喫茶店『Mute』へ
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その パンドラ・ボックス
四半刻ほど時間がすぎた。
トン
空中から舞い降りたユイナは、地面に足をつけると、腰に手を当ててあたりを見回した。
「私に楯突いたついた、当然の報いってものね」
(別にだれも楯突いたわけじゃない)
みな、そう思ったものの、賢明にも口には出して言わなかった。
周囲には、累々と魔物の死骸が転がり、早くも死臭をかぎ付けた烏や野獣の声が聞こえはじめていた。
「でさぁ、これからどーすんの?」
わずかに西に傾いた太陽をまぶしそうに見上げながら、ユウコは誰にともなく訊ねた。
「確かにいい運動にはなったけどさ、さすがにこの真ん中でお昼ってわけにはいかないよなぁ」
「こら。動かないでくださるかしら?」
立ち上がろうとしたノゾミを叱ると、ミラは腕輪をノゾミの肩の傷にかざした。みるみる傷が癒えてゆく。
ミラのメモリアルスポットであるこの腕輪は、傷をいやす事が出来るのだ。もっとも、それは肉体的な怪我に限っており、病気の類になるとお手上げで、サキの出番を願うしかないのだが。
「これで、よし。でも、あまり体を傷だらけにするのは考え物よ。女の子なんですからね」
「へへ」
バツの悪そうな顔で、ノゾミはほっぺたを掻いた。ヨシオが同じ台詞を言おうものなら、「なに馬鹿な事言ってやがるんだよ」と怒鳴りざまに張り手の2、3発は食らわしているところだが、流石にミラに言われると勝手が違うらしい。
一方、コウはサキにたずねた。
「どう? そっちは」
「うん……」
サキは、いつも明るい彼女にしては珍しく、暗い表情をしていた。
「治癒魔法の効きが悪いの……。普通の人なら、すぐに元気になっちゃうのに……」
サキの治癒魔法の腕は、キラメキ王国では、大神官シナモン・マクシスに次ぐとまで言われ、その名は「大神殿のアイドル」という二つ名とともに近隣諸国にまで知られているほどである。そのサキが治せないというのは珍しい。
サキとは古くからの知り合いで、その実力をよく知っているミオは、眼鏡のフレームに指を添えて考え込んだ。
「治癒魔法が効力を発揮しないという原因は幾つか考えられますが、それよりも今はここから少し離れた方がいいと思います」
「そうだね。ミオさん、すまないけど……」
「それなら、私よりもミハルさんの方がいいと思いますよ」
ミオは微笑して、変な動物を抱いたままメグミと何か話をしていたミハルに視線を向けた。
「え?」
急に名前を呼ばれて振り返ったミハルに、ミオはこそこそと耳打ちした。ミハルは聞き返す。
「そんなことできるんですか?」
「はい。それに、コウさんがミハルさんにお願いしたい、と」
「コ、コウさんが!?」
急にオクターブ跳ね上がったような素っ頓狂な声で、ミハルは聞き返した。ミオはにこっと笑ってコウに視線を向けた。
コウもうなずいた。
「頼むよ」
「は、はいっ!!」
ミハルは変な動物を勢いよく背中のザックに押し込むと、右手にはめた指輪を掲げた。
「いでよ、馬車!!」
ボゥン
もうもうと白煙が上がったかと思うと、そこには粗末な荷馬車が1台あった。
ミハルの持つメモリアルスポットの指輪の力である。どこからともなく希望のものを召喚してしまうのだが、いまいち精度に欠けるのが難点である。
十三鬼から退出するように言われ、謁見の間から開放されたアルキーシは、廊下に出るや首を傾げた。
「おかしいな。妙に騒がしい……」
いつもなら凍り付くような沈黙に満たされている城内が、かすかにざわめいている。
「なんかありやがったな」
呟くと、アルキーシははっと気付いた。
「まさか、ソトイの野郎!」
その後は無言で、アルキーシは駆け出していた。
「ソトイ! しっかりしろ!」
扉の前で倒れている黒い礼服の男。その体から流れ出したとおぼしき血で辺りは赤く染まっていた。
その血だまりの中に膝を付き、男の肩を揺さぶりながら叫んでいるレイ。
アルキーシはむしろゆっくりと丁重に歩み寄った。そして声をかける。
「レイ様」
「アルキーシ! まさか、貴様も僕のことを……」
その声で初めて気が付いたように、レイは振り返ると、腰の剣に手をかけた。
アルキーシはすっとその脇を通り過ぎると、ソトイの脇にかがみこんだ。
