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ときめきファンタジー
章 スラップスティック

その はじめての夏

「勇者コウが、スライダに?」
 所変わってスライダの街の領主の館。その奥にある豪華な客間で、一人の小男が、いかにも下っ端というごろつきから話を聞いていた。
 小男の胸には、悪趣味に飾りたてた神の紋章が光っている。
「へい。間違いありませんぜ」
 下っ端の男はへこへこと頭を下げながら答えた。
「そうか。……ヒデが死んで、魔王四天王の座がちょうど一つ空いてるからな。このアキラ・サイトさまがその座を占めるチャンスが来たというわけだな。くっくっく、はっはっはっは」
 その小男は、哄笑をあげた。それから、男に命じる。
「例のものを使え」
「といいますと、泳ぐところを狙うのですな?」
「そうだ。ここに来たということは、必ず奴等は泳ぎに行くに違いない。そこを狙うのだ」
「へへーっ」
 その男は頭を下げると、部屋から飛び出していった。
 小男は、窓から外を見下ろした。高台にある領主の館からは、海岸線が一望できる。
 彼はにんまりとほくそ笑んだ。

「たっだいまぁー」
 ユウコは陽気な声を上げながら、宿屋に戻ってきた。それに続いて、みんながぞろぞろとロビー兼食堂に入ってくる。
「よ。今から浜に繰り出すか?」
 カツヤがカウンターの中でグラスを並べながら聞き返す。
「モチのロンっしょ!」
 彼女はにこっと笑った。
「最新流行の水着を買ってきたんだモンね。これでコウを……あれ? コウは?」
 彼女は食堂を見回した。
「コウくんかい? えっと……、あ、来た来た」
「や、やぁ、お帰り」
 コウは2階から降りてきた。水着屋でロマンを追求し続けるヨシオを放っておいて、一足先に帰ってきていたのだ。
 ユウコはつかつかっと彼に近寄ると、じろーっと見つめた。
「な、なんだよ?」
「コウくん、どこかに出かけてなかった?」
「そ、そんなことはないぞぉ」
「ふぅーん。ま、いっかぁ。それじゃ、海に行きましょ!」
 彼女は、コウの右腕を取ると、引っ張った。
「お、おい!」
「ああーっ! じゃあ、ユミも!」
 ユミが早速左腕を引っ張る。
「ちょ、ちょっと、二人ともぉ」
「さ、行こっ!」
 コウは、半ば強引にずるずると引きずられていってしまった。
 それを苦笑して見送りながら、ノゾミは言った。
「じゃ、あたしも行くかな。久しぶりに泳ぎたいし」
「そうね。ミオさんは?」
 サキはミオに尋ねた。
「わたしは、ここで休んでいますから」
 彼女は微笑んだ。サキはちょっときまり悪げに、収まりの悪い前髪をいじった。
「ごめんね」
「いいえ。楽しんできて下さいね」
「うん」
 サキは頷くと、ちらっとアヤコを見た。
「アヤちゃん……」
「オー、ヘッドエイク。ちょっと頭が痛くなっちゃった。ソーリー、ごめんねぇ」
 アヤコはふらっと壁にもたれ掛かった。サキは苦笑した。
「ん。じゃ、行ってくるね」
「まぁ、頭が、痛くなってしまったのですか? それは、お困りでしょうねぇ」
 ユカリが心配げに覗き込んだ。アヤコは軽く首を振った。
「大丈夫だってば。ユカリも行ってらっしゃいよ」
「そうですか? では、失礼いたします」
 ユカリは深々と頭を下げると、歩き出した。
 ミオは、すたすたと階段を上がっていくユイナに気づいた。
「ユイナさんは行かないんですか?」
「エネルギーの無駄遣いをする気はないの。研究もあるしね」
 足を止めてそれだけ言うと、ユイナはそのまま自分の部屋に入っていった。
(ユイナさん……)
 ミオは閉ざされたドアに気遣わしげな視線を向けた。
 林を抜けると、白い砂浜と、そして青い海が眼前に広がった。
「うわぁ! 海だぁ!」
 ユミが叫ぶ。
「海だわぁ!」
 海を初めて見たというミハルが叫ぶ。
「こあらちゃん、海だって!」
「これが海なの!」
「ふーん、まぁまぁというところかしら」
「広いんですねぇ。わたくし、初めて拝見いたしました」
