喫茶店『Mute』へ
目次に戻る
前回に戻る
末尾へ
次回へ続く
ときめきファンタジー
第
章 ユイナの涙
その
You can Dance

「余計な時間取っちゃったじゃん!」
「申しわけ、ございません」
コウ達4人は、揺れる船内の狭い廊下を、それぞれ精一杯の速さで走っていた。もっとも、ユウコだけは思いきりスピードをセーブして他の人に合わせていたのだが。
そのユウコが、先頭をきって甲板に上がる跳ね蓋をあげる。途端に、雨風が吹き込んできた。
「うぷぅ。こりゃちょっときっついなぁ」
そう言いながら、彼女は蓋を大きくあけた。その途端。
バキィ
風に蓋がもぎ取られ、吹き飛んでいく。
「ありゃりゃ……。ま、いっかぁ。みんな、早く上がって上がって!」
ユウコに続いて、コウ、ユカリ、サキの順に甲板に上がった。
「きゃぁっ!」
急に吹き付ける雨混じりの猛烈な風に、サキが足を取られた。同時に甲板がぐらりと大きく傾く。
「きゃぁぁーっ、コウくぅん!」
「サキ!」
コウが手を伸ばすよりも早く、ユウコがサキの腕を掴んだ。ほっと息をつくコウ。
「よかった」
ユウコはサキに笑いかけた。
「ぼんやりしてないの」
「そ、そんなことないもん」
ぷっと膨れると、サキは辺りを見回した。
「アヤちゃんは?」
「そういえば、演奏してないね……。あ、いた!」
「どこ?」
「ほら!」
ユウコは舳先を指さした。アヤコが甲板の縁に掴まって、海を覗き込んでいる。
「……なにやってるのかしら?」
「あ、さては……」
にかっと笑うと、ユウコは甲板の上を危なげなく駆けていっち。そして、アヤコの背中を叩く。
「アヤコ! ゲンキしてる?」
「……」
アヤコは振り返った。その顔は夜目にも判るほど真っ青だった。
あははと笑うユウコ。
「ま、無理しない事ね」
「……ベリーハード」
それだけ呟くと、アヤコは舷側にもたれ掛かった。そして、不意に口を押さえる。
「うぷっ」
「ほらほらぁ、無理しないの。吐いちゃえ吐いちゃえ。吐けば楽になるってばぁ」
無責任に笑うユウコ。
そこに、やっとサキがたどり着いた。
「アヤちゃん、大丈夫?」
「……」
無言で首を振るアヤコ。
サキはこれは忘れずに持ってきた聖印を握ると祈りを唱える。
「神よ、我がいのっ」
いきなり船が大きく傾いて、サキはその場にすっ転んだ。鼻を押さえながら起き上がる。
「いたぁい、鼻打ったぁ……」
その頃、コウとユカリはメーンマストの下に移動していた。
既に帆は総て降ろされており、雨を遮る物もないわけだが、それでも激しく揺れる甲板上で、身を支えることはできる。
「ひどい雨ですねぇ」
ユカリは空を見上げながら言った。無数の雨粒が甲板を激しく叩いている。
「ほんとに。……寒くない?」
コウはユカリに視線を向けた。
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
ユカリはにっこりと笑ったのだが、コウはそれどころではなかった。
雨にべったりと濡れた薄い着物が、ユカリのボディラインをくっきりと浮き上がらせていたのだ。
(そっかぁ、下着、付けてないんだなぁ)
一瞬、そんな考えが頭をよぎり、慌てて頭を振ってそれを追い払うコウだった。
(ちがーう! 俺はそんなことを考える男じゃないっ!)
