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「あれ? 沙希、あれ、主人くんじゃない?」
ひなちゃんが声を上げて、あたしは振り返った。
そこに主人くんがいた。長い緑色の髪の女の子と話をしてる。
誰だろ? 見たこと無い女の子だよね。
と、不意にその娘が、主人くんに抱きついたの。
「!?」
あたしの手から、シャンパングラスが滑り落ちていった。
沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第

話
クリスマス・ラプソディ(後編)

「だ、誰よ、よっしー、あれ、一体!」
ひなちゃんが、主人くんに抱きついている女の子を指さして、小声で叫ぶ。
「朝日奈、日本語がめちゃくちゃだぜ」
苦笑しながら、早乙女くんはポケットからメモ帳を出してめくり始めた。そして小首を傾げる。
「あれ? メモに載ってないぞ」
「ちょっと、それじゃすまないっしょ! なんとかしなさいよ、愛の伝道士でしょ!?」
ひなちゃんは、早乙女くんの襟首をつかまえてかっくんかっくんとゆさぶってる。
「ちょ、っと、あさ、ひっ、なっ、やめっ」
揺さぶられながら、早乙女くんは情けない声をあげてる。
その間、あたしはぼう然と主人くんの方を見てた。
と。
「落とし物ですよ、虹野さん」
「え? あ、はい」
グラスを差し出されて、反射的に受け取ってから、そのグラスを拾ってくれたのが誰かに、初めて気がついた。
「戎谷くん……」
「どうかしたの?」
あたしの様子がおかしいのに気がついた戎谷くん、あたしの視線を追って、主人くんの方を見た。低く口笛を吹く。
「主人じゃないか。何やってるんだ、あいつ?」
「……ごめん。あたし、帰るね」
これ以上、ここにいたら、あたし何をするかわかんなかった。その前に、まだ考えられるうちに、帰った方がいい。
……ここから、早く逃げ出したい。
あたしは、身を翻して、その場から駆け出した。
人混みの中を、何度も他の人にぶつかりながらも走り抜けて、あたしはホールの反対側に出て、やっと一息ついた。
考えてみれば、主人くんは、たまたま気分が悪くて倒れかかった娘を介抱しようとしてただけかもしれないのよね。それを……。あたしったら、確かめもしないで。
前にもあたしの早とちりで……ってこともあったのに、あたしったら。
確かめなくちゃ。
……でも、どこにいるんだろ?
あたしは振り返って、主人くんやひなちゃんを目で捜したけど、すぐにあきらめた。だってすごい人波なんだもの。
ええっと、どこか高いところから見ればいいかな?
辺りを見回すと、ちょうど中二階に上がる階段があったの。
他の人も大勢上り下りしてるから、いいよね?
あたしは、その階段を駆け上がった。
階段を駆け上がると、そこはちょうどテラスみたいになってて、下の様子がよく見える……のはいいんだけど、やっぱり見つからないなぁ……。
と。
「よ、虹野さんじゃないか」
「え? あ、清川さん」
清川さんは、ちょっと見た目には、ウィーン少年合唱団みたいな服を着てたの。それが似合っちゃうんだから、さすがよねぇ。
「どうしたの? こんなところに来てさ」
「あ、えっと、ちょっとひなちゃん達とはぐれちゃって、高いところから捜せば見つかるかなって。清川さんは?」
「あたし? あたしは、ちょっと人混みに疲れちゃってね。水の中なら得意なんだけど、人の中はねぇ……」
苦笑する清川さん。あたしも笑っちゃった。
「そうねぇ」
「そういえば、さっき主人くんが虹野さんのこと捜してたぜ」
不意に清川さんが言った。心臓がドキンと大きく鳴る。
「そ、そう?」
「ああ。クリスマスツリーの辺りにいるって伝えてくれ、だってさ」
「クリスマスツリーの?」
あたしは、ホールの真ん中に立ってる大きなツリーを見た。ちょっと遠いし、人がいっぱいいて、主人くんがいるかどうかはわかんなかった。
清川さんはニヤッと笑った。
「仲も良さそうでなによりだね」
「あたし達はそんな……。それよりも、清川さんの方こそ、服部くんといい雰囲気だったじゃない」
「え? あ、あの時……、えっと、まぁ、ね」
清川さん、真っ赤になっておろおろしてる。あは、こんな清川さん初めて見たな。
あたしは面白くなってちょっと追求してみた。
「結局服部くんのプレゼントって何だったの? いいものだったんだろうなぁ」
「そ、そんなことないぞっ!」
慌てたように言う清川さん。
「え? もしかして、もしかしたのっ!?」
あたしはわざとびっくりしたように訊ねた。
「ば、ばか! 何にもないよ!」
「ええ〜〜? あやしぃなぁ〜」
腕を組んでちょっと上目づかいにじぃっと見ると、清川さんは一言言った。
「……虹野さん、朝日奈みたいだぞ」
ガガーン
……振り向くと、未緒ちゃんがプラカードを掲げてた。
「……未緒ちゃん、何してるの?」
「え? あ、何でしょう?」
未緒ちゃんはプラカードを降ろして苦笑した。
「時々ありませんか? なんだかやらないといけないような気がすることって」
「ないない」
あたしと清川さんは口を揃えて言った。それから清川さんがあたしに言う。
「それより、いいのかい? 主人くんを待たせて」
「いっけない! ごめんね、それじゃ!」
あたしは手を振って、階段を今度は駆け下りていった。
クリスマスツリーの所に来たけれど、主人くんの姿はない。
あーん、どうしよう。清川さんと話し込んでないで、さっさと来ればよかったよぉ。
と。
「にじの!」
不意に声を掛けられてあたしは振り返った。
そこにいたのは、さっきの主人くんに抱きついてた娘!!
