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ときめきファンタジー
章 妙なる調べ 光となりて

その SAVE ME!?

「まぁ、一杯どうぞ」
 マイは酒を猪口につぐと、タクミに勧めた。
「うむ」
 彼は受け取ると、一口含んだ。
 マイは笑みを浮かべた。
「何年ぶりかしら。あなたがここにいらっしゃるのは」
「4年、いや5年か」
「そうね、それくらいにはなるわね」
「……早いものだな、年月が流れるのは」
 マイの手がぴくっと動いた。そして、彼女は静かに言った。
「昔話をしに来たわけじゃ、無いんでしょう?」
「ああ、そうだな」
 タクミは頷くと、杯を置いた。
「聞きたいことがある。魔王のこと、そして“鍵”のことで」
「……やはり、そうだったのね」
 彼女は静かに頷いた。

「やめてっ」
 一人でにたにた笑っていたコウは、不意に隣から聞こえてきた悲鳴に驚いた。
「え?」
「へっへっへ。姉ちゃん、可愛いねぇ」
 襖を隔てた隣の部屋で、声が聞こえる。思わず、コウは襖に張り付いて聞き耳をたてた。
「それ以上、近寄らないでっ」
「何をナマ言ってやがる。ははーん、姉ちゃん初めてだねぇ。じゃあ、俺が教えてやるよ、色々とね〜」
「いやーっ!!」
 コウは、反射的に、剣を掴んで襖をがらっと開けた。
「やめろっ!」
 部屋の中には、半裸になった太った男がいた。そして、隅の方でうずくまった女が一人。
 男の方がコウを見て声を荒げた。
「何だ、てめぇは!?」
「やめろよ! 厭がってるじゃないか」
「へっ。俺が金だしてこの女を買ったんだ。俺の好きにして何が悪い」
 小馬鹿にしたように言うと、男は女の方に向き直った。
「さぁ、あんたも観念しな。まぁ、抵抗してくれた方が、こっちもいたぶりがいがあるってもんだぜ」
「……」
 女は顔を上げた。
 紫色の瞳が、コウを見つめ、驚いたように大きく見開かれる。
 男は続けた。
「それに、あんたが大人しくしてねぇと、困る奴がいるんじゃないのか?」
「そ、それは……」
 彼女は、うなだれた。
 男は振り向いて嘲るようにコウに言った。
「ま、そういうわけだ。この女も納得してることだ。これ以上邪魔するんなら、人を呼ぶぞ」
「……」
 コウは無言で剣を抜いて、男に突きつけた。
「ひ、ひっ」
「さっさと失せろ。さもないと、ここで命を落とすことになるぞ」
 彼は低い声で言った。男の顔がひきつる。
「い、命だけは……」
「じゃ、さっさと行け」
「ひ、ひえぇぇぇ」
 男は自分の服をかき集めると、部屋から飛び出していった。
「ふぅーっ」
 コウはそのまま、へなへなとその場にくずおれた。額の汗を拭う。
「あれであいつが逃げなかったらどうしようかと思ったぜ」
「ちょっと、あなた」
 不意に声がかけられ、コウは顔を上げた。
 女が立ってコウを見下ろしている。
「あ、もう大丈夫だよ」
「何てことしてくれたのよ」
 彼女は腰に手をあてて、コウを睨んだ。
「へ?」
「これでもう、私がここでお金を稼ぐことが出来なくなりましたわ」
「で、でも、さっきは悲鳴をあげてたじゃん」
「あ、あれは、そ、そう。お芝居ですわ」
 彼女はちょっとうろたえたものの、きっぱりと言いきった。
「そ、そうなの?」
「そうよ。まったく、どうしてくれるのよ!」
「そ、それは……、ご、ごめんなさい」
 コウはあたふたと頭を下げると、剣を納めて自分の部屋に戻ろうとした。
「ちょっと待ちなさい」
「は、はい」
 慌てて振り向くコウを、その女はじろじろと見た。
「ふぅん、まぁまぁね。あなた、名前は」
「コウ……」
「そう。私はミラ。ミラ・カガミよ。また、何処かで会うかも知れないわね。おーっほっほっほ」
 彼女は高笑いをあげた。
 コウは、何だかよくわからないながらも、自分の部屋に戻り、大人しく襖を閉めた。
 閉ざされた襖を見つめながら、ミラは布団の上に座り込んだ。
「あれが、コウ・ヌシヒトなの……。私……、私は……」
「ミラ」
 何処からともなく、微かに声が聞こえる。
「うまく接触できたようだな」
「……ええ」
 微かに頷くミラ。
「わかっているな。今後のことは」
