喫茶店『Mute』へ
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ときめきファンタジー
断章
蹉跌
その
POWER TO THE DREAM

パシャ
微かな水音が、ドアの向こうから聞こえてくる。
そのドアを背にして、シーンは立っていた。
「シーンさん」
背後のドアの向こうから、不意に声が聞こえた。
「なんじゃ?」
チャプン
「やっぱり、いたんですね。そこに」
「不逞の輩が覗かんようにな」
「私の裸を覗いても仕方ないと思いますけど」
苦笑気味のミオの声に、シーンは返した。
「なんの。ミオお嬢さんは自分の魅力に気づいてないとみえるな」
チャプ
「……からかわないで下さい」
「からかうつもりなど毛頭ないわい」
彼は大真面目な声で返事をした。
「……」
しばし、空白があった。シーンははっとした。
「ミオお嬢さん!!」
彼はドアをバーンと開けた。ミオは鍵を掛けていたのだが、彼の膂力の前には、そんな物は何の役にも立たなかった
大きな浴場のタイルの上に、ミオの裸身が横たわっていた。
「やれやれ、思ったとおりじゃわい。のぼせおったな、ミオお嬢さんは」
彼は苦笑すると、大きなバスタオルに彼女を包むと、軽々と抱き上げた。
「……ん」
ミオは小さなうめき声を上げると、目を開いた。
「おう、気がついたか」
シーンが笑みを浮かべて彼女の顔を覗き込む。
「シーン……さん。私……」
「風呂でのぼせおったんじゃ。心配はいらん」
「すみません……」
「それより」
彼は一転して真面目な顔になると、彼女に言った。
「ミオお嬢さん、病を患っておるな?」
「そ、そんなことは……」
ミオは慌てて首を振った。
シーンは優しく言った。
「判っておる。口外はせぬよ」
「……」
彼女はうなだれた。シーンは訊ねた。
「その様子では、誰にも言っておらぬな?」
「はい……」
「何時から?」
「旅に出てすぐに……」
言いかけたところで、ミオは咳込んだ。
「ケホ、ケホ、……ガホッ」
「お嬢さん!!」
「だ、大丈夫……です」
口に当てたハンカチに、赤いものが滲む。
「すぐに医者を……」
「だめです」
彼女は、部屋から飛び出そうとしたシーンの袖を掴んだ。
「……ミオお嬢さん……」
「誰にも……知らせないで……」
「しかし……」
「私のせいで、みんなに心配を掛けたくありません。それに……」
彼女は、微笑んだ。
「私の命は、もう……」
「な……」
「私のしたいようにさせてくれませんか?」
彼女はそう言うと、起き上がった。
「お嬢さん……」
「シーンさん。話を聞いてくれませんか?」
彼女は窓から外を見ながら言った。
「魔王から世界を救うために……」
シーンは頷いた。
「……そのメモリアルスポットのひとつが、このロケットです」
彼女は、金の鎖に繋いで首からかけているロケットをシーンに見せた。
「ふむ」
「メグミさんもミハルさんも、コウさんを想う気持ちでは、他の女の子の誰にも負けていないと思います。でも、その能力は……」
ミオは、シーンに視線を向けた。
「メグミさんの精霊魔法も、ミハルさんの召還術も、本人の感情とともに発動しているようです。これでは、肝心なときにコウさんの役にはたたないかも知れません。シーンさんは騎士で魔法のことは良く知らないでしょう。でも、戦場で感情を平静に保つすべは知っているはずです。それを、二人に教えて欲しいのです」
「そういうことか。ちょうど良かったかもしれんな」
シーンは顎に手を当てて呟いた。
「え?」
「ちょうど、今わしの家にな、客人が来ておるのだ。なんでも、とある組織に追われて東方から来たらしいのだがな。で、そやつが精霊魔法の使い手なのだ」
