「鉄人側、大きな鍋にお湯を沸かしています。どうやらカニを茹でるようです」
「カニを茹でる? 確かにそれはそれで美味しいけど、パン料理にカニをどうする気なのかしら?」
「さっぱり判りませんねぇ」
眉をひそめる魅羅に同調しながら、晴海は心の中で呟いていた。
(まさか、あれをする気なのかしら、沙希ちゃんってば。だとしたら、大きな賭けに出たわね……)
「カニ?」
詩織は眉をひそめ、大きな鍋にカニを入れる沙希を見ていた。そして言う。
「奈津江ちゃん」
「どうしたの、詩織?」
いろいろあったものの、おおむね順調に流れ始めてほっと一息、といった風の奈津江が聞き返した。
詩織は静かに告げた。
「時間に余裕はあるよね?」
「うん、少しは……って、何をするの?」
奈津江は眉をひそめた。そして聞き返す。
「あれを?」
「このままじゃ、負けるかも知れない。それなら、勝負をしかけるっていうのも、いいんじゃないかしら?」
詩織の目が輝いていた。それを見て、奈津江はうなずいた。
「うん。そうね。それがいいわ」
「メグ、お砂糖を取ってきて! 上白糖! それと牛乳もね!」
詩織の声に、愛はうなずいて駆け出した。
「10分前」
時を告げる声に合わせるように、沙希はカニを鍋から出すと、菜刀(中華包丁)を振り上げ、振り下ろした。
ダァン
小気味いい音とともに、真っ二つになるカニ。
沙希はその甲良の中から、黄色っぽいものを出した。
「先生、アレなんですか?」
訊ねる夕子に、晴海は答えた。
「カニミソよ」
「へぇ、あれがカニミソですかぁ」
「あれをパンに塗るのね」
魅羅が言うとおり、沙希は薄く切ったフランスパンにカニミソを塗りはじめていた。
「ちょ、ちょっとぉ。あんなの美味しいの?」
「美味しいわよ」
あっさりと言う晴海。
「5分前」
「ちょっと、詩織!!」
奈津江のただならぬ声が、カウントダウンの声に重なった。皿に飾るソースの味見をしていた詩織は振り返った。
「どうした……あっ!!」
蓋をしたフライパンが煙を吹いていた。慌てて駆け寄り、蓋を取る詩織。
もわっと、黒い煙が上がる。
「……やっちゃった……」
フライパンの中にあるパンは黒く焦げていた。つい他のことに気を取られていて、これのことを忘れていたのだ。
「奈津江ちゃん、どうしよう?」
「……」
奈津江はフライ返しでパンをひっくり返し、付いてみた。バリッという音を立てて割れる黒こげのパン。
「だめだわ、これは。どうしようもない」
「……」
落ち込んだ様子の詩織に気付いて、奈津江は明るく言った。
「でも、元々作る予定じゃなかったんだし、これは諦めて、あとの品を完璧に仕上げれば十分挽回できるわよ」
「……そうね。うん、そうする」
詩織は額の汗を拭って微笑んだ。
「3分前」
その声に合わせて、沙希は3センチ角くらいの大きさに切ったパンをフライパンに入れた。軽く焼いてはパットにあけて、次のパンを焼く。
あっという間にパットは焼けた小さなパンが山になっていく。
「鉄人、あれはどうするんでしょうか?」
「なるほど、焼きたてのカナッペね」
魅羅は一つうなずいた。
「カナッペって、クラッカーの上にいろいろ載せて食べるあれですか?」
「ええ。具はいろいろ用意はしてあるでしょ?」
机の上には、確かにいろいろな具になるものが、器に盛られている。
「1分前」
詩織は無言で、パンプティングにカラメルソースをかけていた。
「30秒前」
沙希は、ゼリーの入ったグラスを冷蔵庫から出して、固まり具合に笑みを漏らす。
「10秒前」
「終わったぁ」
最後のパンプティングの盛り付けが終わり、思わず声を上げる詩織。
「5秒前」
ゼリーの上に、一口サイズのパンアイスを乗せる沙希。
そして。
「3、2、1……」
ドォン
終了を告げる太鼓の音が、“キッチンスタジアム”に響きわたった。
好雄が、汗を拭う詩織に駆け寄った。
「お疲れ様でした。1時間、どうでしたか?」
「やるだけのことはやりました。……一品、失敗しちゃいましたけど」
そう言って、ぺろっと舌を出す詩織。
「でも、他の品で挽回は出来ると思います」