「もちろん。……弟たちは……」
「安心しろ。お前が我々の言うとおりに動いている限り、お前の弟たちは、裕福な生活を送ることが出来る」
「……わかっているわ」
 ミラは、唇をきゅっと引き結んだ。
「それなら、いい」
 声がすっと消えた。
 彼女は俯いて、呟いた。
「……コウ、ヌシヒト。いっそ、憎める奴だったら、よかったのに……」
 小一時間が過ぎ、コウがあくびなどしていると、不意に廊下側の襖ががらっと開き、タクミが姿を現した
「戻るぞ」
「あ、タクミさん。何かわかったんですか?」
「ああ。いろいろとな」
 それだけ言うと、彼はさっさと歩き出した。
 コウは慌ててその後を追って訊ねた。
「で、どう言うことがわかったんですか?」
「詳しいことは、お嬢様達と合流してからだ」
 それだけ言うと、タクミはすたすたと歩いていった。
 コウがふと振り返ると、襖の影から、そっとマイが見送っていた。
(……なんか、大人の関係だなぁ)
 心の中でそう呟いて、コウはマイに一礼すると、タクミの後ろに続いて娼館を後にした。
「遅かったね」
 開口一番、ユウコはそう言った。
 しかし、口調は怒っているというよりはむしろ心配しているようだったので、コウは驚いた。
「何かあったの?」
「う、ううん。べっつになんにもないけどさぁ」
 ユウコはちらっとユカリを見た。
 そのユカリは、タクミに訊ねていた。
「で、何事かわかりましたか?」
「はい」
 タクミは頷いた。
「まずは、歩きながらでも話しましょうか」
 彼らが立ち去ってしばらくして、テブイクの町の門に、墨染めの衣をまとい、深編み笠を被った姿の人が立っていた。いわゆる虚無僧スタイルだ。
「なんだ? 坊さんか?」
 門番はうさんくさげな視線を虚無僧に送った。
 実の所、坊主もここにはよく来るのだが、それはいわゆる「徳の高い」坊主に限られている。普通の坊主には、まずここで遊べる金がないのだ。
 流浪の修行の旅を送る虚無僧ならなおのこと、のはずだ。
「ここで遊ぶんなら、まず金がいるんだぜ」
 虚無僧は無言で尺八を吹き始めた。と、門番の表情が次第にとろんとしてくる。
 尺八を吹きやめた虚無僧が、何事か言った。門番が答える。
「そういう姿の奴等なら、さっき出ていったぞ」
「……」
 また、何事か囁く虚無僧に、彼は言った。
「西の方に向かっていったぞ」
 虚無僧は、ちらっとそっちの方に視線を送ると、一つ頷き、すたすたとそっちに向かって歩き出した。
 しばらくして、門番ははっと我に返った。
「あれ? 俺はなにやってんだ? あれぇ? 確かここに虚無僧がいたような……、気のせいかな?」
 彼は首をひねりながら辺りを見回したが、既に虚無僧の姿は何処にもなかった。
「まず、これからどうするか、ですが……」
 タクミは言いながら、懐から地図を出した。
「まずはここに向かっていただきます」
 彼は地図上の一点を指した。
「ここは?」
 コウは訊ねた。
「ナーラの町。この地にもう一つの“鍵”が眠っています」
 あくまでもユカリに対して、丁寧な言葉遣いを崩さないタクミだった。
「ここに、ですか?」
「はい」
「チョイ待ち。いま、『向かっていただきます』って言ったねぇ。もち、あんたも来るっしょ?」
 ユウコの問いに対して、タクミは首を振った。
「残念ながら、それは出来ません」
「へ? どーして?」
 思わずコウが間の抜けた聞き方をした。
「タクミさん……」
「これは、あなた方の戦いです。そして、私には私の戦いがあります」
 彼は静かに、しかし苦渋に満ちた口調で言った。
「それは?」
「……近いうちに、この国は戦乱に巻き込まれるでしょう。私は、その時、護らねばならぬものがある」
「……そうですか」
 ユカリはにこっと微笑んだ。
「これまで、ありがとうございました。また、お逢いできるとよろしいですね」
「はい、ありがとうございます」
 タクミは一礼し、そしてコウの方に向き直った。
「コウ」
「は、はい」
「これを」
 彼は、小袋をコウに渡した。彼が口を開けてみると、銀の粒が一杯に入っている。
「これは?」
「お館様と姐様からのお心づくしだ。大事に使え」
