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その6に続く
前回のあらすじ
ひょんなことで月曜日にお料理対決をすることになった早乙女優美と朝日奈夕子。二人は土日をかけて料理の特訓をすることになる。
それぞれ虹野沙希、鞠川奈津江という強力なコーチを味方に付けつつも、やはり慣れない料理に二人ともあきらめかける。しかし、古式ゆかり、早乙女好雄の暖かい励ましによって見事に闘志を取り戻し、再び戦場に赴くことを誓った。
そう、二人にとってまさしくキッチンは戦場だったのだ。
そして、容赦なく時間は過ぎ、二人の戦いもクライマックスを迎えようとしていた。
お料理対決! その5
「うん。美味しいわ」
沙希はハンバーグを一口食べて、にこっと笑うとウィンクした。
「マジマジ?」
「ええ。ひなちゃん、よく頑張ったね」
「えへへ」
夕子は、ほっぺたをぽりぽり掻きながら照れくさそうな笑みを浮かべた。
「ま、これで明日のお弁当はバッチグーってやつよね?」
「そうね。ちょっと待ってね」
沙希はそう言うと、手元にあったメモに何やら書き始めた。
「なにしてんの?」
「レシピ作ってるの。明日のお弁当のね。初めてなんだから、何入れていいのかわかんないでしょ?」
「さすが沙希さま! 偉い偉い」
夕子がそう言う間にも、沙希はすらすらとペンを走らせた。
「えっと、ミックスベジタブルは炒めるだけだし、……あ、レタスを入れた方がいいな。それから、ご飯にはふりかけで味付けて……」
「おにぎりにしないの?」
「ひなちゃん、おにぎり、握れる?」
「……ごめんなさい」
さて、そのころ。
「どうれすか?」
「美味しい……やったじゃないの、優美ちゃん!」
試食係は勝馬、恵&戎谷を経て、今は3代目の詩織になっていた。
「ほんとれすか?」
「うん」
詩織は大きく頷いた。
「このたこさんウィンナーの塩加減も公くん好みだし、ブロッコリーの茹で上がりも言うこと無いと思うわ。あ、でも公くんグリンピース余り好きじゃ無いみたいだから注意した方がいいかも知れないわね」
「そうなんれすか?」
「うん……。缶詰のはいいんだけど、サヤから取ったばかりのは青臭いし固いからヤダって前に言ってたなぁ」
「ふぅーん」
頷く優美の横で、奈津江はにこにこ微笑んでいた。それに気付いて詩織が訊ねる。
「なによ、奈津江ちゃん。なにかおかしかったかしら?」
「なんでも。ただ、公くんの好み、よく知ってるなって思ってね」
「あ……」
詩織は微かに頬を染めて、慌てて手を振った。
「そうじゃなくって、ほら、私と公くんは幼なじみだから、いろいろと、ね」
「はいはい。承っておきましょう」
ドタン
不意に大きな音がして、二人はびっくりして音の方を見た。
優美が台所の床に倒れている。
「優美ちゃん!?」
二人は慌てて優美を抱き起こした。
「優美ちゃん、どうしたの!?」
くー、くー、くー
規則正しい寝息が聞こえる。
奈津江と詩織は顔を見合わせてぷっと吹き出した。
「優美ちゃん、疲れちゃったのね」
「そういえば、昨日も徹夜してがんばってたもんね」
「そうなの? すごぉい。来年のバスケ部はきっと安泰ね」
「かもね。それより、優美ちゃんどうすればいいかしら?」
「うーん」
詩織は少し考えてから言った。
「とりあえず、奈津江ちゃんのほうがよかったら、ここで寝かせておいたほうがいいと思うの。優美ちゃんの家には私から連絡しておくわ」
「あたしは構わないわよ」
そう言うと、奈津江は優美を抱き上げた。
「詩織、布団敷くの手伝ってくれない?」
「うん」
詩織も頷くと立ち上がった。
「こんなもんかな?」
沙希はペンを置いた。そして、紙を夕子に渡す。
夕子は目を走らせた。
「えっと……え? え? え?」
「どうかしたの? 簡単に作れるものばっかりにしたつもりなんだけど……」
