喫茶店『Mute』へ
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その5に続く
承前
《続く》
ピンポーン しょぼんとした夕子が玄関を出ようとした、まさにその時、不意にチャイムが鳴った。
「はぁい」
夕子がドアを開けると同時に、元気のいい声がした。
「よう、朝日奈。どうなってる?」
「ヨッシー!? どうしたん?」
好雄は玄関に入り込みながら、肩をすくめた。
「何って、陣中見舞いってやつだな。しかし……その顔を見ると、どうも上手くいってないみたいだなぁ」
「ほっとけ」
夕子はぷいっと横を向いた。好雄は言った。
「優美のやつ、昨日から鞠川の家に泊まり込んでるぜ」
「鞠川さんの? あ、もしかして……」
「ああ。特訓してるみたいだ。朝日奈は……」
言いかけたところに、沙希が顔を出した。
「ちょっと待ってよ、ひなちゃん……。あら、早乙女くん。おはよう」
「お、虹野さんもいたのか」
好雄はぴっと指を額に当てて敬礼すると、夕子に向き直った。
「ま、朝日奈がその様子じゃ、優美の勝ちは決まったようなもんだな」
「かもねー」
がっくりと肩を落としたまま、夕子は呟いた。
好雄はメモを出した。
「とすると、レートがまた変動するなぁ」
「ん?」
夕子の耳がぴくりと動いた。そして、電光石火のごとく伸びた手が、好雄の耳を掴む。
「いたた。朝日奈、やめろって!」
「あによ、そのレートって。まさか、あたしと優美っぺの?」
「え? 何のことでしょう?」
「ふ・ざ・け・ろ・よ」
一語ごとにぐいぐいと耳を引っ張る夕子に、好雄は悲鳴を上げた。
「判った判った。話すからやめろって!」
キィコ、キィコ
優美はブランコに揺られていた。涙の溜まった瞳で青空を見上げ、鼻をくすんとすすり上げる。
「優美なんて、もうだめなんだもん……くすん」
「あらぁ。早乙女さんの妹さんではありませんか?」
不意にのんびりした声が聞こえ、優美は袖でぐいっと涙を拭くと、そっちを見た。
「あ、古式先輩……」
「こんにちわ。今日はいいお天気ですねぇ」
公園の入り口で、古式ゆかりが丁寧に頭を下げた。
「うん……」
優美はまた俯いた。
「何か、ありましたのですか? 優美さんに、そんなにしょげた顔は似合いませんよ」
「わきゃぁぁ!」
いきなり耳元で囁かれて、驚いた優美はブランコから滑り落ちた。
ガシャン 鎖が派手な音を立てる。
「あらあら。大丈夫ですか?」
「う、うん」
ゆかりに助け起こしてもらいながら、優美は目を白黒させていた。
(何時の間に来たのかなぁ。全然気がつかなかったよぉ)
「優美ちゃーん」
家を飛び出した優美を捜して、奈津江達は走り回っていた。
「んもう、どこに行っちゃったのかしら。優美ちゃんは……。あ、恵! 戎谷くん!」
彼女は、茂みの前で屈んでいる恵と戎谷を見つけて声を掛けた。
と、二人は彼女の方を見て、静かにという身ぶりをする。
「?」
奈津江は二人に駆け寄ると、小声で訊ねた。
「いたの?」
二人は頷くと、茂みの向こう側を指した。
そこには、並んでブランコに座っている優美とゆかりがいた。
「そうですか。優美さんはお料理を習われて、いるのですね」
ゆかりはおっとりと微笑んだ。
優美は視線を地面に落とした。
「でもね。優美、全然うまくならないんだ」
「そうなんですか?」
「うん……」
と。
ゆかりは優美を背中から抱きしめた。優美には、何時の間にゆかりが自分の背後に移動したのか判らなかったが、それよりも何故ゆかりが自分を抱きしめているのかの方が判らなかった。
「古式先輩?」
「優美さん、可愛いですねぇ」
「へ?」
ゆかりはにこにこしながら言葉を続けた。
「大丈夫ですよ。もっとゆっくり作れば、上手くできますよ」
「そ、そうれすか?」
「ええ」
彼女は頷いた。
「きっと、上手くできますよ」
「うん。それじゃ、優美やってみるね」
優美は立ち上がった。
「それでは、頑張って下さいね」
ゆかりはにこにこ笑いながら手を振った。
「はーい。それじゃ、またね、先輩!」
優美はそのまま駆け戻っていった。
それをしばらく見送ってから、ゆかりは方向を変えて、茂みに向かって頭を下げた。
「どうも、お目汚しでございました」
「あれ、気がついてたのね」
頭を掻きながら、立ち上がる奈津江達。
奈津江は茂みを飛び越えて、ゆかりに駆け寄った。
「古式さん。聞いてもいいかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
「優美ちゃん、本当にゆっくりやれば上手くできるのかしら?」
一拍置いて、ゆかりは頷いた。
「はい。優美さんは、急ぎすぎのようでしたから、ゆっくりやればよいと、助言させていただきました」
「急ぎすぎ……かぁ。そうかもね」
奈津江は頷いた。それから、ゆかりの手をぎゅっと握った。
「ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。さぁ、早く行って差し上げないと、優美さんが待っていますよ」
「あ、そうね。それじゃ、またね!」
奈津江は駆け戻っていった。それを見送るゆかりに、戎谷が近寄った。
「やぁ、古式さん。こんなところで逢ったのも何かの縁だね」
「そうですねぇ」
「良かったら、これから……」
「戎谷くん!」
恵がじろっと戎谷を睨んだ。戎谷は肩をすくめた。
「それじゃ、次の機会に」
「それですねぇ。それでは失礼します」
ゆかりはぺこりとお辞儀した。
「ふぅーん。賭け、ねぇ。で、今のレートは?」
夕子は好雄のメモを覗き込んだ。無論、耳は掴んだままだ。
「えっと、優美が1.0で、朝日奈が2.4」
「あたしが負けるって思ってるワケねぇ」
夕子はにぃっと笑った。それから聞き返す。
「一口100円だっけ?」
「え、ああ」
「ほれ」
夕子は、ポケットから財布を出すと、1000円札を1枚抜き、好雄に渡した。
「あたしに10口ね」
「え?」
「いーい? あたし、絶対負けないかんね! 勝負師朝日奈夕子様をなめるなよぉ! うよぉーし、燃えてきたぁ! 沙希、もう一度やるわよっ!!」
「ちょ、ちょっと、ひなちゃん!?」
慌てて、台所に戻る夕子を追いかける沙希。そんな二人を見送って、好雄は耳を押さえながら呟いた。
「ま、これくらいしないと、あいつはノらないからなぁ。いい奴だなぁ、俺様って」
彼は、玄関を開けて、外に出た。そして、ドアを閉めてから言った。
「頑張れよ、朝日奈」
夕子は、タマネギをフードプロセッサーに放り込みながら呟いた。
「ま、今回はノせられてやっかぁ」
「え? 何?」
聞き返す沙希に、夕子は悪戯っぽく笑った。
「なーんでもないよぉーだ」
「??」
首を傾げる沙希を背にして、夕子はくすくすと笑った。
「あんがと、ヨッシー」