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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言

 ごめんね


「引越は、12月24日に決まったわよ。沙希も葉澄ちゃんも荷物をまとめる準備をしておいてね」
 日曜の朝。
 朝ご飯を食べながら、お母さんが言ったの。
「はぁい!」
 元気よく返事する葉澄ちゃん。
「……うん」
 あたしは、ぼんやりとうなずいて、カレンダーを見る。
 ……あと、3週間、かぁ。
「お姉さま、今日の予定はなんかあるんですか?」
「え? あ、えっと、ないけど」
「それじゃ、買い物に行きませんか?」
 にこにこしながら葉澄ちゃん。
「う、うん。いいけど」
「やったぁ! それじゃ、用意しなくっちゃ」
 葉澄ちゃんは、トーストを二つに折って口に押し込むと、紅茶で流し込んで立ち上がった。
「あ、……」
 あたしは声を掛けようとしかけたけど、葉澄ちゃんは鼻歌混じりに部屋から出て行っちゃった。
 でも、どっちにしても出かけなくちゃいけないのよね。

「わぁ、すっごぉい!」
 商店街の前で、葉澄ちゃんは大きな声を上げた。
 あたし達の前には、大きなクリスマスツリーが立ってるの。このきらめき商店街に毎年立てられてるツリー。
「大きなツリーですねぇ、お姉さまぁ」
「うん……」
 伊集院くんのパーティー会場のツリーの方が豪華だけど、大きさならこっちの方が大きいのよね。
「さって、と。今日はお姉さまと一緒にどこに行こうかなぁ」
 きょろきょろする葉澄ちゃん。
「葉澄ちゃん、あんまりキョロキョロしてるとみっともないよ」
 あたしが苦笑混じりに声をかけたとき、
「あれ? 虹野さんじゃないか」
 不意に後ろで声がしたの。
 あたしが振り返ると、清川さんと服部くんが並んでたの。
「清川さんに服部くん?」
「よっ」
 清川さんは気さくに手を挙げた。服部くんはムッとしたようにあっちの方を見てるけど、いつもこんな風だから、あたしも慣れちゃったな。
「お姉さま、お知り合いですか?」
 葉澄ちゃんがあたしに訊ねた。
「うん。紹介するね。清川さんと服部くん。こちらはあたしの従妹で葉澄ちゃん」
「虹野葉澄です」
 ペコリと頭を下げると、葉澄ちゃんは清川さんをじぃっと見た。
「な、なんだい?」
「……やっぱりお姉さまのお友だちは質が高いですねぇ」
 ペロッと唇を舐めて、葉澄ちゃんが怪しい笑みを漏らした。
「何のことだい?」
「あは、あはは。それより、今日はお二人で、デートなの?」
「馬鹿言うなよ。こいつに引っ張りだされただけだぜ」
 慌てたように言う服部くん。
「最近練習ばっかりだったからね。ちょっと息抜きってところさ」
 さらっと言う清川さん。
 こんな二人だけど、とっても仲がいいんだよね。幼なじみ同士だし。
 と、不意に清川さんがあたし達の肩をつついた。
「おい、あれ」
「え?」
 言われて振り返ると、そこにはレコード屋があったの。
「あれ、藤崎さんじゃないか?」
「藤崎さん?」
 清川さんに言われて、あたし達も気がついたんだけど、藤崎さんのポスターが貼ってあったの。
「すごぉい! 藤崎さんもいよいよね!」
「あたし達も応援してあげなくちゃね」
「ば〜か。お前が応援しても意味なんてねぇよ」
 呆れた口調で言う服部くん。清川さんはむっとして振り返った。
「あのな。心構えを言ってんだよ、心構え!」
「あの、清川さん」
 険悪な雰囲気になりそうだったので、あたしは慌てて口を挟んだ。
「今日は何を買いに来たの?」
「あ、えっと、それは……」
 あれ? 清川さん赤くなってる。……服部くんも明後日の方見て口笛吹いてるし。
 あ、そういえば、今日って12月3日。清川さんの誕生日だったんだよね?
