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ときめきファンタジー
章 運命の星のもとに

その けんかはやめて

 ユカリは、縁側の柱に手をついて身を支えながら立っていた。視線は庭を見ているようだったが、その実、彼女の目には何も映ってはいなかった。
(わたくし、何かの病気にでもなってしまったのでしょうか? コウさんがあの人を気にしているだけで、どうしてこんなに胸が苦しいのでしょう……)
「ユカリさん」
 後ろから呼びかけられ、ユカリは我に返ると振り返った。
「お母さま……」
 アカリは微笑みを浮かべたまま歩み寄ってきた。そして、言った。
「コウさんのことを考えているのですか?」
 いきなりズバリと言われ、ユカリは真っ赤になった。
「あ、あの、お母さま……。わたくし……」
「わかっていますよ。あなたのコウさんを見る、そのまなざしを見れば」
 アカリは、ユカリの肩にそっと手を置いた。
 ユカリは振り向いた。
「お母さま、わたくし、どうすればよいのでしょうか?」
「自分のしたいようになさいなさい。ただし、一つだけ忘れてはならないことがありますわ」
「ひとつ、だけ?」
 聞き返すユカリに、アカリは柔らかな笑みを漏らした。
「笑顔、です」
「笑顔……」
「そう。それも、あなたの心から出る、ね」
「わたくしの心からの笑顔を……」
 ユカリは呟き、そしてアカリの顔を見つめた。
 アカリは微笑んだまま頷く。
(お母さま……、知っていらしたのですね。わたくしが心から笑ってはいなかったことを……)
 ユカリは、顔を伏せた。そして、再び上げた。
「わかりました。ありがとうございます」
 その表情は、曇り一点無い笑顔だった。