「おい、ソトイ!」
「……アルキーシか」
ソトイはうっすらと目を開けた。
「俺は、もう……。レイ様を頼む」
「ちょっと待てよ、おい」
アルキーシは、慌ててソトイを揺さぶった。
「こら、俺に変な役を押し付けるんじゃねぇ! こら、ソトイ!!」
「ソトイ!」
レイも叫びを上げた。
アルキーシは、ソトイを床に横たえると、剣を抜いた。怪訝そうに見るレイ。
「アルキーシ、何を?」
「俺には、治癒は使えないんでね。炎よ!」
ゴウッ
アルキーシの言葉と共に、剣が炎をまとった。その剣を、アルキーシはソトイに押しつける。
肉の焼ける嫌なにおいがあたりに立ちこめた。
「何をする! やめるんだ、アルキーシ!!」
「とりあえず、傷を焼いて血をとめただけですよ。あとはソトイの体力次第ってところですな。それから……」
アルキーシは呟くと、剣を床に突き立てて口の中で小さく呟いた。かすかにピシッと音がする。
レイは辺りを見回して呟く。
「結界か?」
「ええ。これで、魔物が来てもソトイには気付かれないでしょう。それじゃ、参りますか、レイ様」
「どこに、だ?」
聞き返すレイに、アルキーシは不器用にウィンクした。
「ソトイが貴方に見せようとしたものを、お見せしますよ」
レイは、扉の前で立ち止まると、振り返った。
「ここは、お爺様の……?」
「そう。魔王様の間。今はシオリ姫が水晶に封じられている。だが、ソトイが見せようとしたのはそれじゃない。こっちだ」
アルキーシはくいっと親指で指した。魔王の間の隣にある、少し小さめの扉。
「そこは、開かずの間?」
「そう。魔王自ら封印した、開かずの間。その扉を開けることは誰にも出来なかった」
そう言うと、彼は肩をすくめた。
「無理もないさ。これを開けられるのは二人しかいない。魔王自身と、そして……」
「僕だというのか? しかし、どうして?」
訊ねるレイに、アルキーシは答えず、扉に歩み寄った。
「レイ様。ここに手を当ててみてくれ」
「あ、ああ」
レイは頷いて、扉に歩み寄り、アルキーシの示したところに右手を押しつけた。
扉は一瞬光ったかと思うと、ゆっくりと開いた。
シオリ姫の封じ込められた水晶に向かい、呪文を呟き続けていた魔王が、不意にそれを中断させ、振り返った。
「この感触……。レイか。あいつが、あそこに入りおったのか。おのれ! させぬぞ、レイ!」
立ち上がろうとする魔王。
と、不意にその背後から赤い光が射した。向き直った魔王の目に映ったのは、まばゆい光を放つ赤い水晶。
「シオリ姫め、邪魔はさせぬというのか?」
呟く魔王に答えるように、赤い光は明るさを増した。
ピシッ
水晶に亀裂が入る。
魔王は座り直すと、水晶に向かって呪文を唱えた。見る見るうちに亀裂が修復されていく。
そうしておいて、魔王は呟いた。
「確かに、儂をここに足止めは出来るかもしれん。だが、だからといって“鍵の担い手”が全員揃うというわけではないぞ。絶対に、そうはさせぬ。絶対に……」
その時、水晶に包まれ、無表情なはずのシオリ姫の頬に、微笑みが浮かんだようにも見えた。
「こ、これは……!」
レイは絶句した。
彼の目の前には、シオリ姫を封じ込めているのと同じ様な水晶の柱が立っていた。そして、その中には、一人の女性が眠るように目を閉じていた。
彼は、無意識のうちにふらふらとその水晶に近寄っていった。そして呟く。
「僕に、似ている……?」
長い金髪をまるで服のように体に巻き付けている以外は、一糸まとわぬ姿のその女性の顔立ちは、確かにレイに似ていた。
扉に寄りかかったまま、アルキーシは言った。
「それが、あんたの本当の姿だって言ったらどうする?」
「!?」
レイは雷に打たれたかのようにびくっとして振り返った。
「莫迦な事を!」
「わかってるんだろう? あんただって」
アルキーシは肩をすくめた。
「な、何を!?」
「魔王の孫、魔皇子レイ・イジュウインは、本当はいないんだってことにさ」
「……」
沈黙し、その女性に視線を向けるレイ。
アルキーシは、静かに言った。
「その水晶の中にいる女こそ、ザイバ帝国の唯一の生き残りの姫にして、勇者を守護する“鍵の担い手”の一人となるであろう事を魔王自らが予言した、プリンセス・レイ・フォン・ザイバその人さ。そして、魔皇子レイ・イジュウイン。あんたは、プリンセス・レイの影にすぎないんだ」
《続く》