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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言

 第3のマネージャー(後編)


「谷巣、瑠美、かぁ」
 あたしは呟いた。
「Who is she? 誰なのそれ?」
 あたしの隣でアイスコーヒーを飲んでいた彩ちゃんが訊ねた。
「沙希を振った娘」
 あたしの正面でミルフィーユを食べながら答えるひなちゃん。……って、ちょっとぉ!
「こら、ひなちゃん。誤解を受けそうな事を言わないでよ」
 日曜日。久しぶりにあたし達はのんびりと買い物、というよりもウィンドウショッピングをして、その帰りに『Mute』に寄っておしゃべりしてたの。
「でも、事実っしょ?」
「まぁ、そう言えばそうなんだけど……」
 あたしは、頬杖をついた。
 図書室できっぱり言われてから3日。未緒ちゃんに「余りしつこく迫るのは逆効果ですよ。私からもそれとなく言ってあげますから」って言われて、あれから図書室には行ってない。それに、谷巣さんも練習を見に来なくなっちゃったし……。
 完全に逆効果だったかなぁ。あう、自己嫌悪。
「ま、沙希にも失敗はあるってことよ」
「それって、沙希が勧誘に失敗したってこと? オー、ジーザス」
 彩ちゃんがわざとらしく大きく手を開いて見せた。
「んもう。二人ともそんなにからかわないでよぉ。あたしも苦労してるんだから」
 レモンスカッシュを飲みながら、あたしはため息混じりに言った。
「でも、どうしてその娘、そんなにマネージャーを嫌がってんだろ? いつもサッカー部の練習見てたっていうから、内情知ってるのかな?」
「内情だなんて人聞きの悪い……」
 あたしは言いかけたけど、ひなちゃんは無視してしゃべってる。んもう。
「サッカー部って女子の間でも人気赤丸急上昇……じゃないか。もう急上昇って時期は過ぎちゃってて、今やSMAPクラスだもんね」
「何よ、そのSMAPクラスって」
「高い人気で安定しちゃってるってことよ。うちの運動部の中じゃ、バスケ部とサッカー部が人気の1位2位だもんね」
 ほんと、そういうことには詳しいんだから、ひなちゃんってば。
「そのサッカー部がマネージャー募集、なんて宣伝したら、あたしだって行っちゃうかも」
「結構です」
「ぐさぁ。沙希、間髪入れずに言うことないじゃん」
 ぷっと膨れてミルフィーユに戻るひなちゃん。代わって彩ちゃんがあたしに尋ねた。
「その娘、そんなサッカー部のマネージャーにならないかって言われて断っちゃったの?」
 こく。
 答える代わりにうなずくあたし。
「何かわけがあるのかな? サッカー嫌いとか……なら、わざわざ練習見には来ないわよね」
 不意にがばっとひなちゃんが顔を上げた。
「そこで、ひなちゃんニュースよ」
「何よ、それ?」
「谷巣さんって、サッカー部に幼なじみがいるんだって」
 ひなちゃんはあっさりと言ったの。
 そうなんだ。……もしかして、その幼なじみを見に来てたの?
「誰なの? その幼なじみって」
「えっとね、確かも、も、もが付く名前よ」
「も……」
 あたしは考え込んだ。
 だって、サッカー部員って50人からいるんだもん。2年や1年でも沢渡くん達みたいに最初から来てる人なら覚えてるけど、最近来た人はまだ覚えてないのよぉ。
 最近……じゃないよね。谷巣さんって、夏頃から見に来るようになった。ってことは、夏よりも前からサッカー部に入ってる人で、もの付く……。あ、わかった!
「茂音くん……?」
 フルネームは茂音修司くん。1年生で、ポジションはレフトウィングハーフ。ちょうど主人くんの左後ろを守ってる。オーバーラップが得意なのよね。確か、6月くらいに入ってきたんだっけ。沢渡くんと並んで2人だけ、1年生でレギュラーに入ってるくらいなんだから。
「そそ、その“もえ”」
「“もね”よ。そっかぁ。谷巣さんって茂音くんの幼なじみなんだ……」
 と、
 カランカラン
 『Mute』のドアが開いて、藤崎さんが入ってきたの。
「こんにちわ」
「あ、しおりんじゃん! ひっさしぶりぃ」
 ひなちゃんが手を振ると、藤崎さんはあたし達のところに歩いてきたの。
「朝日奈さん、片桐さん、虹野さん、おはよう……、じゃなくて、こんにちわ」
「あ、それって業界挨拶じゃん。やっぱアイドルねぇ」
 そういうひなちゃんに苦笑しながら、藤崎さんは、空いていたひなちゃんの隣の席を指した。
「ここ、座ってもいいかな?」
「ええ、どーぞどーぞ」
「それじゃ、お邪魔するね。あ、マスター、ブレンドお願いします」
「ブレンドひとつ、ね」
 マスターがサイホンにコーヒー豆を入れるのを見ながら、藤崎さんは深々とソファに沈み込んだ。
 彩ちゃんが言う。
「最近、ビジー、忙しいの?」
「うん。歌のレッスンとかいろいろ、ね」
 苦笑しながら、藤崎さんは言ったの。
 そう、文化祭が終わったあと、いよいよ藤崎さんは本格的に芸能界でお仕事を始めたのよね。学校も週に2日は来なくなってるし(それでも来てるのがすごいよね)。
「今日は久しぶりにオフなの。家でゴロゴロしてるのも勿体なかったし、ここに来れば、誰かいるかなって思って」
「あ、そう言えばしおりん、デビュー決まったっしょ?」
 ひなちゃんが、食べ終わったミルフィーユを横に押しやって訊ねた。藤崎さんはコクンとうなずいた。
「うん。で、今そのレッスンで大変なわけ」
「はい、ブレンド」
 ちょうどその時、マスターがブレンドを持ってきて、テーブルに置いたの。
「ありがとうございます」
「いえいえ、なんのなんの。少しでもこれで疲れを取ってくれれば嬉しいねぇ」
 笑ってそう言うと、カウンターに戻るマスター。
「でも、藤崎さんもデビューしちゃうと、こんな風に気楽にあたし達と遊ぶこともできなくなっちゃうのかな?」
 あたしは、ぼそっと呟いた。
「仕方ないわ。だって、それが私の選んだ道だもの」
 そう言ったときの藤崎さん、なんだかすごく輝いてた。
「はぁ、やっぱすごいわ、しおりんってば。あ、そーだ。一緒にプリクラ録ろうよ! ゲーセンにあるからさぁ」
 不意に立ち上がるひなちゃん。
「グッドアイディアね。ミーも行くわ」
「ひなちゃん、彩ちゃん、藤崎さん疲れてるのよ。そんなに引っぱり回すと可哀想じゃない」
 あたしは二人をじろっと見た。そして藤崎さんに視線を移す。
「私なら、いいわよ。それに面白いじゃない、プリクラって」
 ……藤崎さんって、時々わかんないなぁ。

