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その 1/2の助走
「や、やぁぁ。あたし、もうどうにかなっちゃいそぉ……」
切なげな声が、ユウコの唇から漏れる。
「コウ……こんなの、やだよぉ……」
「ど、どうしたら……」
すっかりパニクって、意味もなく甲板を走り回るコウだった。
と、
『魔界の炎よ、我が意に従いて、我に仇なす敵を討て』
朗々と響く魔法言語に、コウは頭上を振りあおいだ。
マストの上にしつらえられた物見台に、風に黒いマントをなびかせながらユイナが立っていた。
「ユイナさん!?」
ゴウッ
触手が燃え上がり、一瞬にして燃え尽きる。支えを失って、ユウコが甲板に投げ出された。
「ユウコさん!」
慌てて駆け寄と、コウは彼女を抱き起こした。
ユウコはボウッとしていた。
「なんか、すごかったぁって感じぃ……」
「おいおい」
「ったく。世話を焼かせるわね」
ユイナは腕を組んだ。
と、その物見台に向かって、海面から次々と触手が伸びる。その勢いは槍を思わせるほどだ。
彼女はそれを冷徹な顔で見下ろし、呟いた。
「これは、私に対する挑戦ね?」
「ユイナさん、あぶな……」
コウは言葉を途中で飲み込んだ。
ガガガッ
物見台は何本もの槍と化した触手に貫かれ、脆くも崩れた。しかし、そこにユイナはいなかった。
ユイナは空中に、あたかもそこに透明な台があるかのように立って、海面を見下ろしていた。
「後悔させてあげるわよ。下等生物の分際で、私に反抗しようとしたことをね」
空中の彼女を追って触手が伸びる。
『風よ、我が意のままに我を守りし刃となれ』
シュパパッ
迫る触手が一瞬にして切り刻まれる。カマイタチが触手を襲ったのだ。
次いで、ユイナは右手を挙げた。
『大気に蟠りし雷よ、我が手に来たれ!』
バシュッ
ユイナに空から雷が降り注いだ。そのまぶしさに、思わずコウは目を覆った。
「な、何が始まるんだ!?」
宙に浮く彼女の手に、次々と雷が降り注ぐ。
「コウくん……、あれ」
何時来たのか、サキがコウの肩をつついた。そしてマストの先を指さす。
マストの先に、青白い炎が灯っている。いや、マストの先だけではなく、周り総ての尖った物の先に炎が灯っているのだ。
コウはぎょっとした。
「サキの髪の毛!」
「え? きゃぁ!」
サキは悲鳴を上げた。つんと立ったサキの髪の毛の先にも炎が灯っているのだ。
彼女は慌てて振り払い、妙な顔をした。
「熱く……ない?」
「ユイナさんの魔法のせいかな」
コウは、自分の髪の毛にも灯った炎を手で払ってみながら、首を傾げた。
確かに、間接的にはユイナのせいである。空気中の電荷が高まり、電子が励起されてイオン化現象を起こし、その際に青い光を放つ、いわゆる“セントエルモの火”現象が起こっているのだ。
「コウくん……怖い」
「サキ……」
そっとコウにすがりつこうとするサキ。
「わたくしも、少々怖いですねぇ」
「きゃっ、ユ、ユカリさん?」
どこにいたのか、ユカリがコウの後ろでにこにこしていた。慌ててサキは、顔を赤らめながら弁解する。
「あのね、ホントに怖かったからで、その、変な心づもりとかそういうのじゃなくって……」
「語るに落ちたな、サキぃ」
そのサキの頭をぐりぐりするユウコ。どうやら復活したらしい。
「痛い痛い。痛いってばぁぁ」
「このユウコ様の目を盗んでコウくんと親密になろうなんて甘いぞぉ」
《続く》