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White Album Short Story #3
弁護士 観月マナ 1
殺意のシャンパングラス

俺とマナちゃんは、長瀬刑事に連れられて、“第2会議室”のプレートのかかった部屋に入った。
それほど広くない部屋の中には、折りたたみ式の机と椅子が殺風景に並んでいた。
「ま、どうぞ座って」
長瀬刑事はそう言うと、自分は器用に足で椅子を引き寄せて座った。
俺とマナちゃんは、ちょうど長瀬刑事と相対する席に並んで座る。俺が隣に座ったことに気付いたマナちゃんが、何か言いたげに俺を睨んだが、結局は何も言わずにノートを広げた。
「あ、煙草吸ってもいいかな?」
「だめ」
「あ、そ」
マナちゃんにあっさり返されると、長瀬刑事は残念そうに胸のポケットから引っ張りだしかけた煙草の箱を、もとのように納めた。それから、マナちゃんに尋ねる。
「で、どこからお話ししましょうか?」
「最初からよ」
マナちゃんは、シャーペンをカチカチとノックしながら言った。それから、俺に言う。
「藤井さん、このシャープペンシル、芯が出ないわよ」
「あれ? 芯は入れといたはずだ……ですけど」
言いなおす俺。
「出ないものはしょうがないでしょ。ちょっと替わりのシャープペンシルちょうだい」
「はいはい」
「はいは……」
いつもの調子で言いかけて、長瀬刑事に気が付いたマナちゃん。慌てて咳払いすると、俺から替わりのシャープペンシルを受け取った。
「それじゃ、話して」
「ま、事件の概要はそっちも知っての通りですけどね」
そう言われても困る。弥生さんからは説明は(俺に対しては)まったくなかったんだぞ。
マナちゃんは、ちょっと考えてから、言った。
「ま、いいか」
「え?」
「うん。警察とは協力的に行きたいしね。こっちの手の内もさらすことにするわ」
そう言うと、マナちゃんはシャープペンシルをクルクルと回しながら(指摘すると叩かれそうなので言わないんだけど、どうも考え事をしてる時に無意識のうちに出る癖らしい)長瀬刑事に言った。
「実を言うとね、私も篠塚さんに頼まれただけで、詳しい事情をまだよくは知らないの。それに、篠塚さんはどうしてもお姉……森川さん側からの見方になっちゃうでしょ。警察から見た事件の概要っていうのも知りたいしね」
「ははぁ、なるほどねぇ」
長瀬刑事は、感心したようにマナちゃんを見た。それから、右手を差し出した。
「それじゃ、これからもお互いに協力するってことで」
「ええ」
マナちゃんは右手を出して、長瀬刑事と握手した。
長瀬刑事は、話しはじめた。
「そうですなぁ、ちょうどお昼頃でしたか。うちに通報がありましてね。何でも、パーティー会場で男性が倒れた、と」
「倒れた……ですか?」
「ええ。正確な時間は、調べればすぐに判りますけど」
「それは後でいいわ。それで?」
マナちゃんは先を促した。
「ま、警察に通報が来るくらいだから、貧血で倒れたってレベルじゃないんだろうってわけでね。押っ取り刀で署員が駆けつけたわけなんですが、現場に付いてみると、もう被害者は死んでましてね。ほぼ同時に救急隊員も来たんですが、彼等も死亡を確認するくらいしか出来なかったってわけで」
長瀬刑事は、それからパーティー会場の名前を挙げた。俺も知ってる駅前の大きなホテルの宴会場だ。
「なんでも、なんとかってアイドルの誕生日パーティーだそうで。私はもうこの歳で、アイドルとかにはあんまり興味がないんで、よくわからんのですがね。
それで、うちの者が、とりあえずパーティー会場にいた全員を拘束して、事情聴取を始めたわけですわ」
そう言うと、長瀬刑事は無意識に、だろう。胸ポケットから煙草の箱を出した。そして一本抜いたところで、はたと気付いたらしく、苦笑する。
「おっと、すみません。つい癖で」
「吸わなかったら、文句は言わないわよ」
マナちゃんにしては珍しく、怒らない。うーん、俺だったら間違いなく“マナ乱舞”(俺が名付けた)の餌食だぞ。
命が助かったとは知らない長瀬刑事は、ここで初めて手帳を出した。ページをめくって、言う。
