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ときめきファンタジー
断章 蹉跌

その LIGHT THE LIGHT

 ミオは、咳込みながら顔を上げた。
 その顔に、水竜の流した血がかかる。
 水竜の眉間には、大きな斧が突き刺さっていた。
 ギュワーッ
 叫び声をあげると、水竜はそのまま湖に沈んでいった。湖面に浮かんだ血が沖の方に流れて行くところをみると、逃げ出したようだ。
「な……ゴホッゴホッ」
 声を上げかけて、また咳込むミオ。
 その背中を、ごついが温かい手がさすった。
「大丈夫ですかい、ミオお嬢さん」
「ケホッ……。は、はい」
 ようやく咳が止まり、ミオは顔を上げた。
「ありがとう、シーンさん」
 そこには、白髪の男が立っていた。しかし、そのがっしりした身体は、間違いなく鍛え上げられた筋肉のもたらしたものである。
 彼は肩をすくめた。
「なぁに。しかし、どうしてお嬢さんがこんなところにいるんですかい?」
「え? 手紙は受け取っていないんですか?」
「手紙?」
 首を傾るシーン。
「ええ。昼頃シーンさんのお宅に着いたと思うんですが」
「わしは朝からユーキカに来ておったから、そうするとすれ違いって事になるかな」
 そう言うと、彼は豪快に笑った。
 その頃になって、やっと立ち直ったらしい町長が駆け寄ってくる。
「こら、おまえは炭焼きの男だな。ミオ様から離れろ」
「ん?」
「いいんですよ」
 ミオは微笑んだ。それからシーンに尋ねる。
「思った通りですね。身分は明かしていないんでしょう?」
「そんなもの、山の中に捨ててきたわい」
 彼はそういうと、またがっはっはと笑った。
 町長が二人を見比べながら、ミオに声を掛ける。
「あ、あの、ミオ様?」
「彼、シーン・マウントさんは、15年前の反乱の時、陥落寸前の王都を奮戦の末に守り抜いたキラメキ騎士団親衛隊長なのですよ。反乱後、その功によって騎士団長に昇進という話もあったのですが、シーンさんは騎士を辞めて、炭焼きになったんです」
「へ?」
 町長は目を丸くした。
 15年前の反乱といえば、誰でも知っている。キラメキ王国の吟遊詩人でこの話を歌えない者はいないと言ってもいいくらいの話だ。
 そして、決まってその中には、最後まで国王を守り通した獅子のごとき親衛隊長が登場してくるのだ。
「ま、まさか、“キング・オブ・ハート”の称号を陛下に賜った、あの名も伝えられぬ親衛隊長!?」
「ええ」
「ミオお嬢さん」
 シーンは苦笑いした。
「わしは、そんなにたいそうな人物じゃない。陛下を危険にさらしてしまったのに、何が勲章だ」
「シーンさん」
 ミオは、彼に何か言おうとした。そのミオの肩をポンと叩き、シーンは言った。
「その前に、身体を洗った方がいいですぜ。ミオお嬢さん」
 言われて、ミオは自分の身体をみた。頭上から水竜の血を浴びて、べたべたになっている。
「そうですね。町長さん、湯浴みをしたいのですが……」
「は、はい! 早速用意させます!!」
 町長はそう言うと、転がるように走っていった。ミオとシーンは顔を見合わせて苦笑した。
「それにしても、しばらくみないうちに美人になりおったなぁ、ミオお嬢さんは」
「やめてくださいよ」
 ミオは肩をすくめた。シーンは豪快に笑った。
「わしが若かったら恋人にしておるところじゃわい。しかし、好きな人でもできたのかい?」
 ミオは真っ赤になって俯いた。
「そ、それは……」
「お、図星かな? わっはっはっは」
 彼は笑った。

