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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言

 さがせ!アパート!!


 あっという間に学期末試験も終わって、冬休みまでもう少し。普段なら、特にやることもなくてのんびりしてる頃なんだけど、今年はそういうわけにもいかないの。
 っていうのも、お父さんの仕事の都合で、家族がみんな東京に引っ越すことになっちゃって。いろいろあって、あたしはこのきらめき市に残ることが出来るようになったんだけど……。

「やっぱり、沙希一人をこの家に残すのは、ちょっと無理ね」
「そうだな。やはり、この家は貸しに出して、その代わりにアパートでも借りたほうがいいだろうなぁ」
 引越まであと1週間。もう大分荷物は片づいて、すっかり寂しくなった居間で、あたし達……あたしとお父さん、お母さんは話し合ってる。
 もうソファもテーブルも梱包しちゃったから、みんな床に座りこんで話してるのよね。
 お母さんはあたしに尋ねた。
「沙希はどう思うの?」
「うーん」
 あたしは考え込んだ。
 今話になっているのは、このきらめき市に残るあたしの住むところ。
 あたし達の今住んでいる虹野家は、2階建ての一軒家。あたし一人が住むには、やっぱりちょっと広すぎるのよね。
 15年住んでた家で、愛着もあるんだけど……。でも、やっぱりお母さんがいないとこの家は維持できないってことは判ってるし。
「しょうがないよね」
 あたしは、うなずいた。
「あたし、アパートに住むわ」
「それなら、早速アパートを探さなくちゃいけないわね」
「至急ってことになるな」
 お父さんとお母さんは顔を見合わせてる。そっか、考えてみると、今週中になんとかしないといけないのよね。
 うーん。不動産屋さんを回らなくちゃいけないんだ……よ……。
 不動産屋さん……。あ!
「……というわけなの」
 翌日の放課後。
 『Mute』で事情を話すと、ひなちゃんはにっと笑ってあたしの頭をグリグリしはじめた。
「この、おつけものぉ。親友のあたしに、引っ越すかも知れないなんて大事を隠しおってからにぃぃ」
「痛い痛い! それにおつけものじゃなくてうつけ者でしょ?」
「ま〜〜だ言うか、このこのこのぉ」
「痛いってばぁ、あ〜ん、彩ちゃん助けてぇ!」
 あたしは彩ちゃんに助けを求めたんだけど、彩ちゃんぷいってそっぽ向いてる。
「彩ちゃぁん」
「アイドンノー。あたしは知らないわよぉ〜」
 彩ちゃんも、あたしがうち明けなかったもんだから、すっかりすねちゃってるのよね。
「ま、いーわ」
 それからたっぷり5分くらいぐりぐりやって気が済んだみたいで、ひなちゃんは腕を組んだ。
「アパートといえば不動産、不動産といえば古式ゆかり。このあたしが口を聞いてあげよー」
「ありがと、ひなちゃん。……その手は何?」
「仲介料」
「……」
 あたしと彩ちゃんがじぃーっとその手を見てると、ひなちゃんは「冗談に決まってるじゃない。まったくジョークも通じないんだから」とかぶつぶつ言いながら手を引っこめたの。
 だって、普段が普段なんだもん。ねぇ。
「まぁ、そうなんですか?」
「そーなのよ。ゆかりぃ、この朝日奈夕子の頼み、聞いてくんない?」
 それから、あたしと彩ちゃんは、ひなちゃんに連れられて、古式さんの家に行ったの。
 家、っていうよりも、お屋敷よね。これは。
 通された応接室も、すごく豪華だし、出されたケーキもすごく美味しいし。これはプロの技だわ。
 古式さんは、すっと立ち上がった。
「わかりました。それでは、お父さまに伺って参りますね」
「え、今から?」
「はい。善は急げ、と申しますし」
 そう言うと、古式さんは部屋から出ていこうとしたの。
「あ、ちょっと待って。やっぱりあたしも行く。直接聞きたいこととかもあるかも知れないし」
 あたしも立ち上がった。
 結局あたし達は全員で、古式さんのお父さんに会いに行くことになったの。
 古式さんのお父さんの会社、つまり古式不動産の本社は、古式さんのお屋敷から続いてる小さなビルの中にあるの。
 忙しいはずの古式さんのお父さん(なんていっても、古式不動産の社長さんだものね)なんだけど、古式さんが逢いたいって伝えたら、すぐに逢ってくれることになったの。
 そして、今あたし達は、会社の応接室で待たされてるところ。
「いつもはちょっと信じらんないけど、あーゆーとこ見れば、やっぱゆかりって社長令嬢なんだって思うね〜」
 しみじみ言うひなちゃんに、古式さんは「そうでしょうか?」って小首を傾げてる。