「ああ、あったあった。パーティーの出席者は全部で16人。それから、ホテル側の従業員で、その場にいたのが3人。その他20人ほど」
「その他っていうのは?」
俺は訊ねた。マナちゃんがじろっと俺を見る。
「出席者のマネージャーとか付き人とかでしょ。あんまり恥をかかせないでよ」
「さすが」
長瀬刑事はにやりと笑った。
「出席者が全員、アイドルとかその関係者なもんでね」
「なるほど」
俺は、由綺や理奈ちゃんにいつもマネージャーがくっついているのを知ってたから、すぐに納得した。
「出席者の詳しいリストは、まだこっちでもまとめてないもんで。あとで事務所の方にFAXさせましょうか」
「ええ、お願いします」
「で、彼等にその時の事情を聞いたわけですわ。ここからは伝聞になりますよ」
マナちゃんは肯いた。
「一つ一つの証言の記録を並べるのはちょっとまずいんですが、まぁ総合するとですな、パーティーは立食形式で、挨拶やらなにやらも終わって、なごやかに歓談に入ってしばらくしてからの事だったそうですな。
被害者の中川巧に、森川由綺がシャンパンを注いで渡した。中川はそれを飲んですぐに倒れ、けいれんしながら血を吐きだし、意識を失った……と。おっと、敬称略は勘弁してくださいよ」
ちょっと戯けた口調でつけ加える長瀬刑事。由綺が呼び捨てにされて、マナちゃんがちょっとムッとした顔をしたのに、めざとく気付いたらしい。
「中川さんと森川さんは、どうしてたんです? 森川さんが通り掛かった中川さんにいきなりシャンパングラスを突きつけたわけじゃないんでしょ?」
それでもまだ不機嫌な口調で、マナちゃんがノートを取りながら訊ねた。長瀬刑事は肯いた。
「ええ。これまた複数の証言が取れてますけどね、その少し前に、偶々通りかかった森川を、中川が呼び止めて話しかけて、それから二人で談笑してたらしい」
「談笑って、その内容は?」
「森川自身の話だと、“今忙しいの?”とか“今度のオフに食事でも”というような内容だったらしいな。これは中川の同僚……って言うのかな? 芸能界はよく判らないけど、ま、同じアイドルなんだから同僚でいいよな。そいつらの話なんだが、この中川って男、結構女関係も派手らしくてね」
長瀬刑事は、手帳をめくった。
「ま、今までは、彼の所属している事務所が躍起になってもみ消してるらしいけど、ファンの娘に手を出してどうこうってこともあったって」
「その中川がゆ……、森川さんを狙ってたって?」
俺は思わず立ち上がっていた。
そういえば、さっき取調室でも、そんなことを由綺に聞いてた覚えがある。
「ま、死人に口なしってわけで、ホントかどうかは判らないけどねぇ。森川自身は、迫られたことはないって言ってるし」
……由綺のことだ。迫られてるっていう自覚がないだけだろうな。
俺は座りなおしながら、内心で苦笑していた。
長瀬刑事は、懐から扇子を出して、自分を扇ぎながら、話を続けた。
「まぁ、中川が一方的に話しかけて、森川が“はい”とか“いいえ”とか受け答えしてるって感じだったのは確からしい。それは複数の証言がある。で、中川は喋り疲れて喉が乾いたらしい。森川が注いでくれたシャンパンを飲んで、そのままバッタリってわけだ」
「死因は?」
マナちゃんが訊ねた。
「鑑識の話だと、毒物を摂取したことによる急性中毒らしい。早い話が毒を飲まされたってことだね。詳しくは司法解剖待ちだけど」
「そっかぁ……」
マナちゃんは、またシャープペンシルをぐるぐる回し始めた。それから、不意にノートを閉じて立ち上がった。
「それじゃ、今日は帰るわ。刑事さん、明日も森川さんの取り調べはやるんですか?」
「ええ、出来ればそうしたいところですがね。でも、まぁ、本人もショックを受けてるでしょうし、明後日でも構いませんよ。そうですね、明日になったら一度連絡を入れさせますから、その時にでも応じられるかどうか答えてもらえますかね? まぁ、本人の聴取が取れなくても、他の人の事情聴取とか、被害者の交友関係の洗い直しとか、色々やることありますからねぇ」
あっさりと答える長瀬刑事。おいおい、捜査の予定をしゃべっていいのか?