「はい。ありがとうございます」
 コウは一礼した。
 次いで、彼は地図をユカリに渡すと、一礼して逆の方に歩き去っていった。
 コウ達は、彼の姿が点になるまで、見送っていた。
 ともすれば振り向きそうになる自分を叱りつけながら、タクミは歩いていた。
「……これでよかったのか、マイ」
 彼は呟き、彼女の言ったことを思い出していた。
 テブイクの町は娼館の町である。であると同時に、様々な情報が飛び交う、諜報の町でもある。
 女達に溺れた男達の口はたやすく軽くなる。そこから漏れだした情報は、様々な値を付けられ、売買されていた。
 マイはこの町の情報を一手に握り、影の支配者と呼ばれている女性だ。
 彼女がその地位に上り詰めるまでには、様々なドラマがあった。タクミも、少なからずそれに関わっていたのだ。
 そして、彼女にはもう一つの力がある。神と交信し、神託を得る“巫女”としての能力だ。
 タクミはその力をあてにして、ここにやってきた。そして、それを予期してのことだったのか、マイは既に神託を受けていた。
「彼らに手を貸してはなりません」
 彼女は、タクミと相対すると、まずそう言った。
「どういうことだ?」
「はっきり言ってもよろしいですか?」
 真面目な顔でタクミの顔を覗き込む彼女。その視線は、タクミに、昔彼女に対して抱いていた想いを甦らせかけた。
 それを振り切るように頭を軽く振って、タクミは言った。
「……言ってみろよ」
「トコウスの村から“鍵”が奪われたのは、あなたのせいなのですよ」
「俺の?」
 彼は思わず聞き返した。彼女は静かに頷いた。
「ええ。あなたが介入したことで、契約が破られたのです。従って“鍵”の一つが敵の手に渡ることになった」
「……どうすればいい?」
「あなたがヒデを倒したって、“鍵”は取り戻せないでしょう。たまたまその時、彼の手には無いでしょうね。取り戻すことが出来るのは、勇者と彼を助ける娘達だけ。そう定められているのです」
「勇者? まさか、あのコウが?」
 タクミは目を丸くした。
 マイは静かに頷いた。
「そうです。今、復活しつつある魔王を封じることの出来る唯一の人こそ、彼です」
「確かに、この地にあいつが来たときも、何処からともなく現れたんだったな」
 彼は腕を組んで一つ頷いた。そんなタクミに、マイはそっと言った。
「それに、タクミさん。あなたにはあなたのしなければならないことがあるんですよ」
「え?」
「ハンカ国が近いうちにトキメキ国に攻め込みます」
 ハンカ国は、トキメキ国の隣国である。元々が大陸の遊牧民達が興した国だけに、好戦的な国家で、今までにも周囲の国々に戦いを仕掛けては、自分たちの属国にしていた。
 いままで、トキメキ国があまりに強大だったために、両国の間に直接の戦争はなかった。しかし、周囲の属国を併合し、いまやハンカ国は、トキメキ国に並ぶだけの国力を身につけつつあったのだ。
「……本当か、それは?」
「ええ。確かな情報よ。ハンカ国内で、秘密裏に大規模な軍の移動が行われているの。しかも、トキメキ国との国境に結集しつつあるのよ」
「……そうか」
「戦いになると、このトキメキ国の至る所が戦火に見舞われるでしょう。あなたには、護らなければならない人がいるのでしょう?」
「……そうだな」
 彼は短く答えると、杯をくいっとあおった。
「俺には、護らないといけない人がいるんだ……」
 マイは寂しげに微笑した。
「私も、普通の女の子だったら……」
「マイ……、それは……」
「ご、ごめんなさい」
 彼女は袂で目を拭うと、微笑んだ。
「実はね、私、一人だけ知っているの。勇者に仕える女の子を」
「え?」
「大丈夫。私が何もしなくても、彼女は勇者と共に行動するようになるわ、きっとね」
「……そうか」
 タクミは頷いた。そして、マイに杯を渡した。
「君も、飲めよ」
「……少しだけ、ね」
 彼女は杯を受け取った。
「……コウ、お嬢様を頼む。そして……世界も、な」
 タクミはそっと呟き、歩き続けた。
 彼の妻子の待つヤシキの村に向かって。

《続く》

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