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その Goodby loneliness
《続く》
王都キラメキの東側には、王家専用の狩猟場がある。広大な草原や森が広がるその中に、数多くの動物達が放し飼いにされているのだ。
そして、その周囲には柵が設けられ、周囲とは切り離されている。
ある日、メグミがたまたまその脇を通りかかったときのことだった。
悲痛な叫び声が聞こえ、メグミは立ち止まった。
「……今の、声……」
彼女は耳を澄ませた。
風に乗って、いくつかの音が聞こえてくる。
犬の鳴き声、馬の駆ける足音、そして、それに追われる獲物の声……。
そして、草原の向こうから、猟犬の群と、それに続く馬に乗った男達が現れた。
その前には、既に数本の矢を受けて、血塗れになった狐が、必死になって走っていた。
「!!」
メグミは、反射的に柵を飛び越えて、駆け寄っていった。狐の前に飛び出すと、叫ぶ。
「やめて下さいっ!」
「!?」
男達は慌てた。血に飢えた猟犬達の前にいきなり少女が飛び出してきたからだ。
獲物を追っているときの猟犬を邪魔する者は、まずいない。そんなことをすれば、興奮した猟犬に襲われるからだ。
果たせるかな、猟犬は一斉に、進路上に立ちはだかった障害物に殺到した。小柄な少女の姿は、堂々とした体格の猟犬の群の中に没した。
男達は顔を見合わせ、慌てて猟犬達を鎮めようとした。しかし、馬を進めかけて、彼等はまた驚いた。
ややもすると主人の言うことすら無視しかねないどう猛な猟犬達が、その少女の周りに大人しく座っているのだ。
彼女が、彼等の目的だった狐を抱きかかえているのに、彼等はまるで最初からそんなものは目に入っていなかったというようにじっと座っている。
呆然としていた男達は、少女の呟きに我に返った。
「……ひどい」
彼女は呟くと、狐の脇腹に刺さっていた矢を抜いた。血が吹き出して辺りを赤く染める。
「どうして、こんなひどいことを……」
男の一人が、馬を進めて彼女のそばに近寄った。
「お嬢さん、ここは、王家専用の狩猟場だ。一般人は入ることを禁じられている。早く出て行くなら、見逃してあげるよ」
「え?」
彼女は顔を上げ、周囲を馬に乗った男達に囲まれているのに気がついた。
「あ……」
「さ、早く行きなさい。その狐を置いて」
その言葉に、彼女は腕に抱いた狐を見た。既に出血と疲労のせいか、狐はぐったりとしている。
「この子を……」
「その狐は、我がキラメキ王家の所有だ」
別の男が、居丈高に言った。
「生殺与奪の権利は我々王族のものだ」
「……そ、そんな」
と、蹄の音が聞こえてきた。男達は振り向き、慌てて馬から飛び降りて、かしこまる。
「シオリ姫!」
「い、如何なさいました、このようなところに?」
メグミは視線を上げた。
純白の馬に乗った、緋色の髪の少女が彼女を見おろしていた。
白いズボンとチェックの上着という乗馬服がよく似合っている。
(……綺麗なひと……)
メグミは一瞬、状況を忘れて彼女を見つめていた。
「!」
メグミが腕に抱えた傷ついた狐を見て、その少女は、馬から羽根のようにふわりと飛び降りると、駆け寄ってきた。
狐はくぅんとうめきを上げながら、顔を上げて少女の方を見た。
脇腹からは血が流れ、メグミの腕を伝って地面にポタポタと垂れている。
それを見た少女の口から呟きが漏れる。
「ひどい……」
「あ、いや、それは……」
狼狽する男達。彼等にしてみれば、シオリ姫がこんな所に来ること自体考えてもなかったわけだし、ましてや非難されるなどとは思っても見なかった。彼等にとってはスポーツに過ぎないことなのだから。
「ちょっと待っててね」
シオリは、長い髪をまとめていたヘアスカーフを取ると、包帯代わりに狐の身体に巻き付けた。
「あ、あの……」
「これでいいわ。さ、早く行きなさいな」
「あ、ありがとうございます」
メグミは一礼して、森の中に駆け込んでいった。
メグミは、エルフの長老に頼んで狐の怪我を治してもらうと、また元の森に返してやることができた。
彼女は、名残惜しげに何度も振り返る狐に手を振って、その姿が森の木陰に見えなくなるまで見送ると、「よかった」と微笑んだ。
と、彼女の耳に、馬の蹄の音が聞こえてきた。
鋭敏なエルフの耳を持つ彼女は、野生馬の蹄の音と、蹄鉄をつけた乗馬の蹄の音を聞き分けることが出来た。今近づいてきているのは、間違いなく乗馬のようだった。
彼女は身軽に木の枝の上に飛び上がった。そうやってやり過ごそうとしたのだ。
パカッパカッパカッ
蹄の音がだんだん大きくなり、やがて一頭の白い馬が全力疾走してくるのが見えた。