 そっかぁ、そういうことだったんだぁ。
「あ、ごめんなさい。あたし達、ちょっと用事があったんだ」
「え? お姉さま、何か用事ってあったんムグ
 葉澄ちゃんの口を押さえて、引きずるようにしながら、あたしは二人に別れを告げた。
「それじゃ、あたし達はこれで〜」
「あ、ああ。また」
「じゃな」
 怪訝そうな顔をしながらも、清川さん達は軽く手を振って、商店街の人波に中に消えていったの。
「え〜? それじゃあの清川さんって、あの男と付き合ってるんですか?」
 あたし達は、ロッ○リアで軽くお昼を食べながら話してた。
 あたしはうなずいた。
「ええ。とっても仲がいいんだから、邪魔しちゃだめよ」
「ちぇ〜。ああいう引き締まった身体の人って結構いいと思ったんだけどなぁ……。あ、でももちろん私の本命はお姉さまですから!」
 ひしとあたしの手を握る葉澄ちゃん。それはそれで困るんだけどなぁ。
 あたしが苦笑してると、不意に葉澄ちゃんが小さな声を上げた。
「あ! お姉さま、あれ、お姉さまのお友だちじゃないですか?」
「え?」
 あたしは、葉澄ちゃんの指さす方を見て、思わずクスッと笑った。
 ひなちゃんと早乙女くん、それと早乙女くんの妹さん、たしか優美ちゃんって言ったかな。その3人が人波の中を歩いてたの。
 早乙女くん、なんだかいっぱい荷物持ってる。さては、ひなちゃんと優美ちゃんに荷物持ちに借り出されたんだな、きっと。
「早乙女くんも、大変だなぁ」
 小さく呟いたあたしの声に気付いたってはずはないんだけど、不意に早乙女くんがあたし達の方を見たの。そして、こっちを指さしてひなちゃん達に何か言ってる。
 あ、ひなちゃん達もこっち見た。近寄ってくる。
「ったく、俺にこんなに荷物持たせやがって」
 どさって感じで荷物を置いて、早乙女くんはぶつぶつ言ってる。
「とーぜんじゃん。ねぇ、優美っぺ?」
「うん。おにーちゃんは今日は優美達のお手伝いだもんねー」
 ひなちゃんと優美ちゃんは、ハンバーガーをぱくぱく食べながらうなずき合ってる。
「ちぇ。ときに、今日は二人で買い物?」
 早乙女くんはあたし達に訊ねた。
「うん、暇だったからウィンドウショッピング」
「です」
「暇なの? ならさ、どう? 今から俺とディスティニーランドでもがぁっ」
「お兄ちゃん、こんなところでナンパしないでよぉ!!」
 優美ちゃんが早乙女くんの腕を掴んで技かけてる。すごいなぁ。
「うげげげ、ゆ、優美、やめっ、おごぅわぁっ!」
「どぉだぁ、必殺腕ひしぎ十字固めぇ!!」
「うーん、優美っぺ、また腕を上げてるなぁ」
 のんきにコーラを飲みながら評論するひなちゃん。
「あさひっ、たす……け……」
 ああっ、早乙女くんの顔色が紫になってきてる。だ、大丈夫なの?
「もう勘弁して上げた方がいいんじゃ……」
「虹野先輩、口を出さないでくらさい。これはうちの問題なんれすから!」
 キッパリ言って、さらに腕を締め上げる優美ちゃん。
 ひなちゃんが肩をすくめる。
「しばらくほっとくしかないって。ま、よっしーはそう簡単には壊れないし」
 ひなちゃんがそう言うんならそうなんだろうけど……。
「ったく、本気で折れるかと思ったじゃねぇか」
 あれから5分ほどして、やっと解放された早乙女くんは、腕を回してみながらぶつぶつ言ってる。
「さて、それじゃそろそろ行こっか」
 立ち上がると、ひなちゃんはあたし達を見た。
「沙希達、これからどうすんの?」
「うん。別に予定はないから、ぶらぶら見てまわろうかなってくらいだけど」
「オッケー。それじゃさ、カラオケ行こう!」
 うーん。カラオケはちょっと苦手なんだけどなぁ。
「……葉澄ちゃんはどうする?」
「お姉さまの行くところに行きます」
 キッパリ言う葉澄ちゃん。
 でも、葉澄ちゃんって確かカラオケ好きなのよね。前に行ったとき、気持ちよさそうに歌ってたし。
 このところ、あたしのせいで色々あったし、ここはひとつサービスしちゃおうかな。
「ん、いいわよ」
「オッケイ! それじゃ行こっか!」
「カラオケだカラオケだ、ウォーウォー!」