 結局、その後あたし達はもう一度ウィンドウショッピングして、商店街を一回りしてから、『Mute』に戻ってきたの。
「あ〜、おもしろかった」
「プリクラ録ってたら、男の子がぞろぞろ来たのにはちょろっと焦っちゃったけどね」
 そう言うと、ひなちゃんは肩をすくめた。
「ま、これだけ美少女が揃ってたら、仕方ないかぁ」
「はぁ、ひなちゃんったら、もう」
「あ、いけない! もうこんな時間じゃない!」
 腕時計を見て、藤崎さんは立ち上がった。
「え? まだ4時じゃん」
「ごめんなさい。5時からまたレッスンがあるの。それじゃ、今日はありがとう!」
 そう言うと、藤崎さんはポシェットから財布を出そうとした。
「あ、お金はいいよ」
「マスター、でも……」
「んじゃさ、これにサインしてくれる?」
 マスターは銀のお盆にマジックを添えて出した。
「え? これに? だけど……」
「将来これにプレミアが付くくらいになること、期待してるからさ」
 そう言って笑うマスター。藤崎さんも笑ってうなずいた。
「それじゃ、遠慮しないでサインしますね」
 わぁ、すごい。綺麗に「藤崎詩織」って書いてる。ちゃんとサインの練習してるんだろうなぁ。
「これでいいかしら?」
「あ、日付も……。それから、上に「Muteさんへ」って書いてくれるかな?」
「ええ、……よし。これでどうかな?」
「バッチリ」
 嬉しそうにお盆を受け取ると、マスターは後ろの棚にそのお盆を飾った。
 藤崎さんは振り返った。
「虹野さん」
「え? あ、うん」
「……主人くんのこと、よろしくね」
 藤崎さんはそう言って微笑んだ。あたしもうなずいた。
「うん。藤崎さんも頑張って! 根性よ!」
「ええ」
 大きくうなずくと、藤崎さんは『Mute』から出ていったの。
「ちぇ、詩織のやつ……」
 夜練のときに主人くんに藤崎さんの言ったことを伝えると、主人くんは苦笑してた。
「でも、随分心配してたみたいだったよ」
 あたしがそう言うと、主人くんは夜空を見上げて呟いた。
「まぁ、同じ年っていっても、詩織は姉さんみたいなもんだからなぁ」
「……ほんとに?」
「……ま、ね。さて、と」
 主人くんは立ち上がると、あたしにお弁当箱を返した。
「ご馳走様」
「お粗末でした」
 あたしは受け取ったお弁当箱を巾着袋に入れると、訊ねたの。
「それでね、あの……、主人くんはどう思う?」
「え?」
「藤崎さんのこと……」
「そうだなぁ……」
 トン、とサッカーボールを蹴り上げてキャッチすると、主人くんは肩をすくめた。
「正直に言えば、ちょっと寂しいよ。でも、元々詩織は俺にとっては近くて遠い存在だったんだ」
「近くて……遠い?」
「そ」
 短く答えて、主人くんはボールをポイッと放り上げて、落ちてきたところをうまく蹴り上げた。ボールは弧を描いて、ドラム缶を跳び越えてネットを揺らす。
 こういう曲芸みたいなボール捌きも、前よりもずっと上手くなったもんね、主人くん。
「ずっと小さい頃は、一緒に、それこそどろんこになって一日中遊んでた、そんな頃もあったけど、気が付いたら詩織は、俺にとって遠い存在になっていたよ」
 そう言ってから、苦笑する主人くん。
「あはは、何言ってるんだろな、俺」
「ううん……」
 あたしは首を振った。なぜだか、よくわかんないけど、嬉しかったの。