 その頃、ノゾミとミラを乗せた漁船は、湖の真ん中に停まっていた。
「このあたりか」
 ノゾミは地図と見比べると頷いた。立ち上がり、柔軟体操を始める。
「どうするんですの?」
 ミラが訊ねると、ノゾミはにっと笑った。
「潜って調べてくるよ」
「大丈夫なの?」
「泳ぎには自信があるからね」
 ノゾミはそう言うと、少し考えて皮鎧を脱いだ。そして、いつも腰に付けている長剣“スターク”を外してミラに預ける。
「持っててくれないか」
「ええ。でも、大丈夫?」
 ミラが心配そうに訊ねる。
「なーに。大丈夫って」
 笑うと、ノゾミは綺麗なフォームで湖に飛び込んだ。
 コポコポッ
(思ったより視界が効かないなぁ……)
 ノゾミは辺りを見回しながら、どんどん潜っていった。
 やがて、流木らしき影が見えてくる。
 彼女はそれに掴まって辺りを見回した。
(さて、もう少し潜ってみるか、それとも一度戻るか……)
 少し考えて、彼女は上がることにする。
(一度ミラにも報告した方がいいだろうし)
 と、不意に流木が動いた。
(!?)
 ノゾミは咄嗟にその流木を離し、少し離れた。
 そして、悟った。 
 彼女が流木と思っていたものが、実は水竜の角だったことに。
(しまっ……!!)
 水竜は、大きく口を開けて襲い掛かってきた。
「遅いわね……」
 船上でミラが呟いたとき、不意に“スターク”が光り始めた。そして、それと同期を取るように、ミラの右腕にはめられた腕輪も光り始める。
「な、なに?」
『我が名は“スターク”。メモリアルスポットが一にして、“力”の象徴なり』
 腕輪を通して、重々しい声が流れ込んでくる。
「剣の声……?」
『“美”の象徴に認められし少女よ、頼みがある』
「何かしら?」
 ミラは剣に向き直った。
 漁船を操る漁師が奇異な目を彼女に向けたが、彼女は構わなかった。
 頭の中に声が響く。
『我が主人が危機に陥っている。我は彼女を助けねばならぬ。我を湖に投じよ』
「わかったわ」
 ミラの動きは躊躇無かった。彼女は剣を掴むと、そのまま湖に投げ込んだ。
『感謝する。“美”の象徴に認められし少女よ』
 最後に微かに声が聞こえ、そして静寂が戻った。
 ミラは黙って、湖面に広がる波紋を見つめた。
(くっ!!)
 ノゾミは間一髪のところで、水竜の牙をかわした。
(まずい。水中ではあいつの方が有利だし……。せめて武器があれば……)
 一旦通り過ぎた水竜が身を翻して戻ってくる。
(……これまでか……ごめん、コウ)
 彼女は心の中で呟いた。
 と。
『我が主人よ。我を取りて戦え』
 声が聞こえた。ノゾミが視線をあげると、剣が上からゆらゆらと降りてくる。
(“スターク”!)
 ノゾミは、ちょうど自分の目の前に降りてきた剣の柄を握りしめた。
 水竜が迫る。
 彼女は剣を振るった。
(キヨカワ流奥義、大海嘯!!)
 ゴウッ
 すさまじい勢いの水流が前に放たれ、反動でノゾミは一気に後退する。
(どうだ?)
 と、巻き上げられた泥のなかから水竜が姿を現した。何も傷を受けている様子はない。
(大海嘯が……効かないなんて。くっ!)
 彼女は剣を構えなおした。
(海王波涛斬しかないか)
 迫る水竜。ノゾミは目を閉じて集中した。そして、かっと目を見開く。
(食らえ! 海王波涛斬!!)
 ドウッ
 再び、湖底の泥が派手に舞い上がり、視界を隠す。
(……やったか?)
 と、その泥の煙幕を突き破り、水竜が飛び出してきた。そのままノゾミに迫る。
(う、嘘!?)
 ノゾミは呆然としていた。
『我が主人よ。気を静めよ』
 “スターク”が声を発した。
(で、でも……、海王波涛斬が効かないなんて……)
 グワッ
 水竜が大きく口を開けた。その瞬間、何かが光り、ノゾミは意識を失った。

《続く》

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