 チャプン
「ふわぁぁ〜〜」
 桧造り(とタクミは言っていた)の大きな風呂に肩までつかりながら、コウは大きなあくびをもらした。
 おそらく大勢が一度にはいることを想定して作られたと思われる広い風呂に入っているのは彼一人。タクミは彼をここまで案内すると「お館様が心配だ」と言って戻ってしまったのだ。
「なんっていうか、のんびりするなぁ〜」
 広い湯船の中で、手足を思いきり伸ばしながら、コウは呟いた。そして、何の気なしに自分の身体を見おろして、はっとした。
 胸に、何かひきつれたあとのようなものが残っていた。痛くもなんともないのだが。
(火傷のあとかなぁ?)
 コウは首を傾げた。
 と、
 カラカラカラ
 入り口の戸が開く音がした。コウは振り返った。
「だ……はわあぁ!」
「コウさん、お背中をお流ししましょうか」
 そこにいたのはユカリだった。
 コウは慌てて湯船に口のところまでつかった。その姿勢のまま、湯船の縁からユカリを盗み見る。
 もうもうと立ちこめた湯気のせいでハッキリとは見えない。
(この、湯気が邪魔で……。ち、違う、何を考えてるんだ、俺は? ユカリちゃん、どうしたんだ、一体? それとも、この辺りでは当たり前の風習なのか? としたら何て羨ましい国なんだ、トキメキ国ってのは。……だぁー! 違うだろうが!)
「あのぉ、どうされたのですか?」
 ユカリが不審そうに訊ね、一歩、二歩と近寄る。
「だ、ダメだ、来ちゃいけない……」
 そう言いながら、必死に辺りを見回すコウ。
 その目に、洗い場に置いてある桶がとまった。慌ててひっ掴んで前を隠す。
「ユ、ユカリちゃん……」
「コウさん、どうかなさいましたか?」
 不意に窓から風が吹き込んだ。辺りの湯気が一気に吹き払われる。
「!!」
 ユカリは、白い着物を着ていた。コウはほうっと大きく息をついた。
「よかったぁ」
「なにが、よかったんですか?」
「あ、いえ、なんでも……」
「そうですか? それよりも、湯船から上がってきてもらえないでしょうか? お背中をお流しできませんから」
 彼女はにこにこと微笑みながら言った。
 至福とも拷問とも言える数十分後、身体はさっぱりし、精神的に疲れはてたコウは、最初の部屋に戻ってきた。
 彼が寝ていた布団は新しいものに取り替えられていた。
 彼はその中に潜り込みながら、でへーっとしていた。
「しかし、ユカリちゃん、色っぽかったなぁ。うーん」
 と、
 ドォン
 不意にすごい音がし、屋敷中がびりびりと震えた。コウは思わず飛び上がった。
「なっ、なんだ!?」
 彼は、枕元の剣を掴み、飛びだそうとした。慌てていて、足を畳んで置いた服に引っかけてしまう。
 その弾みに、服から人形が飛び出し、廊下に転がった。コウはちょっと考え、その人形を拾い上げてから走り出した。
 アカリは、ジュウザブローの枕元で懐剣を構えていた。
「この人を、むざむざ手にかけさせはしませんわ」
「あっそ。じゃあ、死んでもらおうじゃん」
 彼女に相対しているのはユウコだ。
 その部屋の壁は爆発の影響で半壊していた。
「お母さま! お父さま!」
 ユカリが飛び込んできた。アカリが叫ぶ。
「ユカリ、来てはなりません!」
 敷居のところで足を止めるユカリ。
「あなたは……」
「また、会ったね!」
 ユウコはニヤッと笑うと、右手を振った。銀色の光が飛ぶ。
「お嬢様!!」
 キィン
 駆けつけたタクミがとっさに剣を抜き、飛んできた短剣をたたき落とした。そして、ユカリとユウコの間にはいる。
「貴様、今度こそ、生かしては帰さんぞ!」
「でっきるかなぁ?」
 笑みを絶やさずに言うユウコ。
 と、不意に彼女は咳きこんだ。
「ゴホッ」
「今だ!」
 タクミはその隙を見逃さなかった。素早く間合いにはいると、剣を振り下ろしかける。
 ガキィン
「なっ!?」
 思わず、タクミは目を剥いた。
 彼の剣は、ユウコの頭のわずか数センチ上で止められていた。そして、それを止めたのは、脇から入り込んだコウの剣だった。
「貴様、邪魔するか!?」
「タクミさんだって聞いてるだろう!? 彼女は操られているだけなんだ!」
 コウは全身から冷や汗をかきながら答えた。自分でも、こんなことができたのが信じられないのだ。
「やはり貴様は魔王の……」
「違うってば」
 ギャリッ
 絡み合う剣が嫌な音をたてた。
 ユカリが悲鳴を上げる。
「コウさん!!」
「わぁーっ!」
 コウは身をよじってユウコの一撃をかわした。というより、コウにもかわせる程度の攻撃だったというべきか。そのまま、彼女はまた身体を折って咳込む。
「だ、大丈夫?」
「敵に、情けを掛けられるなんて、落ちたもんよね……」
 ユウコはそう言うと、そのまま倒れた。