 ベッドの中で、あたしは今日の事を思い出してた。
 なんだか、藤崎さん、最後の言葉を言うために来たような気がして……。
 それにしても、結局谷巣さんのことは、茂音くんの幼なじみってことが判っただけで特に進展はなし。
 明日、茂音くんに谷巣さんのこと、聞いてみようかな。
「むにゃ……。お姉さまぁ……」
 隣で眠ってる葉澄ちゃんがころんと寝返りを打って呟いた。
 あたしは、起こさないようにそっと毛布を掛けなおしてあげると、自分もその中にもぐり込んだ。
 キーンコーンカーンコーン
「さて、と」
 チャイムの音が鳴って、あたしは席から立ち上がった。鞄から巾着袋を出して、ぶら下げながら教室を出る。
 と。
「あの……、虹野先輩……」
「え?」
 横からおずおずって感じの声が聞こえて、あたしはそっちを見た。
「谷巣さん?」
 柱の影から出てきたのは、谷巣さんだったの。
「あ、あの……」
 何か言いかけて、谷巣さんはうつむいた。それから、また顔をあげる。
「その、サッカー部の……ことなんですけど……」
「うん?」
 あたしが先をうながすと、谷巣さんは思い切ったように口を開いた。
「マネージャー、私にも出来るでしょうか?」
「谷巣さん!」
 あたし、思わず谷巣さんに駆け寄った。そして、その手をぎゅっと握った。
「ありがとう!!」
「に、虹野先輩、その……」
 谷巣さんは小さな声で言うと、周りをちらっと見てる。あたしも見回す。
 あ、廊下を歩いてたみんながあたし達を注目してる。
「ご、ごめんなさい」
 あたしが慌ててぺこぺこと頭を下げると、谷巣さんは初めてくすっと笑ってくれた。
 放課後のクラブの時間。練習が始まる前に、あたしは部室にみんな集まってもらって、谷巣さんを紹介したの。
「えー、というわけで、今日からサッカー部のマネージャーをやってくれる、谷巣さんです」
「谷巣瑠美です。よろしくお願いします」
 すっと頭を下げる谷巣さん。
 とたんに、大騒ぎ。
「おぉぉぉ! 3人目だ、3人目!」
「か、かわいいじゃないかぁぁ!」
「やったぜぇぇ!」
「に、虹野先輩?」
 ちょっとおびえた顔であたしを見る谷巣さん。あたしは苦笑した。
「大丈夫よ。ああ見えて実害はないから」
 そう言いながら、茂音くんをちらっと見る。
 あれ?
 茂音くん、谷巣さんを見てると思ったのに、今視線が合っちゃった。ってことは、あたしを見てたって事?
「こら、お前ら、騒ぐのはそれくらいにしておけよ。練習にいくぞ」
「へぇ〜い」
 主人くんが声をかけて、みんなはぞろぞろっとグラウンドに出ていった。
 ほんとに、みんなってば。
 振り返ると、みのりちゃんが谷巣さんにきっぱりと言ってる。
「谷巣さん、いーですか? 虹野先輩は私のなんですからね!」
「そ、そうなんですか?」
 ……ま、これでいいんだよね?
 こうして、サッカー部に3人目のマネージャーが来てくれたのでした。
 でも、どうして急に谷巣さんがマネージャーになってくれたんだろう? 「どうしてマネージャーになる気になったの?」って聞くのも何となく変な気がして、まだ聞いてないんだけど……。

《続く》

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