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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
第

話
葉澄ちゃんが帰ってきた(前編)
「葉澄……ちゃん?」
伊集院くんのところでやったクリスマスパーティーから帰ってきたあたし。
今日引っ越したばっかりのマンションのあたしの部屋の前まで来たところで、廊下に誰かがしゃがみこんでいた。
誰かなと思ったら、それはお父さん達と一緒に東京に行ったはずの葉澄ちゃんだったの。
あたしの声に、葉澄ちゃんはばっと顔を上げてあたしのほうを見たの。みるみるうちに、その目が潤んで……。
「お、お姉さまぁ~。うわぁ~ん!」
「は、葉澄ちゃん!?」
そのまま葉澄ちゃんはあたしに抱きついて泣き出したの。
ど、どうしよう?
「ど、どうして? 葉澄ちゃん、東京に行ったんじゃなかったの?」
「ひっく、ひっく……、わぁ~ん」
泣きじゃくる葉澄ちゃん。
とにかく、このままじゃ近所の人にも迷惑よね。
あたしはとりあえず、葉澄ちゃんの肩に手を置いた。
「ね、葉澄ちゃん。とりあえず、家に入ろう。ね?」
まだひっくひっくいいながらも、葉澄ちゃんはコクンとうなずいたの。
カチャ
ドアを開けると、あたしは玄関の明かりを付けて、振り返る。
「葉澄ちゃん、荷物は」
「……ないです」
「そう? とにかく入って」
「はい……」
まだ時々しゃくり上げながら、葉澄ちゃんはあたしの後について部屋に上がってきた。
あたしはコートを脱いでハンガーにかけながら訊ねたの。
「ねぇ、葉澄ちゃん。夕御飯は食べた?」
「……」
黙って首を振る葉澄ちゃん。そっかぁ。それじゃお腹空いただろうな。
「わかった。何か作るからちょっと待ってて。そうだ、その間にシャワー浴びたら? 外、寒かったでしょ?」
「……はい」
そういうと、葉澄ちゃんはバスルームに入っていったの。
さて、なにかあったかなぁ?
あたしは冷蔵庫を開けてみて、思わず苦笑い。何も入ってる訳ないよね。引越し終わって、すぐに伊集院くんとこのパーティーに行ってたんだもん。
「葉澄ちゃん、ごめんね。ちょっと買い物に行ってくるから。あ、バスタオルとトレーナー、出しておくね」
「……」
返事はなかったけど、シャワーの音が聞こえてるから大丈夫よね?
あたしはお財布の入ったバッグを取ると、コートをもう一度着て、部屋から出て行った。
思ったより時間、かかっちゃったな。コンビニで買い物してたら、色々と足りないものを思い出しちゃったりしたし。
「ただいまぁ」
そう言いながらドアを開けると、あたしは靴を脱いで部屋に入っていったの。
と。
「あ、お帰りなさぁい、お姉さま」
トレーナーに着替えた葉澄ちゃんがとてとてっと玄関まで出てきたの。
「葉澄ちゃん?」
「遅かったから心配しちゃいましたよ。あ、荷物持ちますね」
「う、うん」
葉澄ちゃんはあたしの手からコンビニのビニール袋を取ると、そのまま奥に入っていく。
どうしたんだろ。さっきまで沈んでたはずなのに、もういつもの葉澄ちゃんだなぁ。
でも、よかった。
あたしはほっとして、部屋に戻ったの。
とりあえず、買ってきたものを冷蔵庫に入れるものは入れて、と。
それじゃお料理お料理っと。
「お姉さま、何かお手伝いしましょうか?」
「ううん、別にいいわよ。テレビでも見て、待ってて」
「はぁい」け、
そう答えて葉澄ちゃんがテレビを付けようとした時、不意に電話が鳴り出したの。
トルルルル、トルルルル、トルルルル
「はいはい、ちょっと待って~っと」
あたしは包丁を置いて、電話に駆け寄った。受話器を取る。
「はい、虹野です」
『あ、沙希ね?』
「お母さん、どうしたの?」
電話の向こうの声はお母さんだったの。
『もう。何度も電話したのにいないんだもの』
「ごめんなさい。伊集院さんのところのクリスマスパーティーに行ってたから。それで、どうしたの? もう着いたの」
『それなんだけど……。もしかして、葉澄がそっちに行ってないかって思って』
「……」
あたしはチラッと葉澄ちゃんを見た。
う……。ウルウルしながら首振ってる。これって、言わないでってこと?