「精霊魔法の?」
「うむ。早速家に使いの者をやるとしよう」
「シーンさんは戻られないんですか?」
ミオが訊ねると、シーンは不器用に肩をすくめて見せた。
「わしがここを離れると、お嬢さんはまた無茶をするだろう?」
「……うふっ、そうかも知れませんね」
ミオはくすくす笑った。
と、不意にノックの音がし、町長が飛び込んできた。
「たいへんです、ミオ様! ノゾミ様が!」
「?」
ミオとシーンは顔を見合わせた。
「……ノゾミ」
「え?」
ノゾミは目を開けた。
ミオとミラが覗き込んでいる。
ノゾミは、そのまま黙って毛布を頭から被った。
「ノゾミさん……」
ミラが、何か言おうとしたミオを制して言った。
「しばらく、休むといいわ。それじゃ、失礼」
二人は、部屋から出ていった。
カチャ
ドアを閉めると、ミオはミラに尋ねた。
「何があったんですか?」
「私にもわからないわ」
ミラは、ノゾミが湖に飛び込んでからの事を話した。
「私が剣を湖に投げてから、少ししたら突然湖が光って、しばらくしてノゾミが浮かび上がってきたのよ。気を失っていたわ」
「ノゾミさんは湖に入っていたんですか?」
「ええ。水竜の巣を確かめるって言って……」
「とすると、水中で水竜と戦闘に陥ったとみて、よさそうですね」
ミオはため息混じりに言った。
「水竜と水中で戦ってはいけなかったんです」
「どういうこと?」
「水竜は、強力な雷を発生させることが出来るんです。水中では、雷は恐ろしい威力を発揮しますから。水竜は主に魚を捕るときにこれを使うんです。または、身に危険が迫ったときに……」
「じゃあ、ノゾミは……?」
「ええ」
彼女は頷いた。
「おそらく、その雷を浴びたんだと思います」
(あたしは……)
ノゾミは、毛布を頭から被っていた。
ぎゅっと目を閉じる。
(だめだよ、“スターク”……。あたしはあんたを使う資格なんかないよ)
『我が主人よ。汝は我と契約した。我は汝を我を用いるにふさわしいと認めたのだ』
落ちついた声がした。
しかし、ノゾミは頭を振った。
(違う! あたしはそんな器じゃない!!)
彼女はぎゅっと歯を食いしばった。
(そんな器じゃないんだ……)
「今のノゾミさんは、おそらく精神的な痛手を受けていると思います」
ミオは冷静に指摘した。
「精神的な……?」
「ええ。それも、かなり深い傷を」
彼女は俯いて言った。
「ノゾミさんの今までの戦い方からいって、間違いなく彼女は全力を尽くしてるはずです。大海嘯を使ったでしょうし、もしかしたら海王波涛斬だって使っているかも知れません。そして、今まで彼女が必殺技を繰り出して倒せなかった相手はいなかった……」
ノゾミが為すすべなく破れたのは、魔皇子レイを相手にした2度の戦いだけであり、そのどちらも彼女は大海嘯を繰り出す間もなかった。
逆に言えば、大海嘯を破られたのは1度だけ、“スターク”を守っていた石巨人のガーディアンとの戦いだけであり、その時はノゾミは海王波涛斬を繰り出し、勝利している。
つまり、大海嘯と海王波涛斬を同時に破られたのは今回が初めてだったのだ。
ミオがそう説明すると、ミラは腕を組んだ。
「それでショックを受けるものかしら?」
「騎士は、自分の技には絶大な自信を持っていますから」
ミオは微笑んだ。
カガミ流無音殺傷術を極めているミラにとって、戦闘スタイルなどあって無きが如しである。あらゆる局面に置いて目的を遂行するために、変幻自在にあらゆる方法を用いる。それが彼女達暗殺者であり、またユウコのような忍者である。
そんなミラにとっては、自分の戦い方にこだわるノゾミは理解しがたいのも道理である。
ミオはそう説明すると、不意に咳込んだ。
「ゴホゴホゴホッ。ご、ごめんなさい」