そう言う沙希の肩を、夕子は叩いた。
「全部で14品目あるように見えるんだけど……」
「うん、そうよ」
平然と答える沙希。
「だって、グレープフルーツなんて切るだけだし」
「ちなみに沙希さん」
「はい?」
「これを沙希さんが作ろうと思ったら、何時に起きなければなりませんか?」
「そうね……、朝5時くらいかな?」
「……沙希ぃ……」
思わず滂沱と涙を流す、自他ともに認める低血圧少女、朝日奈夕子であった。
「むにゃ……。せんぱぁい」
優美は寝言で呟きながら、にまぁっと笑った。
その枕元で、奈津江と詩織は座って彼女の寝顔を見ていた。
「幸せそうな顔しちゃって、この」
奈津江は優美のほっぺたを指でぷにぷにした。
「でも、これだけ一筋に打ち込めるって、羨ましいな……」
詩織が呟いた。
「詩織?」
「私ね、どうしてもストレートに自分の素直な気持ちをあらわすことができないの……」
「特に幼なじみの公くんには?」
「うん……」
つられるように頷いてから、詩織ははっと気付いて真っ赤になった。
「奈津江ちゃん!!」
「あはは」
奈津江は軽く笑うと、真面目な顔になった。
「でも、判るな、それって」
「……」
「あたしも、勝馬には、どうしても素直になれないもんねぇ」
「おーい、奈津江。夕飯はまだかぁ?」
絶妙のタイミングで勝馬が顔を出した。
「勝馬!?」
「わっ、な、なんだ? あ、藤崎?」
「こんにちわ、芹澤クン」
詩織は挨拶してから、肘で奈津江の脇腹を軽くこずいて笑った。
「う、うっさいわね」
「なにやってんだ、二人で?」
「なんでもないわよ! それより夕飯ですって?」
「ああ。ちょうど買い置きのカップラーメンも切れちまってさぁ」
「あー、まったくもうしょうがないんだから。リビングで大人しく待ってなさい。すぐ作ってあげるから」
そう言いながら、奈津江は立ち上がると、勝馬を押し出すように部屋から出ていった。
詩織はそんな二人をくすくす笑いながら見送っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「でも、ちょっと羨ましいな……」
「じゃあ、これなら大丈夫と思うわ」
沙希は、さっきのレシピに幾つも線を引いたり書き加えた第2弾を夕子に提示した。
「品目数は厳選した8点。これで栄養バランスもばっちりよ」
「サンキュー、沙希! 愛してるわ!」
夕子は沙希をぎゅっと抱きしめた。
「きゃ! ひ、ひなちゃん」
「勝ったら沙希になにかおごってあげるね」
「あ、ありがと」
沙希はくすっと笑った。
「世話になっちまったな」
「いいえ」
優美を背負って、好雄はもう一度奈津江に頭を下げた。
「それじゃ、これは持って帰るから」
詩織が優美の家に電話を掛けたところ、好雄が出てきて、結局優美を引き取ることになったのだった。
奈津江は微笑んで言った。
「優美ちゃんに、頑張ってねって伝えてね」
「ああ。犠牲は無駄にしないぜ」
「誰が犠牲だ、誰が」
奈津江の後ろで勝馬が笑った。
「可愛い後輩のためならいつでもこれくらいのことは……」
「途中で逃げ出したくせに、なにを言ってるか!」
パコン
「いってぇ! 何するんだよ、奈津江」
「敵前逃亡は罪が重いのよ」
「代わりにちゃんと戎谷達をやっただろうが!」
「そんなの理由になんかならないでしょ!」
「ひゃぁ、これはたまらん。それじゃ、俺は行くぜ」
好雄は慌てて優美を背負ったまま二人の前から逃げ出した。しかし、それに気づかない二人の口論はヒートアップしていく一方だった。
そして一方。
「……困っちゃったな……」
玄関で二人が口げんかを始めてしまったため、詩織は帰るに帰れない状況に陥っていた……。
《続く》

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