 歓声を上げる優美ちゃん。ひなちゃんとさっさと歩きだす。
「あ、こら待て! 俺を置いて行くな!」
「お兄ちゃん、早く早くぅ!」
「……ったく」
 ぶつぶついいながらも、2人の後を追いかける早乙女くん。ホントに、面倒見がいいのよねぇ。
「あー、歌った歌った」
 満足そうに笑みを浮かべて、ひなちゃんはカラオケ屋から出たの。
 続いて外に出たあたしが空を見上げると、もう暗くなり始めてる。
「あ、もう暗くなってきたんだ。それじゃ、あたし達、そろそろ帰るね。葉澄ちゃん」
「はぁい!」
 葉澄ちゃんが駆け寄ってきた。
 と、不意にひなちゃんがあたしに声をかけた。
「沙希」
「え? 何?」
 聞き返すと、ひなちゃんはしばらくじっとあたしを見てたけど、静かに首を振ったの。
「……何でもない。お休み」
「?」
「んじゃ、行こっか、優美っぺ。ほらよっしー! さっさと帰るよ!!」
 そう言って、ひなちゃんはさっさと歩いていったの。
「あいつ、なんだってんだよ。んじゃ、虹野さん、葉澄ちゃんも、お休み。こら朝日奈待て!!」
「お休みなさい」
 早乙女くんと優美ちゃんも、あたし達に挨拶すると、ひなちゃんを追いかけて人波の中に消えていったの。
 あたしは、葉澄ちゃんに声を掛けた。
「それじゃ、帰ろっか?」
「はい、お姉さま」
 葉澄ちゃんはにこっと微笑んだ。
 家に帰る途中で、あたしはふと立ち止まった。
「葉澄ちゃん、ごめんね。あたし、ちょっと用事があるから、先に帰ってて」
「え〜? 私も一緒に……」
「ごめん」
 あたしは、葉澄ちゃんの言葉を遮った。
「大事な、用事なの」
「……わかりました。でも、早く帰ってきてくださいね!」
 そう言って、葉澄ちゃんはあたしの手をきゅっと握ってから、家の方に歩いていった。
 あたしは、別の方向に歩きだした。
 言わなきゃいけないんだ。約束、果たせなくなったって。
 ピンポーン
 チャイムを押すと、しばらくしてインターフォンの向こうから、女の人の声が聞こえてきたの。
「はい、どなたですか?」
「あの、すみません。きらめき高校の虹野っていう者ですが……」
「あ、ちょっと待って」
 その声と一緒に、ドアがガチャッと開いたの。
「どうしたの、虹野さん?」
「いてくれてよかった。ちょっと話があって……」
「?」
 その人、藤崎さんは小首を傾げた。
 あたしと藤崎さんは、藤崎さんの家の近所にある小さな公園に来た。
 水銀灯が、公園の中を照らしてる。
「それで、話っていうのは、何かしら?」
 前を歩いてた藤崎さんが、振り返って訊ねた。
「あのね……。前に藤崎さん、主人くんのこと頼むって言ったよね?」
「ええ……」
「あのね……、ごめんなさい。あたし、その約束、果たせない……」
「それって、公くんのこと……」
「ううん」
 あたしは首を振った。
「違う。主人くんが嫌いになったとか、そういうことじゃないの。でも、もうダメなの」
「……どういうこと?」
「あたし、まだ主人くんにしか話してないんだけど……、あたし……、転校しなくちゃいけないの」
 口に出して言うと、本当に転校しなくちゃいけないんだって実感しちゃって、なんだか涙が出てきたの。
「えっ!?」
「お父さんの仕事の都合で……東京に行かなくちゃいけないの……」
 あたしは、目をこすりながら、藤崎さんに言った。
「だから、だからもう……ダメなの……」
「……なぁ〜んだ。がっかり」
 ガチャ
 藤崎さんはブランコに腰を下ろして、静かに言ったの。
「虹野さん、それで公くんのことはあきらめるの?」
「藤崎さん……?」
「私なら、あきらめないな。きっと。どんなに遠くなったって、どんなに時間がかかったって、あきらめないな」
 そう言うと、藤崎さんはあたしに視線を向けた。
「虹野さん。私から、あなたが決めたことをとやかく言うことは出来ないわ。でもね……、あきらめないで」
「……」
 あたしが黙っていると、藤崎さんはあたしから視線を逸らして、夜空を見上げた。
 その姿勢のままで、言う。
「虹野さん、私……、好きな人がいるの」
「!?」