 それぞれがそれぞれの感想を漏らす。
「じゃ、コウは、ちょっと目を閉じててね」
 ユウコの声が、耳元でした。はっと思う間もなく、彼女の指が首筋を突いた。
 途端に、コウの意志に反して視界が暗くなる。
「わっ!」
「さ、みんな。今のうち、今のうち」
 それからしばらく、シュルシュルという衣擦れの音だけが、風のそよぎと一緒に聞こえるだけだった。それに時折、誰かの「きゃ」とかいう声が混じる。
「な、何が起こってるんだ?」
 コウは左右に首を振ったものの、何も見えないことには変わり無い。
「おい、ユウコさん!」
「はい、おっまたぁ!」
 ユウコの声と共に、首筋がつんとつつかれた。コウは目を開けた。
「……」
 彼は言葉を失っていた。
 色とりどりの水着に身を包んだ女の子達が、コウの前に並んでいたのだ。
 花柄のビキニに身を包んだユウコが、コウに訊ねる。
「ね、この水着どう? 最新流行なんだぞぉ」
「え、う、うん」
「おーっほっほっほ」
 いきなりユウコの背後から高笑いがあがった。ユウコはむっとして振り返る。
「あによぉ、おばん」
「流行だなんだというものは、このナイスバディには関係ありませんわ。私のように美しい者は、何を着ても似合ってしまうのね」
 ミラは、ばっと扇を開いて口元を隠しながら笑った。
 ユウコはそのどどーんと出たバストを前に、かくっとうなだれた。
「ううーっ。ちょっとだけ負けたぁ」
「あ、あの……、お二人さん?」
「コウさん。わたくしも水着というものを着てみたのですが、如何でしょうか?」
 ユカリがおっとりと微笑んだ。さっきのヨシオとのやり取りを思い出して、ドキッとするコウ。
「そ、そうだね。うん、かわいいよ」
「ねぇねぇ、ユミの水着、どう?」
 そのコウの腕にぶら下がるようにしながら、ユミが訊ねた。
「え? う、うん、可愛い」
「ぶー。ユミせくしぃだもん」
 ユミはぷうっと膨れた。慌てて取りなすコウ。
「ご、ごめん。セクシーだよ、うんうん」
「えへへ」
 たちまち機嫌を直してにこにこするユミ。
 コウは心の中でため息をつくのだった。
(つ、疲れる……)
 渚でもまた一騒ぎあったのだが(ユウコ「ぺぺーっ。何、この水。塩からぁい!」)、それからは皆思い思いに海を満喫しはじめ、コウは一時の安らぎを得た。
 彼は砂浜に寝転がり、真っ青な空を見上げた。
「こうしてると、嘘みたいだなぁ……」
「なにが? コウくん」
 不意にコウの上に影が差した。黄色いワンピースの水着に身を包んだサキが、逆光の中で微笑んでいる。
「あ、サキ」
 コウは上半身を起こした。サキが持っていたコップを差し出す。
「はい、のどが渇いたでしょ? パインジュースよ」
「ありがとう」
 礼を言って、コウはコップを受け取った。
 サキは隣に腰掛けると、コウの顔を覗き込んだ。
「さっきの話だけど……。何が嘘みたいなの?」
「うん……」
 コウは波打ち際で、水を掛け合いながらきゃっきゃっと笑いあっているユウコやユミを見つめながら、静かに呟いた。
「魔王が復活したなんて、嘘みたいだ」
「……そうね」
 サキは、頷いた。
 コウは、砂をぎゅっと握りしめた。
「判ってるんだよ。俺がこんな所でのんびりしてる間に、何百何千、いや、何万何十万って人々が魔王のために苦しんでるってことは。それなのに、俺は、俺は……」
「コウくん……」
 不意に、コウの拳を柔らかな手が包んだ。
「……サキ?」
「勇者にも、休息は必要よ。コウくんのやろうとしてることは、失敗しちゃったら取り返しがつかなくなるかも知れないわ。だけど、だからこそ、休むことだって必要だと思うの」
「でもさ……」
「コウくん」
 サキは、コウの手をそっと自分の胸に引き寄せた。
「苦しまないで。焦らないで。コウくんは、出来る限りのことを一生懸命やってるわ。そんなコウくんをだれも責めたりなんかしてない。だから……」
 サキは、海と同じ色の瞳で、じっとコウを見つめた。
「だから、コウくんも、自分を責めちゃだめよ」
「……ありがと」
 コウは頷いた。
