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ときめきファンタジー
章 君の中の永遠

その Eternal Wind〜微笑みは風の中で

 ベネディクトはなにやら呟いた。と同時に、アヤコの手が裂けて、血が噴きだす。
 アヤコはそれに構わず、リュートを構え、かき鳴らした。
 ギュィーン
 金属がきしるような音が響きわたる。
「オッケイ!」
 にんまりと笑うと、アヤコはベネディクトに向きなおり、叫んだ。
「ヘイ! あたしの歌を聴きなさぁ〜い!!」
「何の真似ですか?」
 半ば呆れたように聞き返すベネディクト。
 今度はアヤコの肩から血が流れる。しかし、アヤコは無視して、リュートをかき鳴らした。

 ♪あたしはそんなに強くない
  それを知ってるのはあなただけ
  だけどそんなに弱くもない
  それを知ってるのはあたしだけ
  どんな敵が来たって負けない
  だけどあなたには負けちゃうの
  それがあたしの弱いとこ
  そしてあなたの知らないとこよ

「なっ!?」
 ベネディクトは、不意にがくっとうなだれた。頭を振る。
「ばかな。どうして眠気が急に……。まさか!」
 彼は顔を上げ、歌うアヤコを見た。
「魔法は効かないはず……。結界は張ってあるのに……、効かないというのか……」
 これが、アヤコがベネディクトに言わなかった、「もう一つのアヤコの残った理由」である。呪歌は魔力を音に変換する。そのために魔力を防ぐ結界は、呪歌に対しては用を成さないのだ。
 ベネディクトはさらに呪文を呟いた。
 バシィッ
 頭から血が流れる。彼女のシニョンをまとめていた紐も切れて、意外に長い髪がバサリと広がる。
 彼女は目に入る血と髪の毛をうっとおしそうに頭を振って飛ばし、歌いつづけた。
「お、おのれ、この程度で……」
 ベネディクトは何度も頭を振り、そのたびにアヤコの体から血が流れる。
(ミーが貧血で倒れるのが先か、ユーが眠るのが先か、勝負よ!)
 アヤコは、リュートを奏で、歌いつづけた。

