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ときめきファンタジー
章 別離(わかれ)

その 剣を持つ者のさだめ

 翌日、一同は黙々と山を登った。
 次第に道も険しくなり、山肌にへばりつくようになっていた。
 標高がどんどん高くなるにつれてどんどん気温も下がってくる。ユイナ以外は皆、チュオウの村で手に入れた防寒具を着込んだが、それでも手足がかじかむのは押さえようがなかった。
 ユイナだけは寒さにも平然としていた。ミオは、彼女が耐寒の術を使っているのだろうと予想をつけていた。
 先頭を歩くノゾミが、不意に声を上げた。
「見ろよ!」
「え?」
 コウが見ると、目の前が白銀に染まっていた。
「雪……?」
「万年雪です。余り寒いので、雪が溶けないんですよ」
 ミオが白い息を吐きながら説明した。
 ユミが喜んで駆け出す。
「うわぁーい。雪だぁ!」
「ユミちゃん、迂闊に走ると……」
 ミオが言いかけた瞬間、ユミがつるっと滑った。
「わきゃぁーっ!」
 そのまま転がり落ちていき、ユミの姿は視界から消えた。
 一瞬の出来事だった。
「ユミちゃん!!」
 慌ててユミが滑り落ちたところまで駆け寄ろうとするコウを、サキが抱きついて止めた。
「ダメよ! コウくんまで落ちちゃったらどうするの!?」
「でも……」
 その2人の脇をヨシオが駆け抜けた。そのままユミが落ちたところに行くと叫ぶ。
「ユミーッ!!」
 帰ってくるのはこだまばかりだった。

