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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第

話
クリスマス・ラプソディ(前編)

12月24日。
とうとう今日が、引越の日なの。
お父さんとお母さん、そして葉澄ちゃんの荷物は一昨日、あたしの荷物は昨日運びだされて、もうあたしの家にはほとんど荷物は残ってない。
がらん、とした家の中を、あたし達は一部屋一部屋見て回った。
この家って、こんなに広かったんだ……。
家具が全部無くなってみると、それが判るんだよね。
「さて、そろそろ行くか」
全部の部屋を見てまわってから、お父さんが腕時計を見て一言。
そう、お父さん達は、この後東京に向かうのよね。
いよいよ、あたしは一人暮らしを始めるわけで。
「そうね。名残は尽きないけど」
お母さんは、そう言うと立ち上がった。
あたしはちらっと葉澄ちゃんを見た。
今日になってから、葉澄ちゃんは一言もあたしと口を聞いてない。
きっと、寂しいんだと思う。別れるのが辛いんだと思う。だから、しゃべらないようにしてるんだろうって。
今も、葉澄ちゃんはあたしには顔を向けない。黙ってる。
「……」
その横顔に、あたしも何も言えなかった。
カチャ
お父さんは、玄関のドアを閉めて、鍵を掛けた。それから、改めて振り返る。
お母さん、葉澄ちゃん、そしてあたしも振り返って、家を見上げる。
あたしは、心の中で呟いてた。
(今までありがとう……。さよなら)
名義上は、まだあたしのお父さんのものだけど、でも、もう二度とは戻れないんだろうなって思うと、よけいになんだか哀しくなってきちゃう。
でも……。
「よし、行こうか」
お父さんがそう言うと、あたし達はうなずいて、歩きだした。
「まもなく、2番線に電車が参ります。黄色い線の内側まで下がってお待ち下さい」
きらめき駅のホームに、アナウンスの声が流れて、特急列車がすべり込んできた。
「それじゃ、沙希。身体には気を付けてね」
「しっかりな」
お母さんとお父さんが、代わる代わるあたしに言う。
「うん。お父さんもお母さんも、がんばってね」
「何かあったら、すぐに電話するんだぞ」
「うん」
あたしはうなずくと、葉澄ちゃんに視線を向けた。
葉澄ちゃんは、黙ってあたしを見つめてた。
「……葉澄ちゃん」
あたしが声を掛けると、葉澄ちゃんはこくっとうなずいた。
「お姉さまのことは、忘れません」
「……元気でね、葉澄ちゃん」
「はい。それじゃ」
そう言うと、葉澄ちゃんはさっさと列車に乗り込んでいったの。
ポポポポポポポ
発車のベルが鳴る。
「ほら、お父さんもお母さんも、早く乗らないと乗り遅れちゃうよ」
「ああ、そうだな」
「それじゃ、元気でね!」
お父さん達が列車に乗り込むと同時に、ドアが閉まった。ゆっくりと、列車が滑り出す。
と、
不意に窓から葉澄ちゃんが顔を出した。大声で叫ぶ。
「お姉さま〜っ!! きっと、きっと、また逢えますよね〜っ!?」
「……もちろん!」
あたしは大声で答えた。
「もちろん、また逢えるよ! きっと!!」
葉澄ちゃんは、にこっと微笑んだ。
あっという間に、列車は小さくなっていく。
あたしは、それを見送りながら、小さな声で呟いた。
「……行っちゃった、な」
カランカラン
『Mute』のドアを開けると、舞お姉さんがあたしに気付いて、小さくお辞儀した。
「いらっしゃい、沙希ちゃん。もうみんな待ってるみたいよ」
「ほんと?」
マスター曰く“クリスマスバージョン”の、サンタさんの格好をした舞お姉さんはにこっと笑ってうなずいた。
それにしても、いつも思うんだけど、マスターって、一体どこからこんな服調達してくるのかな?