「ぎゃぁぁぁぁ」
 悲鳴を上げて、リラの姿が掻き消えて行く。
 闇の精霊は、精神の精霊でもある。その闇の精霊王ならば、精神体そのものであるバニッシャーが抗えるはずもない。
 闇の精霊王は、命令を果たしてメグミのほうに向き直った。
 メグミは屈み込んで、泣いていた。
「ムク……、ごめんね、ムク……」
 ワンワン
「え?」
 聞き慣れた鳴き声に、メグミは顔を上げた。
 その眼前で、小さな尻尾を千切れんばかりに振っている子犬。
「……ムク?」
 メグミは目をしばたたかせた。そして、おそるおそる手を広げる。
 ワン!
 子犬はダッシュして、メグミの胸の中に飛び込んだ。そして、メグミの顔をペロペロとなめる。
「きゃ、ムク、くすぐったいよぉ」
 メグミは泣き笑いの顔をして、ムクをギュッと抱きしめた。
 闇の精霊王と女王は、笑顔をかわして、すっとその姿を消した。
 というわけで、ユウコ達が追いついたときには、ムクとメグミだけがそこで戯れていた。
「あれ、メグミじゃん。なにしてんの?」
「きゃ!」
 急に声を掛けられて、メグミは振り返った。
 その顔が、見知った顔をみて明るくなる。
「ユウコさん! ユカリさん! ユイナさん! ノゾミさん!」
「やっほー、おひさ」
「お久しぶりでございます。お元気そうで何より」
「……」
「よっ」
 四者四様の挨拶を受けて、メグミは立ち上がった。
「そのリラってのも、愚かね。メモリアルスポットは破壊できないっていうことも知らなかったとはね」
 メグミの話を聞いて、ユイナはあっさりと言った。
「で、でも……、あの人は、魔法生物は消せるって……」
「確かにその犬は、魔法生物の要素もあるから、分解されてしまうかもしれないけれどね。でも本質はメモリアルスポットよ。“鍵の担い手”が、そして勇者が必要としている限り、何度でも再生するわ」
「そうなんですか。……よかった」
 ムクを抱きしめるメグミ。ムクも、そのメグミの顔をぺろぺろとなめた。
「きゃ、くすぐったい。もう、ムクったら」
「んじゃ、そろそろ行こっか!」
 ユウコは立ち上がると、先に進み始めた。皆もうなずき、その後を追う。
 バァン!
 ミラが先頭に立って、そのドアを蹴り開けた。そして身構える。
 中からは何の気配もしてこない。
 視線をドアの中に向けたまま、ミラは訊ねた。
「ここなの?」
「はい。魔王回廊へ通じる扉は、この広間をまっすぐつっきった奥です」
 後ろから、レイがうなずく。
 その広間は、昔レイが魔皇子としてこの城にいた頃、よく使ったところだった。ソトイやアルキーシ達魔王四天王に命令を下すための閲見の間だったのだ。
 そこに、今は勇者の仲間として足を踏み入れる自分。
 妙な感慨に捕らわれながら、レイはその部屋に足を踏み入れた。その後から、コウ達も入って来る。
 最後にミオが、ドアの前に符を張りつけてから入ってきた。ユミがそれを見て不思議そうに訊ねる。
「ミオさん、何やってるんですか?」
「目印を付けているんですよ。後から来るユカリさんやユイナさんが迷わないように」
 微笑してミオが言う。ふーんという感じで聞いていたユミが、不意にミオの手を引っ張った。
「ミオさん、危ない!」
「え? きゃ!」
 ユミが勢いよく引っ張ったおかげで、ミオは音もなく天井から落ちてきた鉄格子に串刺しになるのは免れた。
 ドォン
 鉄格子は、ちょうどミオのすぐ後ろに落ち、皆が戻れないように退路を断った。
「あっ……」
 振り返り、ミオはくらっと倒れかかった。慌てて支えるユミ。
「ミオさん! サキさぁん、ミオさんが!」
 サキが慌てて駆け寄り、ミオの治療をする。その間に、ミラは髪からヘアピンを抜いて、鉄格子に放った。
 バシィッ
 鉄格子に触れた途端、ヘアピンは燃え上がり、消滅した。ミラは肩を竦める。
「壊せなくはないけど、時間が掛かりそうね」
「後退するわけではありませんから、壊す必要はないのではないでしょうか?」
 レイが言った。そして、正面に向き直る。
 コウが油断なく、というよりはもの珍し気に辺りを見回す。