軽くうなずくと、マナちゃんはそのままスタスタと会議室を出ていった。
「お、おい、マ……じゃない。観月先生! あ、すいません。それじゃ失礼します!」
俺は長瀬刑事に頭を下げて、マナちゃんの後を追った。
警察署を出ると、俺はマナちゃんに尋ねた。
「これからどうするの?」
「まずはお姉ちゃんに会いに行くわ」
「会いに行くって、どこにいるか知ってるの?」
俺が訊ねると、マナちゃんは呆れたように俺を見た。
「家に帰ったに決まってるじゃない。それとも、ふらふら遊び歩いてるとでも思ってるの?」
「そうじゃないけど……」
俺が口ごもっている間にも、マナちゃんはタクシーを呼び止めた。それから、俺を手招きする。
「ほら、早く来なさいよ!」
「はいはい」
俺は答えると、マナちゃんの後からタクシーに乗り込んだ。
カチャ
ドアが開くと、弥生さんが顔を見せた。素速く廊下を見回し、俺とマナちゃんだけなのを確認して、ドアを開ける。
「どうぞ」
「あ、ども」
思わず頭を下げて、俺は部屋に入った。
と。
「やぁ、藤井くんじゃないか」
「え?」
その声に、俺は思わず玄関で立ち止まっていた。
広い、だけどどことなく生活感の無い部屋の真ん中に、男性が座っていた。今までテレビを見ていたらしく、向こうにある小型テレビからはコマーシャルの音が流れてくる。
「どうした、青年?」
銀色の髪を短く切ったその人は、いつもと同じ薄笑いを浮かべて、俺に言った。でも、眼鏡の奥の瞳は、笑っていないような気がした。
俺は思わず聞き返した。
「英二さんがどうしてここに?」
「うちの大事な娘が事件に巻き込まれたんだ。心配して当然だろう? ほら、青年。玄関で突っ立ってると、後ろの娘が入れないぞ」
そう言われて、俺はマナちゃんが後ろにいることを思い出して、振り返った。
マナちゃんはというと、すごい形相でバッグを頭の上に振りかざしていた。……それをそのまま振り下ろすと、俺の頭に激突するんだけど。
下手に何か言うとまずい。
俺は、無言でささっと部屋に入った。マナちゃんはバッグをおろすと、その後から着いてきた。
英二さんは、リモコンを操作してテレビを消すと、俺達の方に向き直った。
後ろからは、弥生さんがドアに鍵を掛ける音が聞こえてくる。
俺はなんとなく、罠に誘い込まれたような気がした。
(前門の英二さん、後門の弥生さん、か)
「ま、座って座って。俺の家じゃないからおかまいは出来ないけどな」
「あ、はい」
俺は言われるままに座ったのだが、マナちゃんは立ったままだった。部屋をぐるっと見回す。
「お姉ちゃんは?」
「お姉ちゃん?」
微かに眉をひそめる英二さんに、俺は慌てて説明した。
「あ、こちらは観月マナちゃん。由綺の従妹でぇーーーっ!!!」
ボコン
マナちゃんは、手に持っていたバッグで思いきり俺の頭を殴った。それから、ぺこっと頭を下げる。
「申し遅れました。弁護士の観月マナです」
「ああ、こちらこそ。僕は緒方英二。森川由綺の所属しているプロダクションの責任者です」
英二さんは笑って、胸ポケットから名刺をすっと抜くと、マナちゃんに渡した。
その名刺をじっと見てから、マナちゃんはもう一度部屋を見回してから、英二さんに視線を向けた。
「由綺くんなら、今はシャワーを使ってる。ま、嫌なことがあったときは風呂が一番だ。風呂は生命の洗濯ってね」
「そうですか」
英二さんに言われて、マナちゃんは納得したように座った。それから、バッグから書類袋を出した。
「篠塚さんから、お姉ちゃんの弁護の依頼を受けたんですけど、他に弁護士を雇ったりしてますか? プロダクションの顧問弁護士とか……」
「いや。民事関係の弁護士なら知り合いもいるけど、犯罪絡みとなるとね、みんなやりたがらないんだ」
肩をすくめると英二さんはマナちゃんに言った。
「というわけで、僕としても出来ればお願いしたい。報酬の方は……」
「弁護士会の方で既定料金が定められています」
弥生さんが俺達の後ろから割り込むように言った。
マナちゃんは、ちらっと弥生さんを見て、肩をすくめる。
「ご心配なく。上乗せが無くても、手は抜きませんから」
「そう願いたいものですね」
あくまでも冷静な声で弥生さん。マナちゃんがきっと振り返る。
おお、二人の間に火花が散ってるようだ。
「観月さん」
英二さんに声を掛けられて、マナちゃんは振り返った。
「はい?」
「警察から、明日の予定とか聞いてます? いやぁ、由綺ちゃんもショック受けてるだろうから、今日と、出来れば明日くらいはゆっくり休ませてあげたいんだ」
マナちゃんは、長瀬刑事の言ったことをそのまま英二さんに伝えた。英二さんは肯いた。
「それじゃ、僕らはこれから場所を移して作戦会議でも開きますか。ねぇ、弥生さん」
「……」
弥生さんは、立ったまま冷ややかな視線を英二さんに向けた。それから言った。
「私は由綺さんに付いていた方がいいと思いますけれど」
「由綺ちゃんには、藤田くんに付いててもらおう。なぁ、青年」
……なに?
