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沙希ちゃんSS 沙希ちゃんの独り言
話 沙希ちゃんどうするの?


 う、うーん。
 ここ、どこなの?
 あたし、どうしたのかな?
 あ!!
 あたしは、がばっと跳ね起きた。
 鉄製のベッドがきしんだ音を立てる。
 ……保健室?
 あたし、どうして、こんなところで寝てるの?
「あ、気がついたみたいですね」
 静かな声が聞こえて、あたしはそっちの方を見た。
 眼鏡を掛けた女生徒が、ベッドの脇の椅子に座ってた。読みかけの文庫本に栞を挟んで閉じると、にこっと笑う。
 と、ベッドの仕切りのカーテンが開いて、保健の先生が顔を出したの。
「気がついたのね、虹野さん」
「あ、はい」
「さぁて?」
 先生、あたしのおでこにぺたっと自分のおでこをくっつけた。
「うん、熱も下がった、と。でも、もうちょっと安静にしてた方がいいわね。多分、軽い熱射病だと思うから」
「ねっしゃ……?」
 そうかぁ。あたし、グラウンドにぼーっと立ってたから……。
 先生は腕時計をちらっと見て、ベッド脇に座ってた人に言ったの。
「さて、私は職員会議に出なきゃいけないから、如月さん、虹野さんのこと、お願いね」
「わかりました」
 その人が頷くのを見て、先生はあたしにウィンクして、カーテンを閉めたの。
「あ、水、飲みますか?」
 その娘は、コップに水をくんで、あたしに差し出してくれたの。
「あ、ありがとう」
 冷たくて、とっても美味しい。
 あたしは、その水を一息に飲んで、それからその娘を改めて見たの。
「ところで……」
「あ、私は、1年B組の如月未緒です」
 その娘−如月さん−は、あたしの聞こうとしたことがわかったみたいで、自己紹介してくれた。あたしも慌ててお辞儀する。
「E組の虹野沙希です。ホントにありがとう」
「困ったときはお互い様ですよ」
 如月さんはにこっと微笑んだ。
 あれ? でも、あたし、グラウンドで倒れたのよね。如月さんがここまで運んでくれたの?
「あの、如月さんが運んでくれたの?」
 ってあたしが聞くと、如月さんは首を振った。
「いいえ。たまたま通りかかった人が、手を貸してくださいましたから」
「え? 誰なの? 知ってる人?」
「ええ。C組の戎谷さんです」
「戎谷くん?」
 たしか……。『Mute』で一度会ったことがあったよね。ひなちゃんが紹介してくれて……。
 ひなちゃん……。もう、友達じゃないのかな?
 ひなちゃんのことが頭をよぎっただけで、あたし、胸がきゅんと締め付けられるようなかんじがして、そのまま毛布に顔を埋めた。
「どうかしたんですか? 大丈夫ですか?」
 急にあたしが突っ伏したものだから、気分が悪くなったと思ったみたい。如月さんが慌てて声を掛けてくれる。
「……ううん。なんでもないの。大丈夫」
 あたしは、顔を上げた。
 あ……。
 ほっぺたを、つうっと一筋、涙が流れ落ちた。
 あたしは、目をごしごしっとこすると、わざと明るく言った。
「なんでもないってばぁ。目にゴミが入っただけなんだから」
「……そう、ですか?」
 如月さん、小首を傾げたまま。
 何となく、沈黙するあたし達。
 しばらくしてから、如月さんが遠慮がちに言った。
「……差し出がましいとは思いますが……。誰かに話したほうが楽になりますよ。自分の中にため込んでいても、よくない方に傾いてしまうのが落ちですもの」
「よくない……方に……?」
「ええ」
 如月さんは、微笑んだまま、頷いた。
 すごく優しい笑みを浮かべてる……。
「……聞いて、くれる?」
「私でよろしければ」
 彼女は静かに頷いた。