 あたし、思わず目を見開いてた。だって、初めて聞いたんだもの。
 藤崎さんは、あたしの反応を誤解したみたい。クスッと笑った。
「違うわ。公くんじゃないから、安心して」
「え? あ、う、うん」
 あたしがびっくりしたのは、藤崎さんに好きな人がいるってことだったんだけど。だって、藤崎さんって、今までずっと「男性には興味ありません」って態度だったんだもん。
 藤崎さんは、微かに頬を染めて、あたしに言ったの。
「その人のために、私は決めたの。アイドルになって、輝いてみせるって。彼のために、そして、私自身のために」
「……目的が、あるんだね」
「そうよ。だから、立ち止まってなんていられないの」
 藤崎さんは、ブランコから立ち上がると、くるっと身を翻した。
「普通なら無理って思われるかも知れない。でも、私は進むわ。そこに行くために。虹野さん、あなたは、どうなの? どこに行きたいの?」
「……あたしは……」
 あたしは、目を閉じた。
「あたしは……」
 瞼の裏に、見えたのは……。
「……見えた?」
 藤崎さんが訊ねた。あたしは、深くうなずいて、目を開けた。
「ありがとう。やっぱり、話してよかった」
「うん」
 藤崎さんは、にこっと微笑んだ。
「ただいま」
 あたしは家に帰ると、上着も脱がないで、そのまま居間に飛び込んだ。
「お、沙希、今帰ったのか?」
「お帰りなさい、沙希」
「お姉さま、遅かったですぅ。心配しちゃいましたぁ」
 今には、お父さん、お母さん、葉澄ちゃんが揃ってテレビを見てた。
 お母さんが、あたしに言う。
「そうそう。沙希、明日学校に転校届を……」
「お母さん、お父さん」
 あたしは、それを遮って、頭を下げた。
「ごめんなさい。でも、やっぱりあたし、転校するのは嫌」
「沙希!?」
「お前、どうして? 賛成してくれたんじゃなかったのか?」
 お父さんとお母さんが、驚いた声を上げた。
 あたしは、首を振った。
「ううん。やっぱり、あたし、自分に嘘つくの、嫌だもの。ここにいたいんだもの」
「……」
 お父さんとお母さんは顔を見合わせて、苦笑した。
「まったく、どっちに似たんだか」
「ほんとに」
「?」
 あたしがきょとんとしてると、お父さんはあたしに言ったの。
「まぁ、とにかく、上着を脱いで座りなさい」
「ええーっ!?」
 あたし、思わず声を上げた。
「残って……いいの?」
「ああ。沙希ももう高校生だし、そろそろ自立してもいい頃だろうと思ってな」
 お父さん、ちょっと寂しそうに水割りを傾けながら言ったの。
 お母さんが笑って言う。
「色々考えたんだけどねぇ。この人は私がいないと何にもできないし」
「おい」
 口を挟もうとしたお父さんに、お母さんピシャリと、
「炊事掃除洗濯全部出来ます? 沙希は出来ますよ」
「あう……」
 黙り込むお父さん。お母さんは苦笑した。
「そういうわけで、私とお父さんと葉澄ちゃんの3人が、東京に行くことにしたわ」
「ええーーーーっ!!」
 今まで黙って聞いていた葉澄ちゃんが、いきなり大声を上げた。
「どうして私までぇ!? 私はお姉さまと……」
「いけません」
 ピシャリとお母さん。
「葉澄ちゃんはまだ中学生なんですよ。義務教育の間は、私達と一緒に暮らしなさい」
「そんなぁ……」
 がっくりと葉澄ちゃんは肩を落としたの。
 あたしは、まだあまり信じられなかった。
「それじゃ、あたしは、ここで一人暮らしするの?」
「ここでもいいし、ここが一人には広すぎるっていうことなら、この家は誰かに貸して、アパートでも借りてもいいんじゃないかしら?」
 お母さんはにこにこしながら言ったの。
「まぁ、それはおいおい決めればいいわ」
「う、うん……」
「ふぇぇん。お姉さまとお別れなんて、葉澄は哀しゅうございますぅ」
 葉澄ちゃんがべそをかきながらあたしに抱きついてきた。あたしは、その頭をなでてあげながら、だんだん実感がわいてきた。
 残れるんだ。主人くんや、みんなのいる、ここに残れるんだ!

《続く》

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