でも、言わないといけないよね。
「あ、あのね……」
あたしは、すっと息を吸い込んだ。
「来てないよ」
『そう……』
「葉澄ちゃんがどうしたの?」
あたしは聞き返した。お母さんは受話器の向こうでため息をついた。
『うん……、ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃったのよ。こっちでも随分捜したんだけどねぇ……。あの娘ったら、荷物も全部残したままだし……。こりゃ警察に届けたほうがいいかしら?』
「け、警察に? えっと、ひ、一晩待ってみた方がいいんじゃないかな? うちにひょっこり来るかもしれないし」
あたし、慌てて言ったの。だって、警察なんて……。
『そうかねぇ。それじゃ明日の朝にまた電話するわね』
「うん。あ、そっちの連絡先教えて。まだホテル?」
『ええ。えっと、ここの電話番号はね……』
お母さんたちの泊まってるホテルの電話番号を聞いて、電話を切ると、あたしは、ひとつため息。
「ふぅ……」
「お姉さま……。あたし、東京になんて行きたくないです。ずっとお姉さまのそばにいたいんです」
葉澄ちゃんがあたしの背中にひしと抱きついてきたの。
「葉澄ちゃん……。でも、このままってわけにもいかないわよ」
あたしは向き直ると、葉澄ちゃんに言ったんだけど……。
「お姉さまはあたしが嫌いなんですか?」
……なんでそうなる?
あたしが思わず答えに詰まってると、葉澄ちゃんはあたしから数歩下がった。そのまま両こぶしを口にあてて首を振る。
「そうなんですね。お姉さまはやっぱりあたしなんかよりもあの男がいいんですね」
「主人くんは関係ないってば。そうじゃなくてね……。あ、いっけない!」
あたしは慌ててキッチンに駆け寄ると、吹き出しかけてたお鍋を乗せたコンロの火を止める。
「ふぅ、危なかったぁ。葉澄ちゃん、とにかく話はご飯が出来てからにしましょ」
「はぁ~い」
元気良く返事する葉澄ちゃん。……って、いままでうるうるしてたんじゃなかったっけ?
でも、本当にどうしよう……。
あ、そうだ!
「で、あたしのところに電話して来たってわけね」
「そうなんですけど……」
あたしはそう答えながら首を傾げた。
「どうして……?」
「え? ああ、こっちは単なる野次馬」
「ひっどぉい、お姉ちゃんってば。あたしは虹野先輩の一大事って聞いてほっとけないから来たのに」
千晴ちゃんがぷっと膨れる。その後ろで見晴ちゃんが腕を組む。
「にじのぉ。こんなことを私に黙ってるなんてどういう了見よぉ」
「んで、一人残されてるのもしゃくだから」
一番後ろから美鈴ちゃんがひょこっと顔を出した。
館林先生に相談してみようと思って電話したら、わけを聞いた先生、こっちに来てくれるっていうことになったんだけど、まさか4人で来るなんて思ってなかったんだもん。
「どうしよう。4人も来たらお菓子足りないよ」
「あ。あたし買ってくるわ」
美鈴ちゃんがピョンと手を上げると身を翻そうとした。その服の端をはっしと掴む千晴ちゃん。
「美鈴姉ぇ。おやつは300円までよっ!」
「……バナナはおやつに入らない?」
「まぁ、いいでしょ。あとカルピスを水筒に入れてくるのは禁じ手よ」
……なんの話だろ?