「ありがとう。あ、すぐに出るから何もいらないから」
舞お姉さんに断って、あたしは奥のボックス席に駆け寄った。
「あ、虹野先輩!」
こっちを見て、みのりちゃんが声をあげた。彩ちゃんとひなちゃんも振り返る。
「Send-off,見送りは終わったの?」
「うん」
彩ちゃんの質問に答えると、ひなちゃんが立ち上がった。
「んじゃ、沙希の新しい家に遊びに行こう!」
「おーっ!!」
元気よく手を挙げるみのりちゃん。
「あの、あたしの引越を、手伝ってくれるのよね?」
「どーんとまっかせなさぁい」
どんと胸を叩くひなちゃん。ううっ、なんだか不安だよぉ。
「へぇ、ここが沙希の新居かぁ。なっかなかお洒落じゃない」
ひなちゃんは、煉瓦造りの“シムコーポ”を見上げて、うんうんとうなずいた。
「素敵です」
「そうね、なかなかシックでグッドね」
みのりちゃんと彩ちゃんも、うんうんとうなずいた。
「もう荷物自体は家に入れてあるから、あとは梱包を解くだけなんだけど……」
あたしは、エレベーターに乗り込みながら、3人に言ったの。
「でも、カーペットをまず敷かないといけないし、家具なんかもちゃんと置かないといけないから」
「オッケイオッケイ、問題ないってば」
とひなちゃん。
あたしは、自分の時計を指した。
「だけど、今日でしょ? 伊集院くんのところでクリスマスパーティーやるのって」
「じょぶじょぶ。3時までに片づければ十分間に合うって」
ひなちゃんがそう言ってる間に、エレベーターは4階に着いたの。
「これで、大体片づいた?」
「そうね」
あたしは部屋を見回して、うなずいた。
「ん、これでいいと思う」
「よぉし、おわったぁ!!」
ひなちゃんが歓声を上げた。
きらめき駅でお父さん達を見送って、あたしは新しい家に戻ったの。
もう、新しい家に荷物は着いていて、後は解くだけになってるんだけど、やっぱり人手が必要ってわけで、応援を頼んだんだけど……。
あたしは部屋を見回した。
ひなちゃん、彩ちゃん、みのりちゃんの3人は、あたしの日記を開いて覗き込んでる。
……お手伝いの人選間違ったかなぁ。
……ちょっと待って。今、何を見てるって……?
「きゃぁっ!! な、何見てるのよおっ!!」
あたしは慌てて、日記を取り上げた。
「あん、もう。けち」
「けちじゃないでしょ、けちじゃ!!」
と、彩ちゃんが腕時計を見て立ち上がった。
「Oh! もうこんな時間だわ。そろそろ行かないと、伊集院くんのX'mas partyに遅れちゃうわよ」
「まじまじ? ヤッバー。超急いで準備しなくっちゃ! んじゃまったね!」
ひなちゃんはそう言うが早いか、ジャケットを掴んで飛びだして行っちゃった。
「それじゃあたしも一度着替えてから行くから。グッバァイ」
彩ちゃんもコートを着ると、軽く手を振って出ていったの。
あたしは訊ねた。
「みのりちゃんは?」
「そうですね。このままでもいいかな? でも、伊集院さんとこの門番って、服装チェック厳しいっていいますし、やっぱり着替えてきますね」
みのりちゃんは立ち上がった。
「それじゃ、また」
「ありがとう」
「いいえ」
みのりちゃんも出ていったの。
さぁて、と。あたしも着替えないと。
えっと、去年のあのセーター、どこに仕舞っちゃったんだっけ?
「招待状をお見せいただけますか? ……はい、結構です。どうぞ、お入り下さい」
「ありがとう」
通してくれた門番の人にお礼を言って、あたしは伊集院くんのお屋敷に入っていったの。
わぁ。
去年もすごかったけど、今年もすごいんだなぁ。
パーティーの開始にはまだ時間があるけど、広いホールは、もう着飾った人で埋めつくされていたの。
去年は主人くんも来なかったし、あたしも結局半分くらいで帰っちゃったけど、今年はちゃんと主人くんも来るって言ってたし、楽しめそうだな。えへ。
あ、あそこにいるの、未緒ちゃんだ。
「未緒ちゃん!」
「あ、虹野さん。引越は終わったんですか?」
いつもはくくってる髪を解いた未緒ちゃん。紫色のドレスとすごく似合ってるんだよね。
「うん。ひなちゃん達に手伝ってもらったし」
「本当は私も行きたかったんですけど……。お手伝いできなくて済みません」
頭を下げる未緒ちゃん。あたしは軽く手を振った。
「ううん。それより、未緒ちゃん、今年は大丈夫?」
「え? ……沙希さん!」
ちょっと赤くなってあたしを睨む未緒ちゃん。去年のクリスマスのとき、未緒ちゃん体調悪くて倒れかけちゃったのよね。
「今年はちゃんと体調は整えてきましたから、大丈夫です。もう、意地悪なこと言わないで下さい」
「あは、ごめんごめん」
あたしが頭を掻いてると、不意に入り口の方でざわめきが広がったの。
「あら? 何かしら?」
「藤崎さんですよ」
未緒ちゃんの言うとおり、藤崎さんが入ってきた所だったの。わぁ、綺麗なドレス。
やっぱり、あたし達とは違うなぁ。輝いてるって感じだもの。
あたしの隣で、未緒ちゃんがため息をついた。
「やはり、素材が違うんでしょうね。私とは」
「そんなことないと思うな。あたしはダメだけど」
あたし達は、顔を見合わせて思わず笑っちゃった。
「藤崎さんと較べる方が間違ってるよね」
「そうですよね。向こうは現役のアイドルですものね」
と。
「これは、綺麗どころがお二人揃ってるねぇ」
「戎谷くん? やだぁ、なんだか久しぶりね」
黒い服をびしっと着こなした戎谷くん。こういう格好しても嫌みにならない辺りはさすがだなぁって思うな。
「そういえば、虹野さんは主人とうまくいってるの?」
「や、やだな、急に何言ってるのよ?」
かぁっと赤くなっちゃうのが、自分でもわかって、あたしは慌ててほっぺたを押さえながら答えた。
「うまくって言っても、別に変わりないわよ。いつも通りです」
「そうか、そりゃ残念。虹野さん、あいつに飽きたらいつでも声かけてくれよ」
「べぇーっだ」
あたしはあかんべぇをした。戎谷くんは笑いながら「それじゃ」って言って向こうの方に行っちゃった。
「ホントにいつも調子いいんだから、ねぇ未緒ちゃん?」
「……え? あ、そ、そうですね」
あれ? 未緒ちゃん、なんだか顔が赤い。もしかして、熱でもあるのかな?