「薄暗くて、よく見えないなぁ」
 と、
 ボッ
 コウの言葉に答えるかのように、不意に左右の壁に明かりが灯った。薄暗かった広間が明るくなる。
 その明かりは、手前から奥へと点灯していき、それに従って奥が見えてくる。
 そして、一番奥の玉座の前には、貧相な小男が立っていた。
 彼は、コウ達に頭を下げる。
「ようこそ、ここまで参られましたな」
「誰だ!?」
 コウが腰の剣に手を掛けて叫んだ。彼は答えた。
「魔王様にお仕えし、十三鬼が第七位、ケミス」
「誰でもいい、そこを退いて俺達を通せばよし、さもなくば!」
 剣を抜き放つコウ。
「力ずくでも通らせてもらうっ!!」
「出来ますかな、勇者コウ」
 馬鹿にしたように笑うケミス。
 コウはかっとして、駆け出した。
「コウ!」
「コウさん!」
 後ろで叫ぶ皆の声を無視して、一気に駆け寄るその前で、ケネスの輪郭がぼやけた。
「……なんだって?」
「くくく。さぁ、俺と戦ってみろよ、勇者コウ!」
 ケネスの口調が変わる。そしてその姿は……。
 ユミが、呟いた。
「コウさんが……、二人いる?」
 ケネスの姿は、コウと全く同じになっていた。
 コウは叫んだ。
「虚仮威しを! くらえ、“気翔斬”!!」
「こうか? “気翔斬”!」
 コウの姿をしたケネスも、同じ技を放ち、二つの技はぶつかり合って消滅した。
「このぉ!」
「コウさん、戻って!!」
 ミオの叫ぶ声に、コウは振り返った。
 彼女は、サキに支えられて上半身を起こしていた。
「でも!」
「ほら、どうした? 来いよ、勇者。それとも怖いのか?」
 向こうで自分が呼んでいる。コウは向き直った。
「バカにするな!」
 コウは床を蹴った。
「コウさ……」
 叫ぼうとしたミオは、コウが駆け出したのを見て、懐から符を出して投げつけた。その符はコウの背中に張りつく。
「あうっ!」
 コウの全身の筋肉がいきなり硬直し、動けなくなったコウはその場に倒れた。
 ミオはミハルに言う。
「コウさんを引き寄せてください!」
「あ、はい! 出でよ、コウさん!」
 指輪を掲げて、ミハルが叫ぶと同時に、皆の前に無様に転がったままのコウが現れる。
 ミハルの召喚術は、あらゆる物体を引き寄せる事が出来るのだ。
「いてて。ミオさん、ひどいよ」
「すみません。ですが、あのまま彼と切り結び始めては、私たちはどちらが本当のコウさんかわからなくなってしまいます」
 ミオは言うと、コウの背中から符をはがした。再び動けるようになるコウ。
「でも、それじゃどうすればいい?」
「……」
 ミオは黙り込んだ。その肩を、ミラがポンと叩いた。
「わかっているんでしょう? 方法は一つしかないって」
「ミラさん……」
「私が残ってさしあげるわ」
 ミラはさらっと言った。
「方法は一つ。たった一人が残って戦えばいい。それならば、どちらが自分なのかは判りきっているから。そして、他の人はそれを待ってる必要はない。そんな時間があれば、先に進めばいい。そうでしょう?」
「ええ。……でも……」
「それでは、失礼させていただくわ」
 ミラはコウにウィンクすると、鉄扇を腰から抜いた。そして歩み寄っていく。
 ミオはミラの背に一礼すると、レイに訊ねた。
「魔王回廊への入り口はどこにあるのですか?」
「……玉座の後ろです」
 レイは答えた。ミオはうなずき、コウに言った。
「ミラさんが戦い始めたら、一気にその脇を駆け抜けます」
「そんな! だって……」
 反論しかけ、コウはミオの目を見て俯いた。そして、剣を納めた。
「……わかった」
「私がお相手してさしあげますわ」
 ミラは、鉄扇をぴっとケミスに向けた。
 ケミスは瞬時に姿を変えた。
「あら、私のお相手をなさるおつもり?」
「ええ。行きますわ!」
 その瞬間、ミラの姿がふっと消えた、かに見えた。
 ミラの姿をしたケミスは飛び退きざまに鉄扇を一閃させた。
 キィン
 微かな音を立てて、ミラの一撃はかわされた。ミラはとんぼ返りをうって、ケミスの次の一撃をかわし、間合いを取った。