「あなたは……」
言いかけて、はたと気付く。
今、向こうからあたしの名前を呼んだよね? でも、あたしは彼女を知らない。
……誰なの?
あたしは、聞き直した。
「あなたは、誰?」
「私は……」
彼女は、自分の長い髪の毛を、手でさっと梳いて見せた。綺麗な髪なのは認めるけど、それで誰なの?
「……うふふ。未だ気付かない? にじのったらお馬鹿さん」
「あのね……」
あ、もしかして!
「判ったわ! あなた、ケサランパサランね!」
ズデェン
彼女はその場で思いっ切り転けた。立ち上がりながら怒鳴る。
「何なのよ、そのケサランパサランって!」
「……ケサランパサランも知らないの?」
「知るわけないでしょ!」
「ダメよ。それじゃ立派なポケモンマスターになれないわ」
「ポケモンマスターになるつもりはないわよ」
そう言うと、彼女はささっと右の髪の毛をまとめて、くるっと輪にして見せた。
「これでどう?」
「……増葉みあ?」
「……誰、それ?」
「ガオピンク」
「……」
「……」
そう言えば、こんな髪型の娘が、確かいたような、いたような……。
ああっ、思い出した!!
「あなた、文化祭のときにロッカーに入ったままいなくなってた見晴ちゃん!?」
「……よけいなことは思い出さないでよろしい」
そう言うと、見晴ちゃんは髪の毛をもとのように下ろした。
「で、どうして見晴ちゃんがそんな格好してるのよ」
「たまには髪を下ろしてお洒落したっていいじゃない。それに、うふうふふふ」
思い出し笑いをし始める見晴ちゃん。
「ちょ、ちょっと、見晴ちゃん?」
「あ、ごめんごめん。幸せな想い出に浸ってたもんでさぁ」
「……いいけどね」
なんか、疲れる。
あ、そうだ。どうして主人くんに抱きついてたのか聞かなくちゃ。
「見晴ちゃん、さっき主人くんに抱きついてたでしょ?」
「やっだぁ、見てたの? もう、にじのってば……」
赤くなって照れ笑いをする見晴ちゃん。
「そうじゃなくて、どうして主人くんに抱きついてたの?」
「そりゃ、愛し合う二人なら当然の……」
『愛し合う』?
「み、見晴ちゃん、それって……」
「冗談よ、冗談」
そう言うと、不意に見晴ちゃんは辛そうな顔をした。
「いいじゃない。すこしくらい夢みたって……」
「……見晴ちゃん?」
「そう、私は影の女。影からあなたを見つめることしかできないの。それが私の宿命だから……」
見晴ちゃんは両手を組んでクリスマスツリーに話しかけてる。なんだかスポットライトが当たってるみたい。
「……ううん、でもいいの。私はそれで幸せだから」
「あ、あの〜、もしもし?」
あたしは話しかけたけど、もう見晴ちゃん、自分の世界に浸っちゃって聞いてくれない。
「そして夢みるの。いつか私に振り向いてくれるって。そう、そのために私は今日も頑張ってあなたを見つめています!」
……そろそろ終わったかな?
