喫茶店『Mute』へ
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ときめきファンタジー
断章
命を賭けても守りたい
その
Heart of Justice

「てめぇ!」
ザクッ
男は、ミオの右手に容赦なく短剣を突き立てた。白い手が朱に染まる。
「っ……」
ミオは呻いた。
「貴様っ!!」
スペルフィールドが切りかかろうとしたが、場所が狭い上に、ミオを人質に取られているようなものなので、歯がみするしかなかった。
ミオは、苦痛に耐えながら呟いた。
「シーナさんが、ご自分の命を賭けて、私に渡してくれた物を、あなたに、そして魔王に、渡すわけにはいきません」
「これでもかよ!!」
ザシュッ
もう一度、男は短剣を突き刺した。ミオは唇を噛んで悲鳴をこらえる。
男が短剣を引き抜くと、血が吹き出したが、彼女はそれでも小箱を離そうとはしなかった。その強情さに、男は苛ついたようにミオを睨み付ける。
「畜生。こうなったらてめえを殺してでも……」
「それまでになさい」
突然、冷たい声が割り込んだ。男は振り向いた。
「だ、誰だ!?」
書庫の奥の闇と同化するかのように、濃紺の長衣を纏った姿があった。
髪の隙間から、左目だけが妖しい光を放っているように見える。
ミオは、その少女の姿を見て、呟いた。
「ユイナ……さん」
「一回しか言わないから、しっかり聞きなさい。このままこの場から一目散に逃げるというなら、慈悲の心をかけてあげてもいいわ」
「何をふざけたことを言ってやがる!!」
「そう。じゃ、未来の支配者に逆らった事の愚かしさを教えてあげるわ。死になさい」
「へへっ。バカじゃねえのか、てめえはよ!」
少女の眉がつり上がった。それから、ふっとため息をつく。
「苦しまないようにしてあげようと思ったけど、気が変わったわ。世界の真の支配者の名を、苦痛と共にその記憶の奥深くに刻み込んであげる。死んでも忘れることがないくらいにね」
その少女は、右手を挙げた。
『光輝く刃の網よ! 我が魔力によりて、我これを紡がん』
一瞬の静寂の後、突然、男が絶叫した。
「ぐわぁぁぁぁっ!!」
全身に短剣で切ったような傷ができ、血が吹き出す。
「あら、偉そうなことを言っていた割には、痛みに対する耐久性がないわね。今あなたが味わっている痛みは、ミオの味わった痛みのたかだか15パーセントに過ぎないのよ」
彼女は腕を組んで、足下でのたうち回る男を見下ろした。
ミオは緊張が緩んだせいか、意識を失った。その手から、血塗れになった箱が落ちる。
スペルフィールドが慌てて彼女を抱き起こした。
「ミオさん! ミオさん!!」
男は、血塗れになった顔を少女に向け、哀願した。
「た、助けて……くれ」
「もう、遅いわ。既にあなたの選択の時は終わったのよ」
そう言うと、パチンと指を鳴らす。その瞬間、さらに血が吹き上がる。
「ぐがぁぁぁ……」
「これくらいかしらね、ミオの受けた痛みは」
呟いて、彼女は男を見下ろし、フンと鼻を鳴らす。
「失神したわね。だらしない」
興味を失ったようにそう言い捨てると、別の呪文を唱え始めた。
『我が魔力、我が意志に従いて、我にあだなす悪しき物の存在を抹消せよ』
バシュン
閃光が走ったかと思うと、一瞬にして、その男はまるで最初から存在していなかったかのように消滅していた。
少女は、次いでミオとスペルフィールドの傍らに歩み寄った。
スペルフィールドは、気が動転してしまい、ミオの名前を呼び続けていた。
「ミオさん! ミオさん!」
「まったく。愚民はすぐに冷静さを失うのだから……やはり優れた者に統率されるべきね」
彼女は嘆息するとかがみ込み、ミオの右手首に触れて呪文を唱えた。
『魔法の縄よ、我が意志に従い、戒めとなれ』
その言葉に従って、目に見えない縄がミオの右手首を縛り、出血を抑える。
そうして置いてから、彼女はスペルフィールドに向かって言った。
「とにかく、出血がひどいわ。早く神殿かどこかで処置しないと、死ぬわよ」
「は、はい!」
彼は慌ててミオを抱き上げると、走り出した。
それを見送ってから、その少女、『チュオウの魔女』ことユイナ・ヒモオは苦笑した。
「私らしくもない事をしてしまったわ。まぁ、たまにはいいかしらね」
ミオは目を開けると、辺りを見回した。
見慣れた部屋だった。旅に出る前、大神官について勉強していた頃、彼女が使っていた大神殿内の部屋。
「私……どうしてここに?」
「おお、気がついたか」
ドアを開けて、白髪の老人が入ってきた。キラメキ王国の僧達の中でも最高位である大神官を名乗れる唯一の男、シナモン・マクシス大僧正である。
ミオは体を起こした。
「大神官様……私は……」
