喫茶店『Mute』へ
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その 第8の鍵
ナツエはユカリの怪我を癒すと、今度はコウにとりかかろうとしていた。
『あたし、信じたいの。あなたを……』
「コウ……くん」
コウはヨシオが横たえた姿勢のまま、ピクリとも動いていない。
「……これは!」
コウの額に手を当てて、ナツエは呟いた。
その額に、汗が浮かぶ。
「ナツエ?」
ユウコがその表情を見て訊ねる。
ナツエは考え込んだ。
「ユウコ、さっき悪魔を見たって言ってたわよね。そして、人の身体から出て来ようとしてたって」
「うん。でも、そいつはあたしがやっつけたけど」
「それはいいんだけど……。そいつ、ダークプリーストだったんじゃないかしら」
「ダークプリースト?」
「ええ。暗黒神を信仰している闇の僧侶よ。そして、コウはそいつの術をかけられたんじゃないかしら?」
ナツエそう言うと、ちらっとサキを見た。
サキは唇を噛みしめて、地面を見ている。
ユウコがナツエの襟を掴む。
「なんでもいーからさぁ、早くコウを何とかしてよ!」
「あたしには……」
ナツエはうなだれた。
「ダークプリーストのかけた術に対抗するには、それに対応する光の術しかないわ。でも、あたしはそれを知らないの……」
「マジマジ!?」
ユウコはナツエに詰め寄った。
「あたしの力じゃ……。でも、サキなら……」
ナツエはサキに視線を向けた。サキは俯いたまま呟いた。
「あたしには……その資格がないの」
「資格?」
「あたしには……僧侶の資格なんか無い。だって……神様よりも好きな人がいるなんて、そんなこと許されることじゃないもの」
サキは俯いたまま、激しく頭を振った。
「サキ……あんた……そういうことなのね」
ナツエは、ちらっとカツマを見た。
「ちょっと、サキと話があるの。みんな、外してくれないかしら」
「え?」
「ん。任せた」
ユウコは頷くと、さりげなくメモを出そうとしたヨシオの手をぴしゃりと叩いた。
「ほら、行くよヨッシー」
「おい、ちょっと」
「ジュンくんもカツマくんも、行くの!」
メグミが二人の背中を押して、離れる。
それを見てから、ナツエは脇の建物の壁に寄り掛かった。
「あたしも、ずいぶん悩んだのよ」
「え?」
サキが顔を上げて、ナツエを見る。
ナツエは、建物の間から見える細い青空を見上げながら言った。
「カツマのこと。そして、神様のこと」
「あ……」
「でもね、サキ」
ナツエは、サキを見つめた。
「ミオに言われたんだ。『自分の心を偽るようでは、神の教えを説く資格はない』って」
「ミオさんが……」
「だから、今回はあたしがサキに言うわ」
ナツエはサキにぴっと指を突きつけた。
「誰か一人を好きになったくらいで揺らぐような信仰心は、本物じゃないわよ」
「ナツエさん……」
彼女は、一転して笑みを浮かべた。
「いいじゃないの。僧侶が誰かを好きになったって。神様だって言ってるでしょ、『まず、汝の隣人を愛せよ』って」
「それって、意味が違うんじゃないのかな」
「いいの」
ナツエは、サキに指摘されてかっと赤くなりながら言った。
「サキ、もう一度良く考えてみなさい」
「うん……」
サキは、コウの顔を見つめた。
(コウくん……)
青ざめて目を閉じているその顔に、今まで旅をしてきた、一緒に戦ってきたコウの顔がフラッシュバックする。
そして、最後に、初めて彼に逢った日の夜のことが、サキの脳裏に浮かんできた。
その時、自分がコウに言った言葉も……。
サキは唇を噛みしめた。
ナツエが、その肩を叩く。
「サキ。やっぱり、好きなんでしょ」
無言で頷くサキ。
「だったら、いいじゃない。神様だって許して下さるわよ。サキが僧侶の技を使えるって事は、神様がサキを認めて下さっているって事でしょう? 言ってみれば、サキは神様に見込まれてるのよ。そのサキが見込んだ人でしょ、コウは。その人のために神様の力を使ったって神様は怒りはしないわよ。違う?」
「……うん」
サキはこくりと頷くと、顔を上げた。
「あたし、もう、迷わないわ。コウくんが好き。コウくんのために、がんばりたいの」
その瞳の色は、空の色と同じように澄んでいた。
そんなサキを、いつ気がついたのか、ユカリがにこにこ笑いながら見つめていた。
(サキさんも、気がついたようですねぇ。わたくしと同じ事に。……一番、大切なことに)
《続く》