 ほんとに、さっきはすごかったもんね。
 この部屋に来るまでに、廊下にずらっと黒い服の人たちが並んで、「いらっしゃいませ、お嬢さま」って頭を下げてるんだもん。
 と、ドアが開いて、一人の男の人が入ってきたの。
 わ、格好いい。前に何かで見たやくざ映画の役者さんみたい。
「お父さま、お仕事中申しわけありません」
 古式さんがすっと立って、すっと頭を下げたの。
「なぁに、かまわんよ。それで、儂に用とは?」
「実は、わたくしのお友だちの虹野さんが、アパートを探しているということなんです。それで、わたくしを頼って来られましたので、何かお力添えができないものか、と思いまして」
 あたしは慌てて立ち上がって頭をペコンと下げた。
「あ、虹野沙希です。よろしくお願いします」
「ほう、ゆかりの友達かね」
 古式さんのお父さんは、あたし達に座るように促すと、自分もソファに座ったの。それから、身を乗り出す。
「しかし、ゆかりの友達なら、君もまだ高校生だろう?」
「はい。同級でございます」
 ゆかりちゃんが口を挟んだ。古式さんのお父さんは軽くうなずいて、あたしを見た。
「それが、どうしてアパートを?」
「はい。実は、あたしの両親が仕事の都合で東京に行くことになりまして……、それで、今まで住んでいた家では広すぎるので、新しくアパートを借りようってことになったんです」
「なるほど」
 一つうなずくと、古式さんのお父さんは、パンと手を叩いた。
 すぐにドアが開いて、黒い服の男の人が数人入ってくる。
「ご用でしょうか、社長?」
「こちらのお嬢さんが物件を探しておるそうだ」
「は。お任せ下さい」
 深々と頭を下げると、その人達はさっと出て行っちゃった。ちょっと、あたしまだ何も言ってないのに……。
 そんなあたしに、古式さんのお父さんは笑って言ったの。
「心配はいらんよ。うちの若いモンは、ああ見えて腕は確かだからな」
 数分後。ドアがノックされたの。
「入れ」
「失礼いたします」
 古式さんのお父さんの声に、ドアが開いて、ファイルを持って黒い服の人が入ってきたの。
「お待たせいたしました。ご希望の物件でございます」
「うむ」
 古式さんのお父さんはうなずくと、その人からファイルを受け取ると、広げてあたしの前に差しだしたの。
「これはどうかな?」
「ええっと……」
 バストイレキッチン付き、……4LDK!?
 間取り図を見て目を丸くして、あたしは慌てて物件名を見直してみた。サンライズマンション!? これって、こないだ出来たばっかりの20階建ての高級マンションじゃない!
「あ、あの、あたしの家って、それほど家賃出せないんです……ごめんなさい」
 あたしはペコリと頭を下げた。だって、こんなところいくらかかるのかわかんないもん。
「遠慮しなくてもいいぞ」
「あの、遠慮じゃなくて、その……」
 それから何軒か紹介してもらったんだけど、どれもすごいものばっかりだったの。
「すみません、これもちょっと……」
「遠慮深いな。次は……、む?」
 古式さんのお父さんはファイルをめくると、眉をしかめて、控えてた男の人に視線を向けたの。
「これは何だ? 儂に恥をかかせる気か?」
「いえ。参考程度のものです」
 さらっと答えるその人。古式さんのお父さんは、あたしにファイルを見せた。
「一応見せるが……」
 ええっと、12畳ワンルーム、バス、トイレ、キッチン付き……。
 なんだか、今までの中じゃ一番まともな気がするな、これが。
 ホントに、これが一番まともだったのよ。中には庭付き一軒家、なんて物件まであったくらいなんだから。
「あの、これなんですけど、資料いただけますか?」
 翌日の放課後。今日はサッカー部の練習はお休み。
 あたしは校門を出たところで、鞄から、もらっておいた地図を出したの。
 昨日の物件、直接自分の足で歩いて見に行ってみようって思って。
 家に帰ってからお父さんとお母さんに相談したら、沙希が気に入るところならいいよって言ってくれたから、自分で見て確かめなくちゃ。
 少なくとも、高校卒業するまでだから、1年以上はお世話になる家だもんね。
 えっと、まずこっちね!
 あたしは、歩きだした。
 あれ?
 あたしは首を傾げた。
 地図のとおりなら、ここに十字路がある筈なんだけど、目の前は行き止まりになってる。
 おかしいなぁ。
 あ、わかった! 一つ行きすぎたんだ。
 一つ道を戻って、……ここを曲がると、ほら目の前にコンビニが……ない……。
 ああーん、ここはどこあたしはだれ?
 どうしよう。道に迷っちゃったよぉ。