彼は彼女の右手を取って調べた。傷跡が微かに残っている以外に痕跡はない。
「すまんな。完全には治せなんだ」
「いいえ。ありがとうございました」
そう言ってから、彼女ははっとしたように辺りを見回した。
「そうですわ! あの箱……」
「これじゃろう?」
シナモンは懐から小箱を出した。まだ、ミオの血がついて、赤黒く染まっている。
それを見た瞬間、ミオの心がズキンと痛んだ。
「……シーナさん……」
「事情はスペルフィールド殿から聞いた。ミオよ、自分を責めてはいかんぞ」
「でも……」
「人にはそれぞれ、為すべき事があるのじゃよ。そして、それを捜すために、生きてゆくのじゃ」
彼はそこで一旦目を閉じ、それから未緒に訊ねた。
「シーナは最後の瞬間、笑っていたのじゃろう?」
「はい……」
「笑って死ぬことが出来るのは、為すべき事を終えた者だけじゃよ」
シナモンはそう言って微笑んだ。
ミオは顔を伏せてしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「大神官様。私、シーナさんのためにも、一生懸命コウさんのお手伝いをしようと思います」
「それがよかろう」
彼は頷くと、小箱を彼女に渡した。
彼女は小箱を開けた。
中からは、小さなペンダントが出てきた。長さ三センチほどの金のロケットに鎖がついている、それだけのシンプルな物である。
シナモンは訊ねた。
「それが、“メモリアルスポット”なのかね?」
「わかりません」
彼女はあっさりと答えた。そして、ペンダントをかき抱いた。
「でも、……これが、“メモリアルスポット”でないとしても、これは、私にとって大事なものですから」
「そうか」
シナモンはそう言うと、ミオの髪を撫でた。
と、ノックの音がした。
トントン
「どうぞ」
ミオが答えると、ドアを開けて花束を持ったスペルフィールドが入ってきた。
「ミオさん、気がつかれましたか。よかった」
「スペルフィールドさん」
彼はミオに花束を渡して、シナモンに一礼した。
「申し訳ありませんでした。僕がついていながら、ミオさんに怪我をさせてしまいまして……」
「なに。人には得手不得手があるものだからな」
シナモンは、すっかり恐縮している青年の肩を叩いた。そして、ミオに言った。
「それじゃ、儂はこれで」
「どうもありがとうございました」
ミオは深々と頭を下げた。
ドアが閉まると、スペルフィールドは気まずそうに咳払いして、立ち上がった。
「スペルフィールドさん?」
「それじゃ、今日はもう戻ります」
彼がドアに手をかけると同時に、ドアが向こうから開き、ユイナが入ってきた。
「はいるわよ」
「ユイナさん? どうしてここに?」
ミオは目を丸くした。
ユイナは肩をすくめた。
「私の研究室で騒ぎを起こすのは、勘弁してもらいたいものだわね」
「研究室って、もしかして書庫のことですか?」
ミオの言葉に、スペルフィールドはむっとした顔でユイナを見るが、にらみ返されると思わず視線を逸らしてしまった。口の中で何やらもごもごと呟くが、ユイナは無視してミオに言う。
「それで、“メモリアルスポット”の在処は判ったのね?」
「そうでした!」
ミオはベッドから起きあがった。
「すぐにみんなに知らせないと」
「駄目ですよ! まだ」
スペルフィールドが止めようとしたが、ミオはそっとその手を押さえた。
「……ミオさん」
「スペルフィールドさん。いろいろとお世話になりました。ご恩は一生忘れません」
ミオはそっと頭を下げた。
「……行くのですか?」
「ええ」
そう答え、ミオは微笑んだ。
「私に出来ることを、するつもりですから」
「そうですか。……あなたの行く道に幸いあれ」
スペルフィールドはそう言うと、右手を差し出した。ミオはその手をそっと握りかえし、言葉を重ねた。
「あなたにも、幸せがありますように」
「ありがとう」
彼は微笑んだ。
「こんなところに、こんな物を作っていたのですか」
書庫の奥、本がうずたかく積まれた一角に、魔法陣が描いてあった。もちろんユイナが描いたもので、これを使えばチュオウの村とは一瞬で行き来できる。
彼女はこれを使って、無断でここにある貴重な書物を研究に使っていたのだという。
「本当は、ここのことを他の人に教えるつもりはなかったんだけど、まぁ行き掛かり上仕方がないわね」
ユイナはそう言うと、呪文を唱え始めた。
ミオは、もう一度書庫を見回し、心の中で呟いた。
(シーナさん、私、あなたのことは忘れません)
光に包まれて二人の姿が消える瞬間、ミオには少年の笑い声が聞こえたような気がした。
《断章2 終わり》

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