『我、我が魔力によりて、天空を舞う翼を形づくらん』
 ユイナは呪文を唱え、空に舞い上がった。そして、一転急降下していく。
「お願いします! ユイナさん!」
 ヨシオが叫ぶ。その必死な姿に、コウは驚いていた。
(ヨシオが、こんなに真面目な顔をしたの、始めてみた……。やっぱり、兄妹なんだな……)
 ややあって、ユイナが上昇してきた。腕にぐったりとしたユミを抱きかかえている。
「ユミ!」
 ヨシオが叫んだ。
 ユイナはみんなの前に着地すると、ユミを地面におろした。
「途中の岩棚に引っかかっていたわ。まだ運が良かったわね」
「コウさん……痛いよぉ……」
 血の気が引いた、真っ白な顔でうわごとのように呟くユミ。
 その腕はおかしな方向に曲がっており、額からは一筋の血が流れていた。
 ヨシオはサキの腕を掴んだ。
「サキちゃん! ユミを!」
「わ、わかってるから、お願い、腕を離して」
「落ち着け、ヨシオ」
 ノゾミがヨシオの肩を叩いた。はっとしてヨシオはサキの腕を離す。
「ご、ごめん」
「じゃあ、やるわ」
 サキは目を閉じて、ユミの額に右手を置いた。
「全能の神よ。敬けんなる使徒、サキ・ニジノの名において願う。我が身命を賭け、命を賭して願う。これなる者の傷を癒し給え……」
「サキさん、その術は……」
 ミオが驚いて目を丸くした。
 シュッ
 微かな音がして、サキの右手が輝き始める。
「ミオさん?」
 コウはミオに訊ねた。彼女は答えた。
「治癒術の中でもかなり高度な術ですよ。一度だけ大神官様がお使いになっているのを見たことがあります。でも……」
「でも?」
 ミオは、サキをちらっと見た。
「あの術は、術者自身の生命力をかなり消耗させるんです。寿命が縮むほどに……」
「……!?」
 コウは、額に大粒の汗を浮かべながら術を続けているサキを見て、絶句した。
 と、
 油断無く辺りを警戒していたノゾミが叫んだ。
「まずい! 魔物だ!」
「えっ!?」
 コウは彼女の指した方を見た。
 ミオが眼鏡を直しながら言う。
「ワイバーン、ですね」
 ワイバーンは、大型のとかげのような姿をしているが、前足がコウモリのそれと同じような羽根になっており、それを使って空を飛行する。飛竜と呼ばれることもあるが、いわゆるドラゴンとは全く違い、知性を持っていないし、様々なブレスを吐くようなこともない、単なる動物である。
 もっとも、優れた飛行能力を持ち、鈎爪には毒を持ち、大型のものは体長10メートルを超える肉食獣が危険なことには代わり無い。
 コウも話には聞いたことがある生き物だが、実際に見たのは初めてである。
 彼らの存在を察知しているらしく、旋回しつつこっちに向かってくるワイバーン。
 ノゾミは、愛剣“アルペン・フィオラ”を抜いた。そして舌打ちする。
「ここじゃ、『大海嘯』は使えないな……」
「え?」
「水がないと威力が半減するんだよ。それに、下手にここで使って雪崩でも起こしたら……」
 ワイバーンがどんどん接近してくる。
 コウは震える手で剣を抜きながら、ユイナに言った。
「ユイナさん! 援護を……」
「私に指図するつもり?」
 ユイナはじろっとコウを見た。
「じゃ、どうするの?」
「……それでいいわ」
 さすがの彼女もさっきの飛行の術でかなり魔力を消耗したらしく、積極的に攻撃を仕掛けるつもりはないようだ。呪文を唱える。
『我が魔力よ、かの武器に宿りてその力を増せ』
 コウの剣が鮮やかな光を放つ。驚いたコウにユイナは言った。
「これで、あなたの剣は魔法剣なみの力を発揮するはずよ」
「ありがとう」
「来るぞ!」
 ノゾミが叫んだ。コウは振り向かないで後ろに向かって叫ぶ。
「ミオさん、ユイナさん、岩陰に隠れていて!」
 ゴォォッ
 ワイバーンが迫る。そして、鈎爪のついた後ろ足でノゾミを捕らえようとした。
 間一髪、転がってそれをかわすノゾミ。
 ケケェェッ
 ワイバーンは悔しそうに鳴くと急上昇し、少し離れたところから、こっちを伺った。
 その視線が、まだ治療を続けているサキにとまった。
「まずい!」
 反射的にコウがダッシュして、2人の前に割り込んだ。そこに向かってワイバーンが突っ込んでくる。
「コウ、落ちついて、稽古の通りにやればいいんだ!」
 ノゾミが叫んだ。
「……うおおおっ!」
 コウは叫ぶと、腰を落として剣を水平に振った。
 ガギィン
 凄い手応えを感じた瞬間、コウはそのまま吹き飛ばされ、後ろの岩壁にぶつかった。
「つっ!」
 ギャアアアッ
 ワイバーンは悲鳴を上げながら上昇した。そして、その場には右足が残された。
「……俺が、やったのか?」
 コウは、まだぴくぴくと動く右足と、自分の剣を見比べつつ呟いた。ユイナのかけた魔法のせいか、剣には血一滴もついていない。
「コウ、ぼけっとするな!」
 叫びながらノゾミが突っ込んできた、そしてジャンプする。
 そこに、痛みで狂ったように暴れながらワイバーンが突っ込んでくる。
「ええーいっ!」
 ドシュッ
 “アルペン・フィオラ”が突き込まれる。と同時にワイバーンの目にヨシオが投げつけた短剣が突き刺さった。
 ギャアアッ
 ワイバーンは、ぐらりとバランスを崩し、そしてそのまま滑落していった。
 慌ててヨシオが駆け寄る。
「おーい、短剣を返せーっ! ……くそ、持って行かれちまったぜ」
「はぁ、はぁ、はぁ」
 コウは、まだ剣を構えたまま、荒い息をついていた。
 その肩をノゾミが叩く。
「コウ、終わったぞ」
 びくっとして、コウはノゾミを見た。
「お、終わった?」
「うん。しかし、見事だったね」
「お。俺……」
 コウは放心したように、自分が切り落としたワイバーンの右足を見つめていた。
「……コウ」
 ノゾミは、そんなコウの青ざめた横顔を、気遣わしげに見つめていた。
「……ん? あれぇ、ユミ、どうしちゃったのかな?」
 ユミは上半身を起こし、自分の身体をしげしげと見た。そのユミを、ヨシオが抱きしめた。
「お、おにーちゃん!?」
「よかった、本当に……」
「もー、離してよぉ。はずかしーじゃないのぉ」
 さすがに消耗したサキは、少し青ざめながらも2人を見て微笑んだ。
「よかった。うまく……いって……」
 そのままふらっと倒れかかるのを、慌ててミオが支え、くすっと笑った。
「いつもと逆ですね」
「……そうね。ミオさん、後、お願い。あたし、疲れちゃった……」
 そのまま、意識を失うサキ。
 ミオは、心配そうにのぞき込んだノゾミに微笑んで見せた。
「大丈夫。疲労の余り、気を失っただけです。明日になれば回復すると思いますよ」
「これ以上今日は進めない、か。じゃ、ここで野営するか」
 ノゾミは言った。
 深夜。
 いつもはヨシオと2人で一つのテントなのだが、ヨシオはユミが心配だと言って向こうのテントに移っていたため、コウは一人で眠っていた。
「……!!」
 不意にコウは跳ね起きた。荒い息をつきながら、辺りを見回す。
「……夢、か」
「コウ、起きてる?」
 不意に、テントの入り口で声がした。
「ノゾミさん? ああ、起きてるよ」
「入っても、いいかな?」
「うん」
 コウが頷き、幕を上げた。
 ノゾミは、いつもの革鎧も脱いでいた。
「……眠れないの?」
「……ああ、どうしても、昼間のあれを思い出して……」
 コウは呟いた。
「あの時の手応えと、ワイバーンの悲鳴が、そして血が……。俺、初めてだから……」
「あたしも、そうだったの」
 ノゾミは、静かに言った。
「初めて、人を斬った夜、眠れなかった。何度も吐いたわ。でも、何時しか平気になってた。人を斬ることも、そして……」
「ノゾミ、さん?」
「こっ、コウ、その、どうしても眠れないのなら……」
 コウはノゾミを見た。
「何?」
「そっ、そのっ、な、なんでもない。それじゃ、お休み」
 ノゾミは外に出ていった。コウは首をひねった。
「どうしたんだろ、変なノゾミさん」
 外に出たノゾミは大きくため息をついた。
「ダメだなぁ、あたしって……」
 そして、その場に蹲った。
「……どうしたの、ノゾミ・キヨカワ。あたしはもう女を捨てたはずでしょう? あの日から……」
「あら、何をしているのかしら?」
 びくっとして、ノゾミは顔を上げた。
「ユイナ……」
「未来の支配者を呼び捨てにするとはいい度胸ね。まぁ、いいわ」
 彼女はノゾミの身体をじろじろと観察しながら言った。
「それよりも、あなた、この私にその身体を捧げてみない?」
「け、結構です」
 その瞳の妖しい光を見て、ノゾミは思わず後ずさりながら答えた。
「そう、残念ね。自分の身体に飽きたら、いつでも相談に乗るわよ。それじゃ、失礼」
 ユイナはそのまま、自分専用のテント−ユイナ曰く「実験室」−に消えた。
 ノゾミはそれを見送って、くすっと笑った。
「へんなやつだなぁ」

《続く》

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