「未緒ちゃん、熱でもあるの? 顔、赤いよ」
あたしが言うと、未緒ちゃんはさっきのあたしみたいにほっぺたに手を当てた。
「そ、そうですか? そんなことないですよ。大丈夫です」
「でも、赤いよ」
「赤くないですよ。あ、もうすぐ始まるんじゃないですか?」
未緒ちゃんはステージの方を指さした。
ちょうど、伊集院くんがカクテルグラスを片手にステージに上がる所だったの。
ざわめきが静かになるのを見計らって、伊集院くんはよく通る声で言ったの。
「諸君、我が伊集院家のクリスマスパーティーによく来てくれた。今日は日頃の疲れを癒し、存分に楽しんでもらいたい」
伊集院くんが話をしてる間に、黒いタキシードのウェイターの人達が、みんなにシャンパングラスを配ってる。
あたし達も、ウェイターさんからシャンパングラスを受け取った。
未緒ちゃんが、シャンパングラスをシャンデリアにかざしてみながらあたしに訊ねた。
「これ、本物でしょうか?」
「本物って? あ、本物のシャンパンかってこと?」
「たしか、フランスのシャンパーニュ地方で造られるスパークリングワインのことをシャンパンと呼ぶんですよね?」
さすが、未緒ちゃん物知りだなぁ。
「うん。でも、未成年の方が多いみたいだし、お酒は出さないと思うな」
「伊集院さんなら本物くらいいくらでも手に入ると思いますけどね」
「ちょっと待ってね」
あたしは、ちょっと匂いをかいでみた。甘い香りがする。
「シャンパンじゃないのは確かだけど……。多分ジュースだと思うよ」
あたしがそう言ったとき、伊集院くんがステージの上で、シャンパングラスを持った右手を上げた。
「皆にもグラスが行き渡ったな? それでは、メリークリスマス!」
『メリークリスマス!』
みんな、そう叫ぶと、シャンパングラスを上げて乾杯した。
あたしは、未緒ちゃんとグラスを合わせた。
チィン
かすかにいい音がした。
それからしばらくお話ししてから、あたしは未緒ちゃんと別れて人混みの中を歩いてたの。
それにしても、すごい人よねぇ。ホントに。
あ、あそこにいるの、ひなちゃんと早乙女くんだ。へぇ、早乙女くん、去年は門前払いになったって言って悔しがってたけど、今年は入れたんだ。
「ひなちゃん、早乙女くん!」
「あ、沙希? こっちこっち!」
ひなちゃんが手を振った。相変わらずセンスいいんだなぁ、ひなちゃん。それに早乙女くんも結構格好いいじゃない。
「やぁ、虹野さん。さっそくだけど、新しい家の住所と郵便番号と電話番号をいてぇっ!」
「よ〜っ〜し〜〜!」
あ、ひなちゃんがヒールで思いっ切り早乙女くんの足を踏んだんだ。あ〜あ、早乙女くん、ピョンピョン跳ねてる。よっぽど痛かったんだね。
「ったくぅ、誰のおかげでここに来られたと思ってんのさ?」
「それは、俺の魅力の……」
「なんだって?」
「朝日奈さまのおかげです」
わざわざ耳に手を当てて聞き返したひなちゃんに、片足押さえたまま答える早乙女くん。ははぁ、ひなちゃんが早乙女くんのコーディネートをしたんだね。
「判ればよろしい」
「へいへい」
今年のバレンタインの一件から、早乙女くんとひなちゃんの間には、見えない壁が出来てたみたいだったんだけど、こうして見てると、すっかり元の二人に戻ったなって感じがするのよね。
やっぱり、この二人って、いい友達なんだ。恋は抜きにしても、友情は育つのよね。
「ちょっと、沙希? なにじぃーんとしてるの?」
「ん、ちょっとね。あ、早乙女くん、今日は妹さんは来てないの?」
「優美か? 来てるけど、始まると同時にケーキを取りに行ったまま、帰って来ねぇんだよ」
肩をすくめる早乙女くん。
「そうなんだ。あ、そういえば……」
「あれ? 沙希、あれ、主人くんじゃない?」
ひなちゃんが声を上げて、あたしは振り返った。
そこに主人くんがいた。長い緑色の髪の女の子と話をしてる。
誰だろ? 見たこと無い女の子だよね。
と、不意にその娘が、主人くんに抱きついたの。
「!?」
あたしの手から、シャンパングラスが滑り落ちていった。
《続く》

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