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ときめきファンタジー
章 君のために

その Pure

 町中にある酒場兼宿屋。昼間は街の人達のために軽食なども出す。そのために子供が入っていても見とがめられることはない。
 今も隅のテーブルを占領して、二人の少年が向かい合って座っていた。
 一人はコウ、そしてもう一人はコウと同じくらいの年頃の、濃い茶色の髪をした軽そうな雰囲気の少年だ。
「魔王?」
 コウはその少年に聞き返した。
 その少年……ヨシオ・サオトメは、この城下町の盗賊ギルドのギルドマスターの息子である。
 盗賊ギルドとは、盗賊達を束ねる互助会のようなものである。
 盗賊といえば聞こえは悪いが、この世界においての盗賊とは、騎士や戦士といったものと同等の立派な職業で、どちらかといえば「トレジャーハンター」としての色彩の方が濃い。
 我々の感覚で言うところの「盗賊」は、この世界では「野盗」だの「山賊」だのと言われる連中のことであろう。
 ヨシオは、ふとしたことでコウと知り合い、今ではいっぱしの親友同士という間柄であった。
「ああ。ちょっと待てよ、魔王、魔王っと。あったあった」
 ヨシオは手帳をめくると、読み上げた。
「1000年前、魔王がこのメモリアル大陸を支配した。大地は裂け、海は荒れ、人々は嘆き悲しむしか、成すすべを持たなかった。
 そこに勇者が現れた。
 勇者は魔王を封印し、メモリアル大陸は平和になりましたとさ。めでたしめでたし」
「めでたくねぇだろうが!」
 コウはヨシオの襟をつかんで揺さぶった。
「で、どうして今頃その魔王が現れるんだ!? どうして王女がそいつに誘拐されなきゃならないんだ!?」
「ぐ、ぐるじい……」
 蛙が潰れたような声を出すヨシオ。それに気がついて、コウは我に返って手を離した。
「す、すまん」
「……ったく、あえいうえおあお〜と。よし」
 ヨシオは発声練習をしてから、メモをめくった。
「魔王にかけられた封印は1000年しか持たないっていうことだな。だが、今解けるとは誰も予想してなかった。今がその1000年後だって誰も知らなかったんだ」
「で、どうしてその魔王がシ……王女を?」
「決まってるだろう? 魔王は復活したとはいえ、まだその力を完全に取り戻したわけじゃない。で、手っ取り早くその力を戻したいときはどうするか?」
「……生け贄ってわけか?」
「ああ。こういうときは、王家の血を引く処女の生け贄っていうのが定番だろ?」
「くそっ」
 コウは、テーブルを殴りつけた。上に乗っていた皿がガシャンと音を立てる。
 ヨシオはその肩をポンと叩いた。
「わかるわかる。お前と姫はただならぬ仲だもんなぁ」
「!? どうして、それを?」
 シオリが騎士フジサキに預けられていた事実は、固く口止めされており、ほとんど知る者はいないはずだ。
 ヨシオは笑った。
「盗賊ギルドの情報網を甘く見るなよ。シオリ姫のことならスリーサイズまでバッチリだ。ちなみに83・56・84」
「てめぇ、俺も知らないことを!」
 コウはヨシオの首を絞めた。まわりの大人が止めに入らなかったら、ヨシオはそのままあの世に旅立っていたかもしれない。