と、不意に見晴ちゃんは腕時計を見た。
「あ、やっばぁ、もうこんな時間じゃない! 晴海姉ぇに怒られちゃう」
「先生に?」
「んじゃね、にじの!」
そのままぱたぱたと走って行っちゃう見晴ちゃん。思わず手を振ってそれを見送ってから、あたしははたと気がついた。
……どうして主人くんに抱きついていたのか、聞きそびれちゃった……。
これ以上うろうろして、また行き違いになっても困るなって思ったから、あたしはクリスマスツリーの下でじっとしてることにしたの。
「あれ? 虹野先輩じゃないですか!」
「え? あ、みのりちゃん」
振り返ると、みのりちゃんがお盆に食べ物をいっぱい乗せて立っていたの。
「みのりちゃんも来てたんだ」
「はい! あ、虹野先輩、どれか食べますか?」
みのりちゃんはあたしにお盆を差し出した。
「ありがとう。でも、これみのりちゃんが一人で食べるつもりだったの?」
あたしが訊ねると、みのりちゃんはぶんぶんと首を振った。
「まさかぁ。友達の分もです。ちょっとじゃんけんで負けちゃって、えへへ」
照れ笑いすると、みのりちゃんはあたしに言ったの。
「そうだ。虹野先輩も来ませんか? みんな喜ぶと思いますよ」
「みんな?」
「ええ。沢渡くんとか、早乙女さんとか、館林さんとか……」
「館林……? あ、美鈴ちゃんか」
一瞬見晴ちゃんかと思ったけど、みのりちゃんの友達なら見晴ちゃんの妹の美鈴ちゃんの方だろうな。
「はい。どうですか?」
「ごめんね。あたし、ちょっと待ち合わせしているから」
あたしがそう言うと、みのりちゃんはあたしをジロリと睨んだ。
「主人先輩ですね?」
「なななな、なんで?」
「……思いっ切り動揺してますよ、虹野先輩」
半目になって言うと、みのりちゃんは肩をすくめたの。
「わかりました。今日のところは許して上げます」
「許してって、みのりちゃん……」
「それじゃ、これで」
そのままみのりちゃん、すたたっと歩いていったの。やーん、なんだか後ろ姿が怒ってるぅ。
それにしても……。
「あ、虹野さん! やっとみつけた」
「主人くん!?」
振り返ると、主人くんがいたの。大きく肩を上下させて、荒い息をついてる。
「ごめんごめん。あちこち捜し回っててさ」
「ううん。それより、大丈夫? 疲れてるみたいだけど……」
「いや、大丈夫大丈夫」
深呼吸すると、主人くんは笑顔になったの。
「それよりも、見つかってよかったよ。もう帰ってたらどうしようかと思った」
「あたしを捜してるって、聞いたから……」
あたしが言うと、主人くんは笑った。
「うん。良かったら、一緒に帰らないかなって思って」
「そうね……」
あたしは時計を見てうなずいた。
「うん、いいわよ」
あたしと主人くんは、並んで道を歩いていた。
「ちょっと、寒いね」
「そうだね」
はぁっ
吐く息が白く染まって、そして消えてく。
「虹野さん」
「え?」
不意に呼ばれて、あたしが主人くんの方を見ると、主人くんは右手を出していた。そのうえには、小さな箱があった。
「これ、クリスマスプレゼント。大した物じゃないけどさ」
「あたしに?」
「うん。どうぞ」
「ありがとう。……開けてもいいかな?」
うなずく主人くん。あたしは、その箱を開けてみた。
中から出てきたのは、可愛いペンギンのブローチ。
「わ、可愛い」
「どういうのがいいのかよくわかんなかったけど、気に入ってくれた?」
「うん。ありがとう」
見晴ちゃんがどうして主人くんに抱きついてたのか、なんてどうでもよくなってた。
だって、主人くんが、あたしに、プレゼントをくれたんだもの。
「それじゃ、ここで」
「うん。おやすみなさい」
「お休み」
あたしと主人くんは十字路で別れたの。
あたしはまっすぐマンションに戻る。一人は、ちょっと寂しいけど。
ううん、初日からそんな事言ってたらダメだよね。
エレベーターに乗り込んで、4階を押して……。
ウィィィ〜〜ン、チーン
エレベーターのドアが開いて、あたしは廊下に出たの。
……あれ?
あたしの家の前の廊下に、何かある。
……人が、座ってる?
思わず足を止めたあたし。
その人影が動いた。物音に気がついたのか、顔を上げて、あたしの方を見る。
その顔が、廊下の灯で照らしだされて、あたしは、目を丸くした。
「……葉澄ちゃん!?」
間違いなく、そこにいたのは、お父さんやお母さんと一緒に東京に向かったはずの、葉澄ちゃんだったの……。
《続く》

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