「どうか、なさいましたか?」
ユカリが怪訝そうにコウに訊ねる。
「い、いや……」
コウが言い訳しようとした、ちょうどその時、船員の一人が絶望的な叫びをあげた。
「ク、クラーケンだぁっ!!!」
「なにっ!?」
コウは、そっちの方を見た。
ピシャァッ
一瞬、稲妻が辺りを照らし出し、コウは、海でもっとも恐れられる怪物の姿を目にした。
クラーケン。
それは、言ってしまえば巨大なイカである。
だが、体長100メートルにも及ぶこのイカは、どういう訳か人肉を好むらしく、船を襲っては乗っている人を海に引きずり込んで溺れさせてから食べてしまう、人にとってははなはだ困った癖を持っている。
もっとも、向こうにしてみれば、自分たちのテリトリーにずかずかと入ってくる人間達に言いたいことがあるのかも知れないが、あいにく両者の間にはコミュニケーションをとる手段もなかった。
ともあれ、巨大な船でさえ、その触手で巻き付いて潰してしまうクラーケンは、絶対的な海の王者として君臨しており、船乗り達の間では“クラーケンを見た”ことがステータスになるほど恐れられていた。
なお、何故か嵐の夜は出現率が上がる。というよりも、嵐の夜にしか現れないとも言われている。
クラーケンは、既にすぐ近くまで接近していた。そして、白い触手を船上に伸ばしてくる。
「わぁぁっ!」
一人の船員が、その触手に巻き付かれて海に引きずり込まれていった。
「たすけ……!」
絶叫が波間に消える。
「く、くそっ」
コウは歯がみした。と、ユカリが言った。
「コウさん。申しわけありませんが、わたくしを、支えていていただけないでしょうか?」
「え? あ、うん」
コウは頷くと、左手でマストに縛り付けたロープを掴んだまま、右手でユカリの腰の辺りを抱いた。
「こ、こうかな?」
「はい、ありがとうございます。では……」
ユカリは、両手を組んだ。その唇から呟きが漏れる。
「ナウマクサンマンダ・バサラダンカン」
ゴウッッ
甲板をのたくっていた触手に火がついた。ジュージューと香ばしい匂いが漂う。
と、その触手がシュルシュルと海に戻っていく。
「逃げたかな?」
「さぁ、どうでしょうか?」
ユカリが首を傾げた、まさにその瞬間、いきなり彼女が猛烈な勢いで後ろに引っ張られた。
「えっ!?」
コウが一瞬安心して手を緩めた、まさにその瞬間の出来事だった。反対側から回り込んできた触手が、ユカリの身体に巻き付いていた。
「ユカリちゃん!?」
「あーれぇーっ」
そのまま、触手はユカリを海に引きずり込み……かけた。
シュパァン
軽い音がして、その触手が切断される。
「だっからぁ、いつも世話かけるなって言ってるっしょ!?」
スタッ
ユウコが甲板に膝をつき、振り返る。その両手には、既に抜き身の“桜花・菊花”が光を反射していた。
「はい。いつも、すみませんねぇ」
ユカリは、巻き付いた触手を解こうとしながら言った。
コウはユウコに尋ねた。
「アヤコさんは?」
「アヤコはちょっと使えないと思うよ。サキが付いてっから、大丈夫とは思うけどね」
ユウコは陽気な声で答えると、近づいてきた触手に切りつけた。
痛覚があるのか、触手は切りつけられると、一瞬のうちに海に引っ込んでいく。しかし、休みなく別の方向から別の触手が伸びてくる。
「んもう、うざったいなぁ。何本あるわけぇ?」
ユウコはそれに切りかかろうと、右手を振り上げた。と、その手に後ろから伸びてきた触手が巻き付く。
「きゃっ!」
とっさに左手の“菊花”でそれを切ろうとしたが、その左手にも触手が巻き付いていた。
「ちょ、ちょっと、マジマジィ!?」
慌てて振りほどこうとするユウコ。だが、さらに2本ばかりの触手がその身体に巻き付く。
「ユウコさん!!」
「あん、ヤダ、変なとこに入ってくるぅ」
いきなり色っぽい声を出されて、剣を抜きかけたコウの動きが止まった。コウのみならず、助けに飛び出しかけた船員達も、みな思わず見守っている。
「な、なによ、助けてって……、ああん、だめぇ」
……ゴクリ
思わず生唾を飲み込んで、はっとコウは我に返った。
「あ、いかんいかん。たすけなくっちゃいけないぞ」
なんだかわざとらしくなったが、そう言うと、コウは長剣を抜こうとした。その途端、また船が大きく傾く。
「うわぁぁ」
ぼーっと見ていた数人の船員が海に放り出された。コウも落ちかかったが、運良く舷策に引っかかる。
「あー、びっくり……じゃない! ユウコさん!」
慌てて甲板に戻ると、コウはユウコの姿を探して、思わず目を丸くした。
「こ、この、いい加減に……、いやぁぁん、そ、そこはぁ……」
詳しい描写は避けよう。
「ど、どうしよう? このままじゃ未知の体験ゾーンに……じゃない、わぁ、どうしよどうしよ」
すっかりパニックになって、意味もなく甲板を走り回るコウだった。
《続く》

メニューに戻る
目次に戻る
前回に戻る
先頭へ
次回へ続く