 その頃、キラメキ城の隣にある大神殿では、白髪の老人が、祭壇を前にして神に祈りを捧げていた。
 老人の名はシナモン・マクシス。キラメキ王国の僧侶達の中でも最高位の「大神官」の称号を持つただ一人の僧である。
 今、彼は昨晩の事件について、神託を授かるべく懸命に祈っていた。
 その後ろで、王が心配げに見守っていた。その姿は、一夜にして10年も年をとったように老いていた。
 祈り始めて、どれくらいの時が過ぎただろうか。
「……神託を授かりました」
 シナモンは静かに祭壇から向き直ると、王に告げた。
「シオリ姫は、今のところはご無事でいらっしゃいます」
「そうか」
 王の顔が喜びに輝いた。彼はそれを気の毒そうに見ながら言葉を続けた。
「しかしながら、このままでは魔王の贄となり、その命を落とすのは必定かと」
「……何とかならぬのか?」
 王は訊ねた。
 その顔は、一国の王ではなかった。ただの娘を思う父親のそれだった。
「今よりちょうど1年後、赤い満月の夜に、シオリ姫は魔王の生け贄として捧げられるでしょう。逆に言えば、それまでに救い出すことが出来れば……」
「シオリは助かるのだな? で、魔王は何処に?」
「……はるかな北、メモリアル大陸の北にある呪われし島に、かの者の座す城があると、古文書に伝えられております」
「よし、北だな!」
 王は立ち上がると、そのまま出ていこうとした。
 慌てて引き留めるシナモン。
「しばし、お待ちを。神託にはまだ続きが……」
「不要!」
 王はそう言い捨てて、歩き去ろうとした。その服の袖を掴むと、シナモンはかき口説いた。
「お待ち下さい。王よ、早まってはなりませぬ。シオリ姫を救うためには……」
「大神官よ、邪魔だてするなら、大功あるそなたとてただではすまさぬぞ」
 その王の目を見て、シナモンは黙って手を離した。
 王は、そんな大神官の様子に拘泥することなく、足早に神殿を出ていった。
 それから数時間の後。
 大神官シナモンは、自室の机の前で何事か考えていた。その机の上には、何冊もの本や巻物が広げられていた。
 窓の外からは、騎士団に緊急召集をかける角笛が聞こえてくる。
「……無駄なことを」
 それを聞いた大神官は、小声で呟き、額を押さえた。
 と、
 トントン
 ノックの音がした。大神官は、ドアの方を見て言った。
「入りなさい」
「失礼します。大神官様、お呼びでしょうか?」
 涼やかな声と共に、眼鏡をかけた理知的な雰囲気の少女が入ってきた。小脇に一冊の本を抱えている。
 彼女はミオ・キサラギ。将来、賢者になるべく、シナモンについて勉強している少女である。
 彼は、机の上に広げた古文書に目を走らせながら、彼女に訊ねた。
「ミオ、お主なら知っておろう? 魔王は普通の人間には倒すことが出来ぬ事を」
「はい。魔王を倒せるのは勇者のみ、ですね」
 ミオは、眼鏡ごしに、深い緑色の瞳を輝かせた。
「大神官様、勇者が現れたのですか?」
「いや、まだ現れてはおらぬ。だがな、影あるところ光あり。魔王現れるとき、必ず勇者も現れるものなのだ」
「勇者も、現れる……」
 ミオは、シナモンの言葉を繰り返し、呟いた。
「だが、国王は今やシオリ姫の事で頭が一杯になっておられる。正気ではないのだ。儂の忠告とて受け入れては貰えまい。そこで、だ」
 シナモンは、ミオに向き直った。
「すまぬが、サキを呼んできてくれぬか?」
「はい、わかりました」
 眼鏡の位置を直しながら、ミオはうなずいた。
 その夜。
 ヌシヒト一家がそれぞれ深刻な顔をして食事をしていると、不意にノックの音がした。
「誰でしょう、こんな時分に?」
 母親が父親に尋ねる。父親は黙って立ち上がると、廊下を通り抜け、玄関を開けた。
 外には一人の騎士が立っていた。
「おや、リ……、失礼。フジサキ殿と呼ばねばなりませんな」
「ヌシヒト殿……」
 隣家にすむ騎士であり、シオリの育ての親でもあるフジサキは、硬い表情で言った。
「姫を救うため、我ら騎士団はこれより魔王討伐に行くことになりました」
「なんですって!?」
「しばらく、お別れです。家内のこと、頼みます」
 フジサキは頭を下げた。
「……わかりました。ご武運を」
 ヌシヒトは右手を出した。フジサキはその手を握り返し、それから言った。
「これを……」
 彼は、腰の剣を外した。
「フジサキ殿?」
「ヌシヒト殿、あなたに鍛えていただいた剣、お返しします」
 彼はその剣を、柄を前にして差し出した。
 ヌシヒトは、表情を固くした。
「フジサキ殿、いや、リュウ、俺の鍛えた剣では、戦えないっていうのか?」
 三十年来の親友としての言い方に戻ったコウの父親に、フジサキも同じ口調で答えた。
「そうじゃない、ケン。お前が最後に鍛えたこの剣は、いい出来だよ。俺と一緒に冥土に行くにはもったいないくらいにな」
 彼は微笑した。ヌシヒトは、その表情にはっとした。
「まさか、リュウ……」
「その剣は、もっと相応しい人に渡してくれ。それじゃ、失礼」
 彼は身を翻し、歩き去っていった。
 ヌシヒトは、隣家の方を見て、いつもと変わり無いことに気づいた。
(あいつ、この剣を俺に託すためだけに、わざわざ戻ってきたのか……。自分の妻に別れを告げることもせずに……)
「あなた、どなたでしたの?」
 後ろから妻に呼ばれ、ヌシヒトは我に返った。
「ああ、いや、なんでもない」
「そうですか? スープが冷めますよ」
 妻はそう言うと、食堂に戻っていった。
「……」
 ヌシヒトは剣を抜いてみた。刃こぼれ一つ無いそれは、それまでの主人の手入れが行き届いていたことを示している。
(リュウ……。お前……)
 パチン
 彼は剣を鞘に収めると、何事か考えてながら、食堂の方に戻っていった。

《続く》

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