彼女はハンカチで口を押さえると、息を整えた。それから、言った。
「とにかく、彼女にもう一度自信を取り戻させる方法を見つけないといけませんね」
「そうね」
ミラは頷いた。ミオは軽く会釈した。
「私は部屋に戻ります。ちょっと考え事がありますので」
数分後。
ミラは廊下の壁に寄り掛かって腕を組んでいた。
(あの時のミオ……。何かが変だったわ。それに、あの匂い……)
彼女は心の中で呟いた。
(微かだったけど、私には判る……血の匂い……)
代々の暗殺者である彼女にとっては、いわば嗅ぎ慣れた匂いであった。そんな彼女でさえも、ほとんど判らないほどに微かではあったが……。
(あの娘、何か隠しているわね)
彼女は、壁から体を起こすと、歩き出した。
トントン
「あ、はい。どなたでしょうか?」
「ミラよ。入るわね」
ミラはドアを開けて部屋に入った。と、同時に両手を顔の前でパンと叩き合わせた。
その手の間には、斧の刃が挟まれていた。
「結構な歓迎ね」
「なぁに。あんたなら取れると思ったからな。力は込めておらんよ」
シーンは笑いながら斧を引いた。確かに、斧を全力で打ち込んでいたら、白刃取りのような事は出来ない。その前に顔面が石榴となるだろう。
ミラは微笑んだ。
「力を込めていないのは判っていますわ。力を込めていたら、かわして逃げたでしょうから」
「それと同時に、獲物を投げつける、か」
彼は、ミラの腰に挿してある鉄扇を見逃さずに言った。
「二人とも、危ないことは止めて下さい」
ミオが机の前から振り返って言った。
ミラは頷くと、ミオに歩み寄った。
「ミオ。ちょっと話があるのだけど……」
ここで、シーンをちらっとみる。
ミオは二人を見比べて頷いた。
「シーンさん。少し外していただけませんか?」
「ん? ああ。何かあったら呼ぶんじゃよ、ミオお嬢さん」
そう言うと、シーンはドアを閉めた。
ミラはそのドアを見つめ、くすっと笑った。
「ドアの前で衛兵みたいに立ってるわね。さすがは元騎士といったところかしら」
彼女には、シーンがドアの向こうでどうしているかが判るようだ。
「そういう人なんです」
「彼とは親しいようだけど、どういう関係なの?」
ミラは訊ねた。ミオは微笑した。
「やーい、またおばさんのせんさく好きが始まったぁ……って、ユウコさんなら言うでしょうね」
「うっ……」
絶句するミラに、ミオは言った。
「シーンさんは騎士団に入る前、キサラギ家にいたんですよ。元々は傭兵だったそうなんですが、それを辞めて、キサラギ家の警備についていたんです。そこでの働きが認められて、後に騎士団に引き抜かれてしまいましたが、そうなる前は私も良く遊んでもらいました」
「そうなの……。あ、そんな昔話をしに来たんじゃなかったわ」
彼女はかぶりを振ると、ミオに言った。
「あなた、私たちに何か隠していない?」
「……何のことでしょうか?」
「あなたから、血の匂いがしたわ」
彼女はずばりと言った。
「え? ……そ、それはきっと……」
「私は水竜の血と人間の血の匂いの違いが判らないほど衰えてなんかいないわよ」
ミラはきっぱりと言った。
「ミラさん……」
「あなたが隠し事をするのは自由だけど……。隠していることで、逆に他の人に迷惑がかかることだってあるのよ」
そう言うと、ミラは表情を和らげた。
「とは言っても、聞くような娘じゃないってノゾミも言ってたわね。いいわ、言わなくても。でも……」
彼女は、静かに言った。
「私たちは、仲間じゃないの」
「仲間……」
ミオは呟いた。それから、顔を上げた。
「そうですね、ごめんなさい。お話しします」
《続く》

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