「と、とにかく玄関で騒ぐのもなんだから、上がって」
「おじゃましまぁす」
「……というわけなんです」
あたしが説明すると、ちゃぶ台であたしの淹れた日本茶をすすってた先生は、葉澄ちゃんに視線を向けた。
「葉澄ちゃんは、沙希ちゃんと一緒にいたいと、そういうわけね」
「はいっ」
真剣な顔でうなずく葉澄ちゃん。
先生はこっくりとうなずくと、千晴ちゃんを手招きした。
「千晴。来い来い」
「何よ?」
近寄って行った千晴ちゃんに、先生はぼそぼそっと耳打ちする。と、千晴ちゃんは目を丸くして先生を見た。
「本気?」
「で、館林家の大蔵省主計局としては?」
「……」
千晴ちゃんは腕組みして目を閉じた。それからぱっと目を開けると、ポケットから手帳を取りだすと、小さなペンで何か書き込み始めたの。
「……?」
あたし達が思わず見守ってると、千晴ちゃんは顔を上げてメモを先生に見せたの。
「これだけなら」
「了解」
うなずくと、先生はあたしと葉澄ちゃんの方に向き直って言ったの。
「ともかく、このまま通すわけにもいかないから、沙希ちゃんのご両親には連絡を入れるわ」
「晴海お姉さまぁ!」
思わず泣きそうな声をあげる葉澄ちゃんに、先生はウィンクした。
「まぁ、お任せなさい。悪いようにはしないわよぉ」
見晴ちゃんがぼそっと言う。
「晴海姉ぇがああいう言い方をした時は、要注意……」
「そう言えばねぇ、こないだの日曜日なんだけどぉ……」
「わぁ~、なんでもないなんでもないですお姉さまぁ!」
……なんだろ? こないだの日曜日って。
あたしが小首を傾げてると、先生はあたしに尋ねた。
「それで、沙希ちゃん。ご両親の連絡先は?」
「あ、はい。ここです」
あたしは、さっきメモったホテルの電話番号を渡したの。
「なるほどね。電話借りるわね。ピッポッパッと。……あ、申し訳ありません。809号室に泊まっている虹野さん、お願いしたいのですが。あ、わたくし、館林と申します。……はい」
電話してる先生をチラッと見てから葉澄ちゃんの方を見たら、葉澄ちゃんぎゅっとこぶしを握りしめてる。
あたしは、その葉澄ちゃんの手をそっと握った。
「お姉さま……」
「大丈夫よ、葉澄ちゃん。先生に任せましょ」
「……うん」
葉澄ちゃんがこくんとうなずいたとき、先生がしゃべりだしたの。
「あ、夜分遅く申し訳ありません。わたくし、沙希さんの担任をしております館林晴海でございます。……いいえ、そんなことは。ええ、ご心配なく。それでですね、今日お電話差し上げましたのはですね、葉澄ちゃんのことなんですが」
そこで一旦言葉を切ると、先生は受話器を持ち直した。
「ええ、実はわたくしの家に今来ておりまして。ええ、無事ですよ。ただ、ひどく疲れていたようで、もう眠っていまして。……ええ、はい。……ああ、明日迎えに来られますか? それなんですけど、少々ご相談したいことがありますので……。ええ、明日で結構ですが。……ええ、葉澄ちゃんのことについてです。……はい、はい。……明日の……12時頃にきらめき駅ですね。わかりました。こちらから迎えに行きますから。え? そういうわけにも参りませんから。はい、それでは失礼いたします。ご免くださいませ」
先生は電話を切ると、あたし達に言ったの。
「そんなわけで、葉澄ちゃんはうちで預かってることにしておいたわ」
「すみません、先生」
あたしがぺこりと頭を下げると、先生はにこっと笑ったの。
「ううん、いいわよ。でもお礼は身体で払って……」
スパン、スパン、スッパァン
ものも言わずに先生の後頭部をハリセンで殴る見晴ちゃん、美鈴ちゃん、千晴ちゃんの3人。
「わぁ、ジェットストリームアタックだぁ」
葉澄ちゃんはぱちぱちと手を叩いてる。……で、ジェットなんとかって何?
「いたた。もう、お茶目な冗談なのにぃ」
「しょうもない冗談言うからでしょ。それより、葉澄ちゃんはうちに連れて行くの?」
見晴ちゃんがハリセンを仕舞い込みながら訊ねる。先生はうなずいた。
「そうね。だって、もしうちに電話かかってきたときに葉澄ちゃんがいないと変でしょ?」
「それじゃ、今夜はお泊まりね」
千晴ちゃんは葉澄ちゃんの手を引っぱった。
「行きましょ、虹野先輩!」
「え、でもあたし……」
「大丈夫よ、優しくするか……わかったからハリセンは無し!」
先生の声に、ハリセンを出しかけた見晴ちゃんはそれを仕舞って立ちあがったの。
「んじゃ、にじの。あたし達は今日は帰るね」
「おじゃましましたぁ」
と美鈴ちゃんと千晴ちゃんが声を合わせて言う。
「それじゃ、明日のお昼ぐらいに迎えに行くから」
「あ、はい」
あたしがうなずくと、先生はにこっと笑うと、葉澄ちゃんの肩をぽんとたたいた。
「さ、行きましょう」
「はい。それじゃお姉さま、お休みなさい」
ぺこりと頭を下げて、葉澄ちゃんと先生達は出て行ったの。
あたしは、ドアを閉めると、そのまま床にペタンと座りこんじゃった。はふっとため息。
なんだかとんでもないことになっちゃったなぁ……。
《続く》

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