「あら?」
彼女は目を丸くした。間違いなく、その馬はこの間、彼女と狐を助けてくれた少女の乗っていた馬だが、鞍や鐙をつけているにも関わらず、その馬の上には、その少女の姿はなかった。
メグミは、馬が真下を通り過ぎようとした瞬間、枝から飛び降りると馬に身軽に跨った。
「どうしたの? 落ちついて」
そう囁きながら、首筋をポンポンと叩く。
と、全力疾走していた馬の速度が落ちた。だく足から並足になり、やがて立ち止まる。
「いい子、いい子」
もう一度首筋を今度は撫でると、メグミは訊ねた。
「あなた、どうしたの?」
馬は無言でぐるぐる回った。メグミは、馬の尻が少し腫れているのに気がついた。
「蜂に刺されたのね。ちょっと待ってて」
彼女は近くの小川に駆け寄ると、布を水に浸した。その布を腫れているところにあてがうと、馬は気持ちよさそうに鼻を鳴らした。
メグミは腫れが引いてきたところで、馬に訊ねた。
「今日はあの人は乗せていないの?」
と、馬は首をくいっと振った。それはまるで、背中に乗れと促しているようだった。
「え? 私が乗るの?」
聞き返すと、馬は同意したように頷いた。
メグミは、恐る恐る馬に跨った。馬はゆっくりと走り出した。
彼女の前に、一人の少女が倒れていた。間違いなく、あの時の少女だった。
「大変!! どうしたらいいのかしら?」
メグミは慌てて辺りを見回し、とりあえず彼女を揺さぶった。
「あの、大丈夫ですか?」
「う……ん……」
少女は、うっすらと目を開いた。
「コウ……くん?」
「え?」
メグミが思わず聞き返すと、彼女はそれで初めて彼女に気がついたようだった。
「あなたは、この間の……」
「あ、はい」
少女は体を起こすと、頭の後ろに手を当てて、顔をしかめた。
「痛っ……」
「だ、大丈夫ですか?」
メグミが訊ねると、彼女はにこっと笑った。
「ええ。大したことはないわ。助けてくれてありがとう」
「いえ、私は……」
「私はシオリよ。シオリ・フジ……。ううん、今はシオリ・フォン・キラメキ、かな?」
「え? ……それじゃ、キラメキ王国の……」
「あなたのお名前は?」
「あ、はい。メグミ、といいます」
「メグミさん、ね。よろしく」
シオリは右手を差し出した。メグミが恐る恐るその手を握り返すと、シオリはにこっと笑った。
「あの時の狐さんは、大丈夫なの?」
「あ、はい。さっき、森に帰って行きました」
「ふぅん、そうなんだぁ。よかったね」
シオリはそう言うと、大きく伸びをした。
「ふわぁー。気持ちいいね」
「そ、そうですか?」
「うん。私、あなたが羨ましいな。こんな綺麗なところで暮らせるなんて……」
シオリは呟くと、不意にメグミを見た。
「ねぇ、また、逢えないかな?」
「え?」
「私、あなたとお友達になりたいな」
そう言うと、シオリは屈託のない笑みを浮かべた。
そして、何回目かの時だった。
シオリとメグミは並んで森の中を歩いていた。
「ねぇ、メグ」
シオリは不意に口を開いた。
いつしか、シオリはメグミのことをメグと呼ぶようになっていた。何時からなのかは、どちらにもわからないくらい、自然にそうなっていた。
「なぁに、シオリちゃん」
訊ね返すメグミ。彼女もまた、シオリのことを「シオリちゃん」と呼ぶようになっていた。
シオリは、不意に舞い落ちてきた木の葉を見ながら言った。
「メグ、私ね、好きな人がいるの」
「好きな……人?」
「うん」
シオリは微かに頬を染めながら言葉を続けた。
「メグには、聞いて欲しいの。そして、覚えていて欲しい。私に、好きな人がいたんだってことを」
「……?」
メグミには、シオリの口調がどことなくいつもと違っているのがわかった。だが、彼女はそれを指摘したりはせずに、黙って耳を傾けた。
「その人はね、私の小さい頃からのお友達なの。……何時からなのかなぁ、それが、ただのお友達じゃなくなったのは……」
シオリは、立ち止まると、地面からどんぐりを拾い上げた。そして、それをもてあそんだ。
「気がついたときには、その人は私にとってとっても大事な人になってたの。でも……」
カツーン
彼女の手のひらから、どんぐりが滑り落ちると、地面に当たって固い音を立てた。
「勇気がなかったの。私には……」
「シオリちゃん……」
「もし、あの時私に勇気があったら……あの人と別れて暮らすような事にはならなかったのにね」
彼女はそう呟くと、メグミに向かって言った。
「メグ、あなたは、躊躇っちゃ駄目よ」
「う、うん……」
「じゃ、今日はもう帰るね」
シオリはそう言うと、メグミに右手を差し出した。
「メグ、また来るね!」
シオリはその数日後、魔王に誘拐されたのだ。