 えっと、えっと、落ちつくのよ虹野沙希。深呼吸して、すーはーすーはー。よし。
 あっちから来たんだから、あっちに戻ればいいのよね。うん。
 あたしは、再びてくてく歩きだした。
 ……あう。
 あたしは辺りを見回した。全然見覚えがない。
 これって……迷子?
 ひゃぁ、どうしよう?
 頭の中がパニックになってるぅ。
 えっと、こっちが北だから、あっちに駅があるはずよね。だから、こっちが……。
 あれ? ここに川があるはずなのに、ないっ!
 ど、どうしよう……。
 あたしは、その場に立ち尽くしてた。
「あれ? 虹野さん、なにしてるの?」
 地図見て考え込んでると、後ろから声を掛けられたの。振り返ると、自転車に乗った主人くんが怪訝そうにあたしを見てる。
「主人くん! た、助かったぁ……」
 あたしは、思わずその場にへなへなと座りこんじゃった。
「虹野さん、大丈夫?」
 主人くんが、慌てて自転車から降りてきた。
「あ、うん。大丈夫」
「ほら、掴まって」
 主人くんが差しだしてくれた手に掴まって、あたしは立ち上がった。
「ありがとう」
「でも、どうしてこんな所に虹野さんがいるの?」
「あの、主人くん。ここ、どこ?」
「……は?」
「……ってわけで、その家に行ってみようと思ったんだけど……」
 あたしは主人くんの自転車の荷台に横向きに座って、今までの事を説明してたの。
「そうだったんだ。……よかった」
「え?」
「転校しなくてよくなったんだろ?」
 そういえば、主人くんにはまだ話してなかったんだ。
「ごめんね。心配かけちゃって」
「いや、安心したよ。優秀なマネージャーがいなくなったらどうしようって思ってたから……」
 ……優秀なマネージャー、かぁ。
 やっぱり、主人くんにとって、あたしはそれだけなのかな?
「……虹野さん?」
「え? あ、なんでもないよ」
「でも、知らなかったなぁ。虹野さんが方向音痴だったなんて」
 そう言って、主人くんはくすくす笑ってる。もう。
「意地悪」
「だってさ、全然違う方向に来てるんだもの」
 そうなのよねぇ。主人くんに聞いたら、まるで方向が違ってて。
 この地図のせいなのよ、きっと。
 キィッ
「ついたよ。ここだろ?」
「え?」
 あたしは、止まった自転車から飛び降りた。
 あたし達の前には、「瀟洒」って感じの小さなマンションが建ってた。赤いレンガに緑の蔦が絡みついてて、すごくいい雰囲気。
 入り口に、ちゃんと『シムコーポ』って書いてある。間違いないわ。
 あたしは振り返った。
「主人くん、忙しい?」
「いや、目的は果たした後だし」
 そう言って、主人くんは背中のリュックを降ろした。なんでも、本屋にいつも買ってるサッカー雑誌がなくて、別の本屋に行っての帰り道にあたしに出くわしたんだって。すごい偶然よね。
「それじゃ、一緒に見てくれないかな?」
 ポケットからもらっておいた鍵を出しながら、あたしは言った。
「えっと、402、402っと」
 エレベーターを4階で降りて、あたし達は廊下を歩いてた。
 もらった鍵には、『402』ってシールが貼ってある。402号室ってことよね。
「あ、ここだ」
 主人くんが立ち止まった。青いドア。
 あたしは鍵を差し込んで、回した。
 カチャ
 鍵が開く。間違いなく、ここなんだ。
 あたしはすっと息を吸い込んで、ドアを開けた。
 キィッ
 微かな音をたてて、ドアが開いた。
「わぁ……」
「広いなぁ」
 あたしの後ろから覗き込んで、主人くんが呟いた。
 家具が何もないから、よけいにそう見えるのかも知れないけど、12畳のフローリングの部屋はとっても広かったの。
 あたしは靴を脱いで、上がってみた。
 部屋を横切って、大きなサッシを開けるとベランダがある。
 そこからきらめき高校が見えた。
「わぁ、近いんだ」
「そうだね」
 辺りを見回してから、部屋に戻って、台所を見てみる。
 家のよりはちょっと小さいけど、動きがつっかえるってこともないし、いいみたい。
 お風呂もワンルームにしてはユニットバスじゃなくて、普通のお風呂だし。
 問題なし、ってとこかな?
「虹野さん、どう?」
 ベランダで景色を見てた主人くんが、部屋に戻ってくるとあたしに尋ねた。
 あたしはにこっと笑った。
「いいみたい。ここに決めようかな?」
 こうして、あたしの新しい家が決まったの。
 学校からもちょっと近くなったし、それに、主人くんの家にも、夜練してる神社にも、歩いて行ける距離になったから、ちょっと嬉しいかな。あはっ。

《続く》

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