 コウは、はっとして人形を出した。そして叫ぶ。
「ユカリちゃん! あの呪文を!!」
「はい、わかりました」
 ユカリは頷いた。
「やはり、耐えきれなかったか」
 “声”が呟いた。
「しかし、奴等の手にあの人形があるのは計算外だったな」
「こうなった以上、我らが直接奴等を殺すしかあるまい」
「そうだな」
 声が途切れた。
 低い声でユカリは呪文を唱え続けていた。
 彼女の前には、ユウコが横たわっている。その胸のところに、例の人形が置かれていた。
 コウは、傍らのアカリに訊ねた。
「いくつか聞きたいことがあるんですが、いいですか?」
「なんでしょうか? わたくしに答えられることでしたら」
 アカリは静かに答えた。
「アカリさんはユカリちゃんみたいな術は使えないのですか?」
「ええ、今はほとんど……」
 彼女はそっと微笑んだ。
「わたくしの力は、今はもうユカリに託してしまいましたから」
「ユカリちゃんに?」
 コウは、ユカリをちらっと見た。
 と……。
「う……うっ」
 ユウコが微かに呻き、不意に目をぱっちりと開けた。
 思わず覗き込んだコウと、視線があう。
 その赤い瞳を見た瞬間、コウの脳裏を何かがかすめた。
(俺……、同じ目の色を知っているような……)
「あんにゃろー、よくもぉ」
 ユウコが唸りながら身を起こそうとしたので、コウは我に返った。
 アカリが微笑みながら言う。
「まだ起きてはいけませんよ、ユウコ・アサヒナさん」
「だって、あいつらあたしの身体、勝手に使って、ちょーむかついたもん! あ、でもちょっときついなー」
 ユウコはそう言うと、大人しく布団に横になると、チョイチョイとコウを指で差し招いた。そして、彼が顔を寄せると、耳を引っ張った。
「いてて」
「んもう、耳貸しなってばぁ」
 彼女は、コウの耳を息が掛かるくらいまで引っ張ると、囁いた。
「あ・り・が・と」
 チュッ
 素早くコウの頬に一つキスをすると、ユウコは少し赤くなって言った。
「これでも、感謝してるんだぞ」
「あ、うん」
 何が起こったのかよく判らずに惚けているコウは、ユカリが寂しそうにその横顔を見ていることになど気づいていなかった。
 ユウコは、アカリが持ってきたどろどろの白い食べ物(アカリは「お粥」と言っていた)を「ちょーださー」とか言いながらも綺麗に食べ終わった。
「ごっそーさん。思ったより美味しかったよ」
「お粗末でした」
 アカリは笑いながら膳を下げていった。
 コウは訊ねた。
「聞きたいんだけど、どうしてユウコさんはここを襲ったの?」
「やだぁ、ユウコさんなんてちょーださ。ユウコって呼びなよ、コウくん」
 ユウコは笑った。ユカリの微笑みが春の日差しなら、彼女の笑いは真夏の太陽みたいに明るいな、とコウは思いながら、砕けた言い方に切り替えた。
「じゃ、そう聞くよ。どうしてここを襲ったんだい?」
 彼女は一転顔をしかめた。
「ちょろっと油断しちゃってね」
「油断?」
「やだなぁ、ちょー恥ずかしいんだから、もう」
 へへっと笑う彼女。
 彼女の話を総合すると、どうやら街で遊んでいたところに不意を突かれ、そのまま封魂の外法によって魂を人形に封じ込まれたという。
 一瞬のことで、何者にやられたのかは判らないが、人間とは思えないと彼女は言った。
 彼女曰く、「だって、このユウコさまが他の人間にそう易々とやられる訳ないじゃん」ということらしい。
 それを聞いて、アカリはポンと手を打った。
「ユウコさんをそんな目に遭わせたのは、おそらく双面鬼ですわ」
「そうめん?」
「双面鬼。魔王の配下の魔物ですわ。勇者に魔王が封印されたとき、共に魔王に従っていた魔物達も封印されたと聞きます。双面鬼は、そのなかでもかなり上級の魔物と聞きます」
 アカリは静かに言葉を継いだ。
「そして、かの魔物は、人を操る事が出来たと聞きます。封魂の外法は、その魔物が使った術を元にして作られたものだと聞いたことがありますわ」
「そんなに強力な魔物なんですか?」
 コウは聞き返した。アカリは頷いた。
「一睨みで数百人をその支配下に置いたという話もあります。おそらく、魔王も復活したばかりですから、双面鬼も本来の力を取り戻しておらず、ユウコさんしか支配できなかったのでしょうね」
「ふーん」
 と、
 ズシィン
 屋敷が大きく揺れた。
 コウは反射的に立ち上がった。
「何だ、今の……」
 と、襖がいささか乱暴に引き開けられ、タクミが顔を出した。
「姐さん! 化け物が中庭に!!」
「まさか!」
 コウは立ち上がると、タクミの脇をすり抜けて走り出した。

《続く》

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