「では、勝負には……?」
「それは、審査員の皆さんの決めることですから。でも、私自身は自信を持って勧められる出来だと思います」
詩織は、満足げに微笑んだ。
「虹野先輩、大丈夫ですか?」
終了とともに、その場に座りこんでしまった沙希に、みのりが心配そうに声を掛けた。
「うん、大丈夫。ちょっと気が抜けちゃっただけ」
そう答えながら、沙希は身を起こして、ようやく椅子に座った。
そこに好雄が駆け寄ってきた。
「こちらは鉄人虹野です。虹野さん、お疲れ様」
「ありがとう」
沙希はコップの水を飲み干して、汗を拭いながら答えた。
「出来はどうでしょうか?」
「良くできた方じゃないかな?」
沙希は、机の上に並んだ料理を見渡して、一つうなずいた。
「喜んで食べてもらえる料理だったら、あたしも嬉しいんだけどな」
そして、審査員達の試食が行われた。
まずは挑戦者、藤崎詩織の料理の試食が、続いて鉄人、虹野沙希の料理の試食が行われる。
審査員は、鏡魅羅、戎谷淳、藤堂ひろし、そして館林晴海の4人である。この4人の採点によって、結果が決まるのだ。
試食が終わって、数分後。
まずレイが、そしてそれに続いて4人の審査員が壇上に上がってきた。
詩織と沙希は、キッチンから彼らを見上げている。
観客席もしんと静まり返り、発表を待っている。
レイは、サッと手を広げて、言った。
「記念すべき、“きらめき高校料理の鉄人”第1回。それに相応しい見応えのある闘いを、二人は見せてくれました。いずれも甲乙付けがたい、食の魅惑の世界に誘ってくれる料理でした。しかし、この“キッチンスタジアム”においては、勝利の栄光を掴むことが出来るのは、ただ一人のみです」
一度言葉を切り、観客席を見回し、そしてキッチンで発表を待つ二人を見下ろしてから、レイは言った。
「それでは、発表します」
静まり返る“キッチンスタジアム”。その中に、夕子の声が響く。
「きらめき高校の誇る二人のアイドルの激突。それに相応しい、がっぷり四つに組んだ好勝負でした。パンという食材の奥深さを見せてくれた鉄人と挑戦者、さぁ、勝利はどちらか? 鉄人か、それとも挑戦者か!?」
レイは、さっと片手を上げて叫んだ。
「鉄人、虹野沙希!!」
その瞬間、沙希は目を丸くした。その瞳が潤む。
「……勝っちゃった……」
「虹野先輩! 勝った、勝ちましたよぉっ!」
後ろからみのりが抱きついた。ゆかりがにこっと笑って一礼する。
「おめでとうございます、虹野さん」
「あ、ありがとう、みのりちゃん、古式さん。あたし、あた……」
沙希は、あふれ出した涙を拭った。
「おめでとう、虹野さん」
詩織が歩み寄ってくると、微笑んで右手を差しだした。
「藤崎さん……」
「完敗よ。やっぱり、料理では叶わないな」
「……ありがとう、藤崎さん」
沙希は、涙を袖で拭うと、詩織と握手した。
観客席から、そんな二人に大きな拍手があがる。いつまでも、それは途切れることなく続いた。
第1回 きらめき高校料理の鉄人 採点表
| 鏡 | 戎谷 | 藤堂 | 館林 |
虹野沙希 | 18 | 19 | 19 | 19 |
藤崎詩織 | 17 | 18 | 17 | 17 |
頬を紅潮させて、微笑む沙希。
その顔を観客席からオペラグラス越しに見つめる一人の男がいた。
彼は、短くなった煙草をもみ消しながら呟いた。
「虹野、沙希……か」
と、彼の腰につけてあった携帯電話が鳴りだした。彼はそれを耳にあてた。
「芳川です。……あ、プロデューサー? ええ、それはちゃんと録りました。藤崎詩織のプロモに使えますよ、ええ。あ、それから、もう一人見つけました。藤崎と闘った虹野沙希って娘なんですがね……。ええ、いけると思うんですよ……。それじゃ、あとは社に戻ってから報告します。ええ、じゃ」
ピッ
携帯電話を切ると、彼はもう一度沙希に視線を向け、呟いた。
「きらめき高校から、2人目のアイドルが登場するかも……な」
《続く》

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