 コウ達が、どちらがどちらとはっきり判っていたのはそこまでだった。次に二人が動いた瞬間から、すでにどちらが本当のミラか、判らなくなってしまったのだった。
「コウさん!」
 ミオは叫んだ。コウはうなずき、戦う二人に(どちらか判らなかったので)叫んだ。
「待ってるから!」
 コウ達は駆け出した。そして、二人のミラの脇を駆け抜け、玉座に駆け寄った。
 走りながら、ミオが叫ぶ。
「ユミさん!」
「任せて! ユミボンバー!!」
 ドゴォン
 ユミの一撃で、玉座の上にあった豪奢な椅子が真っ二つに裂けた。その向こうには、扉がある。
 さらにユミがその扉に攻撃を浴びせた。
「ユミボンバー!!」
 バキバキィッ
 凄まじい音を立てて、扉がへし折れた。その向こうには、長い廊下があった。
 コウ達は、その中に駆け込んでいった。
「ま、まだだっ!」
 ベネディクトは叫んだ。そして天を仰ぎ、絶叫した。
「我が暗黒の神よ! 彼の者の肉体を朽ち果てさせよ!」
 すぐに、その呪いがアヤコを襲う。
 ズルッ
 嫌な感触と共に、アヤコの指から液体が滴った。
 水ではない。彼女の指の肉が腐り、腐汁となって滴り落ち始めたのだ。
 たちまち、全身が同じように腐っていく。
 リュートの音がとまった。声もだんだんと嗄れていく。
 すでに骨と筋だけになった右手を、それでも動かしてリュートを弾こうとするアヤコ。
 だが……。
 パキィ
 弦を弾いた弾みに、指の骨が折れた。ベネディクトの呪いは、骨まで脆くしていたのだ。
 ベシャァッ
 アヤコの身体が、リュートの重みに耐え切れなくなり、崩れ落ちる。リュートは腐った肉汁を跳ね上げながら、そこに落ちた。その脇に、アヤコの左腕だったものが、原形をとどめないほど腐り果てて、転がっている。
 音楽が止まり、ベネディクトを襲っていた眠気も消えた。
 彼は大きくため息をついた。そして、笑みを浮かべてアヤコを見た。
 既にどろどろの肉塊と、その中に突き立つ白い骨となったアヤコを。
「まだ意識はあるでしょう。そうしておきましたから」
 彼はにぃっと笑った。
「そうだ。いっそそのまま、不死の人にしてあげましょうか。それがいい。くっくっくっくっ」
 彼の笑い声だけが、その辺りに響きわたった。
「あなたは、我が暗黒の神の下僕となるのです! 光栄なことではありませんか!」
 彼は両手を広げて、熱っぽく、もの言わぬ腐った肉塊に向かって話しかける。
 その目は、狂気をはらんでいた。
 バシィッ
 ミラの鉄扇を、もう一人のミラの鞭がその手から弾き飛ばした。
「くっ」
 彼女は小さく呻くと、とんぼ返りをうって下がる。
 それを追って、ミラは鞭をさらに振るう。
 ミラはそれをかわして空に舞った。その足に鞭が絡みつき、床に引きずり落とす。
「きゃ」
 ドサッ
 床に転がったミラは、だが懐から煙玉を出して床に叩き付けた。バンという音とともに、もうもうと煙が吹き出す。
 その煙に紛れて、ミラの姿は見えなくなった。
「隠れるとは、贋者らしいやり方ですわね」
「何を言っていますの? そちらこそ贋者でしょう!」
 煙の向こうから、ミラの声が聞こえた。ミラは眉を顰めた。
「盗人たけだけしいとはこのことですわね」
 その瞬間、煙をついて鞭が飛んだかと思うと、ミラの首に巻きついた。
「!!」
 ミラは、その鞭に手をかけて解こうとする。
「甘くてよ!」
 煙が少しずつ晴れ、鞭を引くミラの姿が露になっていく。
「くっ!」
 その瞬間、首を絞められながらも、ミラの長い足が何かを蹴り上げた。それは、床に落ちていた鉄扇。
「しまっ……!」
「ええい!」
 宙に浮いた鉄扇を掴むや、ばっと開き、ミラは首に巻きついていた鞭をその鉄扇に仕込まれた刃で切断した。
 勢い剰って数歩よろめくミラに、今までのお返しとばかりに鉄扇を閃かせ、突っ込むミラ。
 キィン
 微かな音を立てて、その一撃が弾かれた。もう一方のミラの手にも、同じ鉄扇があった。
 間合いを空け、二人はにらみ合う。

《続く》

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