「なんだか、気分が楽になったよ。サキのおかげだね」
「ううん。そんなことないわ」
 サキは首を振った。そして立ち上がると、手を差し出した。
「あたし達も行きましょ!」
「そうだね」
 コウも立ち上がり掛けたその時、不意に悲鳴が聞こえた。
 二人は悲鳴の方向を見た。そして、絶句した。
「な、なに、あれ?」
「スライムか何かかな?」
 波の中から、紫色をしたぐにゃぐにゃの生物が姿を現していた。大きさは10メートルを越えている。
「ちっ」
 腰に手をやりかけて、コウははっとした。
「剣が……」
 剣は服と一緒に林の中に置いてきてしまっていた。
「くそっ!」
 コウはそのまま駆け寄っていった。サキがその後を追いかける。
「きゃぁぁ、こあらちゃんがぁ!」
 ミハルが半泣きになりながら手を組んで叫んだ。
 その紫のスライムもどきに半分ほど包み込まれながらも、その変な生き物(ミハル曰くこあらちゃん)は、にやりと笑っている。
「アニキャリヤテイ・ソワカ」
 ユカリがおっとりと手を組みながら呪を唱えた。その瞬間、ゴウッと炎があがり、スライムもどきを襲う。
 しかし、スライムもどきはこあらちゃんを解放すると、海中に潜って炎を消してしまった。
「こあらちゃん!!」
 ミハルが歓喜の声を上げて、両手をさしのべる。こあらちゃんは、ちりちりになった頭を振りながら、ミハルの頭によじ登った。
「よかったねぇ、こあらちゃん」
 彼女はにっこり笑った。こあらちゃんは何やら言いたそうだったが、とりあえずミハルの輪になった髪の毛を引っ張るにとどめた。
 一方、ユカリはおっとりと微笑んだ。
「あらぁ。これでは、仕方ありませんわねぇ」
「ユカリちゃん!」
 コウが叫んだ瞬間、海中から躍り上がった紫の生物がユカリの頭上から襲い掛かる。
「きゃぁー」
 何となく緊迫感のない悲鳴がかき消えた。
「ちっ!」
 駆け寄ろうとしたコウを、ユウコが抱き留める。
「だめぇ! コウに何が出来るのよぉ!」
「だけど!」
「あたしがやる!」
 ノゾミが、海水に手を浸した。もちろん、彼女も“スターク”を置いてきており、今は素手である。
「ノゾミさん、どうするの?」
「こうさ。大海嘯っ!!」
 ノゾミは腕を振り上げた。
 ゴウッ
 腕の動きに従って、海水が巻きあがり、紫の生物ごと持ち上がる。が、それでも海面に姿が出てきたくらいだ。
「ちっ。やっぱり剣がないと……」
 ノゾミが唇を噛む。
 と、その隣にメグミが進み出た。
「メグミ?」
 不審そうに彼女を見たノゾミは、彼女の唇が動いているのに気づいた。
「水の精霊ウィンディーネ、お願いします……」
 と、紫の生物がぐぐっと持ち上がる。海水が、まるで噴水のように吹き上がり、紫の生物を押し上げているのだ。
 下から、ユカリの姿が現れる。
 コウよりも早くユウコが飛び出して、ユカリを引っぱり出した。安全圏まで走ると、砂浜に降ろしてぱしぱしと頬を叩く。
「ほら、ユカリ! しっかりしなってばぁ」
「あ、はぁ……、わたくしはどうしてしまったのでしょうか?」
 ユカリがぼんやりとしながらも目を開けたので、コウはほっとした。
 ちょうどその時、水の精霊の勢いが弱まって、紫の生物が海に落ちた。
 派手な水しぶきがあがる。
「ちくしょう。らちがあかないなぁ、このままじゃ」
 ノゾミが舌打ちする。
 そのノゾミに、サキが話しかけた。
「ノゾミさん」
「何? 何かいい方法あるの?」
 サキに背中を向けて、紫の生物を睨み付けたまま聞き返すノゾミ。
 そのノゾミに、サキは言った。
「ねぇ、その紫の海スライムって、陸の上まで追いかけてくるのかな?」
「……」
 ノゾミはポンと手を打った。
「みんな、逃げようぜ!」
「じゃ、また明日泳ごーね、コウくんっ」
「こら、離れなさい! コウさんが厭がってるじゃないの」
「コウさんはユミのだもん!」
 わいわい言いながら、皆は波打ち際から離れていった。

《続く》

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