「そうだったんですか」
 あたしが話し終わると、如月さんは目を閉じて、一つ頷いた。
「……あたし、どうすればいいのかな?」
「……虹野さんは、どうしたいんですか?」
 逆に聞き返されて、あたしは考えた。
「主人くんとひなちゃんに、ちゃんと謝ろうと思ってるんだけど……」
「なら、それでいいじゃないですか」
「でも……」
 如月さんは、じっとあたしの目を見て言った。
「まずは、心を込めて謝ることですよ。それですべて丸く収まる、なんて気休めは言いません。でも、結果はどうあれ、すべてはそれからだと思いますよ」
「……そうよね。如月さん、ありがとう」
 あたしは頷いた。
 そうよね。まずは、あやまんなくちゃ、ね!
 あたしは、ベッドから起き上がった。
「大丈夫ですか?」
「うん。もう大丈夫。如月さん、ホントにありがとね。いつか、きっとお礼はするわ!」
 あたしは、脇に置いてあった鞄を掴んだ。時計を見る。
 4時半、かぁ。じゃ、ひなちゃんは『Mute』かな?
「それじゃ、如月さん、またね!」
「さようなら」
 あたしは、もう一度お辞儀してから、保健室を出た。
 カランカラン
 カウベルが、乾いた音を鳴らす。喫茶店『Mute』。
「いらっしゃい。おや、沙希ちゃんか」
「こんにちわ、マスター。ひなちゃん、来てますか?」
 あたしは、カウンターの中でコーヒーを洩れていたマスターに聞いた。
「いや、今日は来てないけど」
「そうなんだ……」
 がっかりしちゃったあたしを見て、マスターが聞いてくれる。
「あいつとなんかあったのか?」
「うん。ちょっと喧嘩しちゃって……」
「そういうことだったのか。道理で今日の沙希ちゃん、変だと思ったぜ」
 不意に店の奥の方から声が聞こえた。あたし、他に人がいると思ってなかったから、びっくりしちゃった。
「え、戎谷くん!?」
「よっ」
 戎谷くんは奥のボックス席から右手を上げた。ちょうど入り口からは影になって見えない席なの。
 あ、そういえば、如月さんが言ってたな。倒れてたあたしを保健室に連れていってくれたのは、戎谷くんだって。
 お礼、言わなくちゃね。
 あたしは、戎谷くんのところに駆け寄った。
「さっきは、ありがとう。如月さんから聞いたの。あたしを保健室に連れていってくれたのは戎谷くんだって」
「なぁに。沙希ちゃんみたいな可愛い娘が倒れてたら、助けないワケにはいかないでしょう?」
「可愛いなんて、そんなことないよ」
 だって……。あたしが可愛かったら……。
「うんにゃ。なぁ、マスター」
「そうだな」
 マスターもうんうんと頷いてる。
「でも……」
「ようし。それなら俺とデートしようぜ」
「え?」
 戎谷くんは笑みを浮かべた。
「俺は、可愛い娘としかデートしない主義なんだ。で、その俺と沙希ちゃんがデートをするってことは、イコール沙希ちゃんは可愛いって事になる。どうだい?」
「どうだいって……、いわれてもぉ」
「そうだなぁ。もうすぐ夏休みだな。よし、夏休みに入って最初の日曜日に、きらめき市民プールってのは?」
「え? プール?」
 プールかぁ。涼しそうよね。それに、今年は泳ぎに行きたいと思ってたし……。
「行っても……いいかなぁ」
「オッケイ。じゃ、決まりね」
 戎谷くんは手帳を出すと、何やら書き込んだ。そして、立ち上がる。
「じゃ、約束したかんね。マスター、コーヒー代、置いておくよ」
「え、戎谷くん?」
 あたし、まだはっきり言ったつもりじゃ……。
 あっという間に、戎谷くんは『Mute』から出て行っちゃったの。
 あたしが違うって言う暇もないままに……。
 でも……。
 戎谷くん、かぁ……。

《続く》

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