俺は思わず自分を指した。
「俺ですか? でも、俺、由綺とはもう……」
「そりゃ知ってるけど、こんな時は君がいいと思ってね。さ、行こう」
そう言うと、英二さんは脇に置いてあったコートを腕にかけて、立ち上がった。
「ですが……」
弥生さんは何か言いかけたが、言っても無駄だと思ったのか口を閉ざした。
「ちょっと待ちなさいよ! 話ならここでも出来るじゃない!」
マナちゃんだけが座ったまま言った。英二さんは、シニカルな笑みを浮かべてマナちゃんを見おろした。
「藤田くんを由綺ちゃんに取られると思う?」
「……!!」
マナちゃんはかぁっと真っ赤になると、立ち上がった。やばい。
「マナちゃん!」
すてぇん
その場にひっくり返るマナちゃん。一瞬だけ置いて、俺は状況を判断した。
マナちゃん必殺の蹴りを、英二さんはすっと身体を引いてかわしたんだ。で、勢い余ってマナちゃんはひっくり返った、と。
「大丈夫かい? ここ、滑りやすいからねぇ」
何喰わぬ顔でマナちゃんの手を掴んで引っ張り起こす英二さん。マナちゃんはさらに真っ赤になって立ち上がると、俺につかつかっと近寄ってきた。
「な、なに? マナちゃ……」
「観月先生だって言ってるでしょぉっ!!」
ドカァッ
「痛ってぇぇぇーーーーっ!!」
いきなり背中を蹴飛ばされて、俺はその場にのたうった。
キィッ
ドアが開いて、濡れた髪の由綺がおそるおそる顔を出したとき、そんなわけで背中を押さえている俺だけしかそこにはいなかった。
「……冬弥くん?」
「や、やぁ」
俺は振り返って、ぎこちなく笑った。
そういえば、由綺と直に会うのは、あの時以来初めてだった。
由綺は、部屋の中に進み出てくると、きょろきょろと辺りを見回した。
「緒方さんと弥生さんは?」
「もう帰ったよ。今日はゆっくり休んでくれって。それから、明日はお休みにしてくれるって」
「う、うん……」
「ま、まぁ、座って」
「そ、そうだね」
由綺は肯くと、ベッドに腰掛けた。
気まずい沈黙が流れる。
ええい、どうしろってんだ。
「き、今日は災難だったね」
そう言ってから、俺は頭を抱えたくなった。一番忘れたいことを蒸し返してどうするんだ?
「冬弥くん……。あ、あの、あのね……」
由綺は、口ごもった。それから、俯いた。
「私……」
「由綺……」
なんだか、由綺がひどく小さく見えた。脆くて、触れただけで壊れてしまいそうに。
俺は思わず立ち上がった。
「大丈夫! 由綺、俺が……」
言いかけて躊躇する。俺は、何て言うつもりだ?
由綺が顔を上げた。
「冬弥くん……」
榛色の瞳が、揺れている。
気が付くと、俺は由綺を抱きしめていた。その耳に囁く。
「何も心配はしないで。俺が守る。今度こそ、俺が守ってやるから」
「だめ……。マナちゃんに怒られちゃう」
そう言って離れようとする由綺を、俺はさらに強く抱きしめた。
「由綺……!」
「冬弥くん……。冬弥くんっ!!」
そのまま、由綺は泣きだした。熱い雫が、俺の肩を濡らす。
「ごめんね。ごめんね、冬弥くん」
「大丈夫、大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか自分でもわからないまま、俺はそう言いつづけていた。
to be continued

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